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日本人総呪いの厄年


私は日本における厄年を、「日本人総呪い」と呼んでいます。前向きな人も、意外に厄年を気にしています。しかしながら、こんな馬鹿馬鹿しいことはありません。良いことならまだしも、悪いことを皆で念じてどうするというのでしょうか。

寿命も、昔と今とでは雲泥の差です。昔の42歳とは訳が違います。この恵まれた時代において、災いの多くは身から出た錆(さび)だと思います。

人生は、良いことと悪いことが起こります。良いことばかりが起こるわけでもないし、悪いことばかりが起こるわけでもない。また、それを良いか悪いかを勝手に決めているのは自分です。何かあれば厄年のせいにして自分の精神安定を計れるのであればいいのですが、私は違う方法で落ち着きたい。

健康診断にしてもそう。診断の前日だけ節制して検査に臨む人もいます。しかし、一体誰のための検査なのか、という話です。

私もいつか健康診断を受けたいとは思っていますが、ピロリ菌除菌で上から、痔瘻(じろう)の手術で下からも過去に一度は胃カメラで見ましたし、キックの現役の頃には定期的にCTや血液検査もしていたので、何もやっていないわけではありません。

体重も、16歳から26歳くらいまで無印良品の手帳にほぼ毎日書き記していました。10年以上やり続けていたら、自分の感覚と数値が大体合うようになってきたので書くのは止めました。

体重は今もほぼ毎日計っています。最低週二は、キックボクシングジムで運動しています。前日だけ節制して健康診断に臨む人と、病気になる可能性が高いのはどちらか、という話です。

私は150歳まで生きるつもりです。今から逆算して計画を立てて実行しています。身体と精神を適度に鍛え、なるべく前向きに生きて、遊ぶときは遊び、100歳まで現役で働き、それから50年は人生について考えながら、食べ物の執着を徐々に絶ち、餓死する予定です。

そんな世間的には厄年の私ですが、所属している名古屋ウエストライオンズクラブの例会が熱田神宮であり、厄除けもやっていました。あ、ついでに私もお願いします、とその場で神様に念じました。しかし、厄年は幻だ、という思いに変わることはありません。神にすがって説得力のなくなってしまった私ですが。

明るく生こまい
佐藤嘉洋

ブルート通信 vol.181 / 明生人嘉 〜 MyojoJinka 〜 109話

【追記】
2024.3
『神』について特集しました。