一日18時間の地獄の電車移動で広島まで旅行しよう(18きっぷでとにかくアドを取ろうの旅)
早くも二か月が経過してしまっているが、2024年9月2日~4日までの3日間で、広島旅行に行ってきた。18きっぷでな(ここ重要)! 今回はこれについて書きたいと思う。まあ、大した内容のある旅行ではないのだが。
そりゃ、いくつか観光はしたけども。こーれが! よくあるツーリズム会社のパック旅行より酷い、強行軍的あるいは科挙式詰め込み教育的スケジュールであったんである。それはもう例えるなら、18時間連続電車駅伝って感じで、まあー、クタビレ儲けだった。
この虚無感には何だか覚えがある気がする。そうだ。ほれ、地方のイベントでよくあるだろう。あの、「スタンプラリー」というやつが。僕はあれをやると、スタンプを集めるほうに夢中になってしまい、肝心のイベントや体験などというものへの意識が完全におろそかになり、結果、家に帰ってみるとハンコのこと以外何も覚えていないという、何のためにイベント行ったんや、ちゅう状態になっちまうんですね。今回の旅行も似たようなところがありまして、具体的には「チキチキ!限界ギリギリ電車乗り換えゲーム」が殆どメインコンテンツだったわけだ。
そうなのです。タイトルにある通り、実質三日間の旅行期間の約六割は電車による移動時間及びその待機時間だったんです! これで何とか面白い内容にしようなどというのが土台無理な考えであって、この記事は正味、単なる個人的な備忘録に過ぎないものなんである。だからあえて見る価値はないんだけども、まあ、あなたが他人の日記とか覗き見て面白いと思えるような方なら、読んでみてもいいんじゃないかな。どうでしょう。
さて、前置きはまだまだ続く。今回の旅行の前、八月末には東北に行ってきたんである(内容は前記事参照)が、これもまた殆ど電車から降りず、観光もせず、ひたすら電車で本を読むという旅だったのだ。
行った場所と言えば、秋田のブックオフ二件と宿泊先の快活クラブという斜め45度に突き抜けたストイックぶりであって、まさに本の、本による、本のための旅という、いっそ潔くすらあるものだったんであるが、これじゃ18きっぷの使い損、と言うより差し詰めカネドブというものだ。(まあ、それはそれで面白かったんだけども)
というわけで、今回の広島旅行はその時利用した18きっぷの余りを利用するため企画したんであるが、その目的はより壮絶だ。近所の最寄駅から、とりあえず西側でできるだけ遠くに行き、できる限り観光する。先行してドブに捨てた三回分の18きっぷにおけるアドバンテージ(以下アド)を回収するために、残り二回で一番アドの取れる場所、つまり一番遠くまで行こうというのが主目的となったわけだ。
いやあ、このバイキングで元を取ろうとしてカニばっかり食ってるような貧乏人的思考ったらないですね! 生臭い汁で手がベッタベタだぞ! もう思考に貧乏が染みついてるのが、アリアリとわかるってもんです。でもさ、貧乏人にしか見えない景色ってのもあるわけさ。それを書きあらわすのが我々物書きの腕の見せ所ってやつじゃないですか。
それに単なる詰め込み式旅行記も、ヴェルヌの「八十日間世界一周」よろしく(あれはまだ優雅な旅行って感じのもんですが)、ちょっと小説じみた感じに脚色すれば、いっぱしの読み物にもなろうってもんだ。ちゅうことで、一丁、やっていきましょう。
一日目
2024年9月2日、朝4時30分。いよいよ夜は、白み始めていた。暦の上では秋となったが未だ夏の気配は色濃く、夜明け間際というのに、既に汗の滲むような気温であった。
そんな折、僕はリュックサックを一つとウェストバック一つの軽装でもって、2泊3日の広島旅行に出発したんである。内容物は財布に、着替えと充電器、モバイルバッテリとスマートホン、袋入グミ、ついでに本が一冊、と言ったところだ。JRの最寄りは、群馬県桐生市の桐生駅であるので、そこまでは徒歩で向かった。
