【完結】第5章 過酷修行と言われるヴィパッサナー瞑想より、毎日の実生活の方が過酷修行と悟った話。⑤
なんだかんだと第5章。
いつになったら、このブログは瞑想の話に入り、終わるのかと、お思いだろうけども、
5日目のお話“頭上プロペラ爆風事件“はすぐ終わり、瞑想の話もどこへやら、
世界平和を体感したという壮大な話をするので、もうしばしお付き合い願いたい。
まず、5日目の記録から読まれたい。
4日目まで風邪に苦しんでいた私は、5日目に“頭上プロペラ爆風事件“に遭遇する。
(ハプニング多いのよ。)
これは、読んで字の如く、瞑想している私の頭上にたまたま設置されていた空気循環のためのプロペラが、超高速回転し始め、頭と首に巻いているストールがパタパタ、バタバタとはためくくらいの暴風を私に送るようになった、という事件である。
こちらが、瞑想部屋。↓
頭上にプラペラがあるでしょう?運悪く、私の頭の真上にありまして。
これは、なぜ発生したかといえば、このプロペラの一つ一つが、中央で瞑想の先生の手により、調整できるのであるが、4日目から始まった、先生との朝の一対一の面接の時に、(この面接の時は話してもいい。瞑想でわからないことなどを、先生に質問するための時間。)
私が何を思ったか、『昨日までは、風邪をひいててHotだったんだけど、今は治りました。』
みたいな、雑談をしたのか、先生が、“Hot”のところだけを聞き取ってしまい。この子暑いのかしら?と言う勘違いから、私の頭上のプロペラだけが強化され、なぜか、かなりの暴風を頭上から送り続けられるということになってしまったのであった。
移動すればええやん、先生にもう一回、暑いわけではない!と言えばええやん。と言う感じだが、もう一度いうのもなあ。どうしよう。先生は、良かれと思ってやってくれたし、、。
と、瞑想中、もはやなんと切り出せばいいのか、なんて英語で言えばいいのか、ということをずーっと考えながら、大判ストールを頭と首と肩にしっかりと巻き付けて覆い、ものすごい豪風の中、バタバタとストールだけが虚しく羽ばたくのを耐えていた。この日は、また白湯とチャイを一生懸命に飲んで寒さをしのいだ。
次の日の6日目に、終日耐えていた頭上の爆風は前と隣のインド人の子によって収束を迎えた。あまりにも、寒いせいで(私は白湯とチャイ、スカーフをぐるぐる巻きにして、しのいでる)隣の子のくしゃみが止まらなくなり、前の子の鼻水が止まらなくなった。2人とも、先生のところへ行って止めるように伝えてくれて、やっと爆風から解放された。
そんなこんなで、私の瞑想ライフは、6日目以降落ち着きを取り戻し、徐々に終盤へ向かっていく。色々なアクシデントがあったものの、毎日ハプニングがあって、あっという間の経験だった。
その他にも、アリが寝ている間に自分を横断路にしていて、翌朝その事実を発見したり(顔にアリ多し)、トイレをバケツにくんだ水流したら、逆流して溢れ出しそうになったり、急なお昼の激辛カレーでお腹を壊したり、自分で洗った洋服は脱水が甘くて重かったから、庭のロープにかけたら、ロープが落ちて、そこにかけてあった6人分のサリーが落ちちゃって、大変なことになったり、蚊もすごくて、毎日大量に刺されて痒くて眠れず苦しんだりした。(同室のマリアが私の分も、フランス製のモスキート対策を色々講じてくれた。)
人間、極地を体験すると、普通でいることのありがたみを知るものである。
(私の日本で“普通だ“と思っていたことって、なんだったんだー!?という思いも知る。)
お湯のありがたさ。
綺麗なドブの臭いがしない水のありがたさ。
ベッドに南京虫がいないこと。
窓ガラスのありがたみ。
洗濯機のハイテクさ。
蚊よけ製品のすごさ。
水洗トイレが流れること。
それでも、参加者50人中40人くらいの現地のインドの方々と、違う部屋だけど一緒に暮らせたことは、その土地の文化を知ることが大好きな私にとっては至福だった。
隣の部屋では、ある日バッタバタと音がするから、大丈夫かと見に行ったら、その部屋2人でほうきを持って、ヤモリと格闘していて、『あ、こんなに虫多いなかで暮らしているけど、ヤモリは苦手なんだ。』とか、
ある時は、廊下で、空中をずっと眺めているなあ、と思って近づいたら、その空中いっぱいに大きな雲の巣が張られていて、朝露が付き、それはそれは綺麗な光景で(毒蜘蛛級に大きくて縞入ってる蜘だったけど。)『やっぱり、万国共通、自然のふとした光景に、感動するよね!』といった、共感だとかをした。
瞑想についても、少しばかりここで触れよう。
参加しているだけあってみんな真面目に取り組んでいて、何を隠そう、唯一、私だけが、瞑想の部屋を逃げ出していた人間である。
ここが宿舎。この中庭で、ぼーっとしていた。
私は、どうしても、集団で瞑想することが出来ずに、午後になると、全員で同じことをしている事実が窮屈になってきて(よく学校通ってたなw仕事もしてたなw)この宿舎の庭に逃げていた。
みんなと同じ場所では出来ないけど、ここで一人でやるなら出来る。そう思って、ここでよく足を投げ出していた。(すぐアリが来る)(大体、瞑想というよりサボりでもある。)
と、同時に、ステレオタイプについても考察していた。
真面目だと一般的に言われる日本人が、50名中、唯一のサボっている人間で、あとの他の国の方々は真面目に瞑想に向き合っている。やっぱり、〇〇人とか、〇〇だから→〇〇みたいに、くくれないんだな、と考えたり、
私は、日本でもルール外のことをするから変わっていると言われ、日本が規律に厳しいからから馴染めないだけだよ!外に行けば大丈夫!とかって、思っていたけど、
海外でも単独行動をしている自分は、もしやどこのグループにも属せない?いや、グループってなんだ?何かに私は属さねばならないのか?その概念はなんだ?