第一の乗り換えはJR両毛線終点駅の小山駅。小山行きの始発は5時18分であった。時間は余裕を持って取ったので、5時間際には駅までたどり着く。途中で買ったおにぎりを食み、電車に乗ったころにはすでに夜は明けていた。刺すような朝の光が首と頭皮を焼く。電車の窓狭しと、盛んに差し込んでくる。
小山駅までは一時間もせずに到着した。両毛線てやつは、何とまあ面白みもない路線である。山でもなきゃ、海でもないし、街でもないときた。どこでもない場所とどこでもない場所をつなぐ、何の味もしない11駅。ただ、無味にして無臭かと言われると、そうでもない。両毛線車両の座席には、何か独特のにおいがある。あれだ、田舎の匂いが染みついている。
さて小山では、6時29分の宇都宮線に乗り換えなのだが、ホームまで行くと既に電車が止まっていたので、これ幸いと22分発の小田原だか大船だか行きへと乗車した。どうせ最終的な到着時間は変わらないのだが、待つのが嫌だったんである。
そこから、湘南新宿ラインを経由して終点までついたのが9時半くらい。東京では久しぶりの通勤通学ラッシュに巻き込まれたが、そこは経験者であるから、問題ない。座席の隅で小さくなってやり過ごす。そこから乗り換えで熱海まで到着したのが10時丁度だった。小山から38駅になる。
熱海は大量の学生でごった返しており、恐らく始業式帰りなのだろう高校生諸君は、全身から青春の雰囲気を吹き出しながら、夏休み中の話に花を咲かせているようだった。ああ彼らの夏休みが終ったんだな、と何となくセンチメンタルな、ちょっと神妙な気持ちになりつつ、一方で自分の高校時代のあまりの無味乾燥ぶりを思い出して、一人鬱屈した気分に陥っていた。
乗り換えて、東海道線をさらに下っていく。窓の外には、気持ちのいい、真っ青な空が広がっていた。そして、海。太陽の光を受けて波がギラギラと光る。熱海周辺のリゾート感も相まって、何とも気分がいい。海なし県の人間としては、これが何とも羨ましい。今すぐ浜に降りて、貝とか拾いたい。そんな欲求に後ろ髪をひかれつつ、電車は着実に進んでいく。
そこから34駅の苦行の果てに、浜松へたどり着く。この時点で12時半。このあたりから記憶があいまいになってくる。駅、駅、駅……駅地獄である。正直、全部同じに見えてくる。
仏教の教えによれば一百三十六地獄が一つ、駅地獄は、ホームで嘔吐した吐瀉物を駅員に片付けされた奴が落ちる地獄であるとされている。イキった大学生は全員落ちるとされている。正直、僕にはそんな覚えはないのだが、まあ落ちてしまったものは仕方がない。受け入れて、目の前を流れる駅を死んだ目で眺めるとしよう。
さらに8駅を過ぎ、豊橋にたどり着いたのは13時18分。桐生で乗車してから、丁度8時間が経過していた。相変わらず天気がいいし、海というのはやっぱり見ていて飽きないものだ。無為な時間が経過し、僕はすっかり腑抜けと化してしまっていた。呆けた顔で快速電車に乗り換えて、今度は大垣へ向かう。
蒲郡ってのは住みやすそうなところだなあ……などと思いつつ、ひたすら電車電車電車。そういえば、岐阜は大分都会だったので驚いた。名古屋が近いからだろうか。
大垣についたのは、15時ちょうどくらい。全旅程の、ようやくここが半分と言ったところである。乗り換えて、米原まで再び6駅。長かった東海道線がついに琵琶湖線へ接続する。新快速の電車は、ここまでの車両が嘘のように乗り心地が良かったが、人が多く、座るのに難儀した。それにこの辺りから車両が、主にボックス席の編成になってきた。
そういえば、このあたりから急に知っている地名が増えだした気がする。彦根・大津・京都・新大阪・大阪・尼崎・芦屋・神戸・明石など、まさに関西と言った地名が目白押しだった。俄かに気分が向上してくる。今まで、西日本で遠くに来たのは京都までだったものだから、兵庫県は人生初。というより、ここから先の土地は全部人生初なのだ。
そういえば、途中で垂水とか舞子とか、阿部共実先生作品の舞台になった土地の地名が散見されて、ファンとしてはやっぱり降りたい気分になったんだけれども、我慢したということを付記しておく。いつか、行ってみたいものだ。
18時49分、姫路まで行って新快速を降りる。快速で22駅なのだから、まあー、相当な距離である。ずうっと縮こまっていたので、体はもうバキバキだった。そしてとうとう、腹減りに堪えられなくなったので、急ぎ吉野家へ駆け込んだ。滞在できる時間はたったの15分だったが、残念ながらこれが本日最長の休憩時間である。牛丼に卵をプラスしていた甲斐があり、入店5分で飲み下すことに成功。余った時間でトイレにも行くことができた。ここまで来ると食事というより給餌である。腹の中にフォアグラが育っていく幻覚を味わいつつ、山陽本線に乗り換える。
岡山行きの電車に乗車し、更に下っていく。ここで難儀したのは虫の数だった。山陽本線はとにかく周囲が暗く、虫が多いという印象しか残っていない。まず暗いという件について、これがまた景色が全く見えないので、非常に退屈した。本当ならば瀬戸内海の景色を一望できるはずだったのに。そして虫。そこかしこに羽虫がたかっているし、ひとたび停車すれば、即座に扉から蛾や何かしらの虫が乗車してくるんである。乗車虫数が明らかに人のそれより多いのだ。
まあ、どれも無害なものだし、居ないよりは居たほうが良いものであるからそれはそれで良いんだけども。とりあえず、JR西日本は虫からも乗車賃を取るべきであろう。
しかし昔は関東でも呆れるくらい虫がいたものだが、いつの間に居なくなったのか。つかの間、生物多様性というものに思いを馳せる。
そうこうしている間に、岡山に到着。18駅経由で時間は20時35分である。間髪入れずに向かいの電車に滑り込む。間もなく広島県へ突入だ……。
再び18駅で、糸崎にたどり着いたのは22時7分。乗客は疲れ果てたサラリーマンと、おねむの学生さんが大半だった。正直、僕も眠かった。
そして再び16駅、時間にして23時37分……。
ようやく広島に到着したのだった! 辛かったよう!
まあ宿泊はその二駅先の横川駅だったんであるが。駅前に快活クラブがあるのってさ、最高だよね。確保できた部屋はオープンだったんだけども、クッソ疲れてたのでよーく眠れた。
二日目
9月3日、起きたら午前6時だった。こんな環境でも寝ようと思えば6時間も寝れちゃうものである。人間ってすごい。昨晩疲れ果てて風呂入ってなかったんで、シャワーを借りた。やっぱ快活クラブは最高やな。こんなんもう生活できちゃうじゃんね。
6時間パック料金払ってチェックアウトすると、前日同様爽やかな快晴。観光日和ですね。
さ、観光していきましょ。やっぱ広島と言ったら、あれでしょう。
本川公衆便所! 被爆建物だったのに誰にも気づかれず、70年余。2015年になってようやく、おや、これ結構前からあったよな。終戦前!? あっ……。とばかりに被爆建物だったと認められたという由緒と言うよりは因縁のありまくる建物である!
やあ、もうホント。これが見たかったんだよね。こいつが見れただけでも広島に来た甲斐があったってもんです。とりあえず、広島の歴史に思いを馳せつつ、ひとまず利用させて頂きました。
利用した感想なんですけど、大便器はかなり流れが悪いので、使う方は覚悟しておいたほうが良いでしょう。現場からは以上です。
あ、一応本家被爆建物も巡ってみたんであるよ。さっきの公衆便所から川のすぐ対岸でちょっとお得感があります。
ここまでで9時過ぎくらい。流石に腹が減ってきたので、セブンイレブンで割引されてたおにぎりを二つ三つ購入。野菜がなかったので、周囲を見回してみると、見慣れた草が! そう、スベリヒユ!