とか、瞑想そっちのけで、色んなことを考えていた。
この集団で瞑想できないという事実は、私の小学生の頃に中学受験の塾の夏期講習を、塾の非常階段から逃げ出して逃亡したという記憶も思い起こすことになり、(みんなで塾の机に座っているのが嫌だった。)『あ、三つ子の魂、百まで』ってこういうことか、私って、人は好きだけど、それとは別に、単独行動が好きで、集団で同じ方向を向くのが嫌なんだな、と自分を知ることにもなった。
ヴィパッサナー瞑想について、聞かれたら私よりも適任者がいると思うけども、インドでのヴィパッッサナー瞑想ハプニング集については、私が自信を持ってお伝えしたい。
最後に、やっと最後に、私が世界平和を考えたお話をしようと思う。
最終日が終わると、半日ほど俗世に帰る前の会話の練習タイムとして、荷物も返却されみんなとのおしゃべりが許可される時が来る。
その時に、国籍問わずにみんなに『どうだった!?』と、感想を聞きまくっていたら、全員に共通点を発見した。
「あー、体感としては、4、5日目までは、全然集中できなくて、目をつぶって1時間経ったかな?と思って時計をチラッと見ると、まだ20分とかで全然ダメ。えー、これいつまで続くのー?とか思って不安に感じてたし、身体も痛くて足も痺れるし、腰も痛い。続けられるかしらー?なんて思っていたけど、5日目を過ぎると、1時間もあっという間。身体も慣れて痺れなくなるし、腰の痛みとかは、何も感じない。体感では10-20分くらい経ったなと思って時計見ると1時間以上の瞑想をしてるの。」
私も含めて(実際そうだったと思う!!!)国籍は違えど、5日目以降には身体が慣れてきた、という発言が共通してあり、字面だけだと伝わりにくいのだけれど、改めて、人類は共通した身体を持っており国籍やバックグラウンドや、何が違えど、痛いものは痛いし、痺れるものは痺れるし、慣れるものは慣れるし、嬉しいことは嬉しいし、怒るものは怒るし、悲しいものは悲しいし、楽しいものは楽しいのだと、
教科書や概念で習っていただけの“世界人類みんな一緒!“という文字だけの事実が、自分の目の前で、会話によって、現実として存在し、色づき始めていた。
今まで、学校や旅で海外にも行っていたけれど、自分を含めたグローバルな全員で同じ体験をして密な時間を集団で過ごすということがなく、私にとっては、“人類は皆同じ”という、改めて当たり前の事実を経験として突きつけられた。
そうか。そうだったのか。そうだよね。正座すれば、全員痺れるんだよ。
5日経てば人間は順応するんだ。
それは、日本人だから、とかではない。人間だからなんだ。みんな同じなんだ。
私は、みんなに聞いて回った後に、ものすごい発見をした。と思い、これこそが今回の収穫だと思った。
人類がみんな同じことを体感した今、決してどんなバックグラウンドの相手だろうと痛みがわかるし、傷つけることもしたくない。これを知ったことは、世界平和に近づくのではないか?とも感じた。
タイトルにも書いたけれども、瞑想よりも日々の暮らしの方が何十倍も大変だったし、それは、インドだからだったのかもしれないけれども、思い返せば日本でも、同じように日々の暮らしや日々の出来事、悩みや悲しみ、それらの方が、瞑想修行より辛いのだと知った。
我々は、日々、暮らしという修行を経てまた強くなる。暮らしを経てまた立ち上がる。
日々、生きていくことそのものが修行であり、また喜びでもあり、大変でもあり、素晴らしい。
インドでのヴィパッサナー瞑想は、私に、色んな当たり前の事実を再認識させてくれた。
私は、また一つ賢くなって、次の目的地、南インドオーロヴィルへ向かったのだった。
オーロヴィルのお話はまたの機会に!
完。
【追記】
最終日には、みんなとすっかり仲良くなって、サリーを着させてもらった。
また、韓国から民族舞踊の有名な方(お付きの人も瞑想に参加してた)が、いらしていて、多国籍50人の前で歌いながら踊ってくれた。
私も唯一の日本人として何かせねばと、挙手🙋♀️をして舞台(草原の上)に立つ事を立候補し、『中島みゆきの時代』を歌ったりもした。
次の日の帰りに、その韓国の民族舞踊の方が門の前で話しかけてくれてこう言われた。「あなたの昨晩のパッションは素晴らしい👏
良い旅を!God be with you!」
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