小説『百年の孤独』で、ニグロマンタがアウレリャノに作ってくれた鶏頭肉のスープに入っていたあの草ですよ。これは生で食える草なんで、サラダ代わりに食べる。食い終わったあとで気づいたんだけど、そういやここ、ほぼ爆心地……。いやいや……約80年前だぜ。……ないよ、ないない。大丈夫大丈夫。大丈夫だって!
あとはやっぱ路面電車にも乗ってみたいよねってことで、パスを購入。これ、700円で一日乗り放題。お買い得です。
さて、便所だけ見て帰るのもなんだし、現地の友人と合流するのも夕方の予定なので時間が余る。友人の助言もあり、そこそこ近いんで宮島に行ってみることとした。
うーん、どこからどう見ても観光地。きれーなもんである。観光客だらけだ。そして、野性味のないシカたちがいっぱいだ。そしてシカ以上にシカのウンコがいっぱいだ。
なんか自分、こう……観光というものに慣れていない感じがある。有名な場所に行っても、はあ……すごいな。って感じで、さっきの便所以上の感動が、ない。無いのです。感情が、凪。
というか、疲れ果ててしまったのです。電車旅は後を引くんです。電車だけに。
だもんで宮島がもう、ウンコの記憶しかない。てか、ゆっくりしたいワ。こう……海なし県民だからサ……海があるだけでうれしいんですよ。港、ゆっくり見たいなあ。
と言うわけで、続いては広島港に行ってみることにした。
もうね、来て大正解。雰囲気が良い。広くて明るくて。トイレもきれい。そして何と! あの、シンガーソングライター村下孝蔵さんの歌で有名な「松山行フェリー」がここから出てるんですね。確か村下さんは広島に長く居た方だったはずだから、ここのことを歌ったんじゃないでしょうか? 確かにこんな良い場所だったら曲の一つ二つ、出てくるもんでしょう。
さて、せっかくなら歌詞の通り、港に沈む夕日が見たかったもんですが、残念ながらそんなに長くはいられない。夕方には友人と合流せねばならないし。まあそうは言っても3時間くらい居たんだけどもね。
と言うわけで、そこからは一路、広島城へ。お城って跡しか見たことなかったんで、一回ちゃんと見ておくのも良いか、と思ったわけです。
うん。城だ。てか、やっぱり敷地がでかいね。殿さまってのは偉いんだなあ。だっておうちがこんなにも広い(貧乏人的発想)。トイレも広いのかなあ。天守閣の下までたどり着くのにすら、一苦労である。
でまあ、やっぱりちょっと時間が余ったんで、ここ来る途中で見かけた大き目のブックオフにて時間潰しに興じる。一時間ほど物色して回った。
色々あって時刻は16時過ぎ。友人との合流地点へ向かう。シャレオなるオシャレな地下街で過労死しそうになっているところを、会社上がりの友人と無事合流。それからは友人の案内で市内のオタショップを回り、漫画等を物色するなどして二時間くらい。18時前くらいになって、いざ、友人おすすめの居酒屋へ!
友人が紹介してくれたのは「広島酒呑童子」というお店だった。
言わなくても、見りゃ分かるでしょ。美味かったよ。申し訳ないけど食レポは苦手なんだ。それにこんなお料理の前でシロートがいくら言葉を重ねたところでそれは野暮ってもんでしょう。
まあ、料理は文句なし。お酒も全国の地酒が揃ってるし、雰囲気も接客も良かった。以上。だからまあ、飲みすぎちゃうワケ。
友人、良いヤツなんだけど、サシで飲むと飲み比べ対決みたいになっていけないのだ。実は僕はこの時約三年ぶりにまともにお酒を飲んだんだが、気が付くとビール三杯にハイボール一杯、梅酒、日本酒が四合くらい? 飲んでいて、気が大きくなったんで料理も食べに食べた。結果がこれですよ。いやあ、まあ……三年ぶりだし、多少はね?
気が付くと23時。電車が終わってなければ糸崎あたりまで戻って、そこで宿泊しようと思ってたんだが、こんだけ飲んでると流石に足元がふわふわとおぼつかない。何とか乗れやしないもんかと急いだが、結局終電には間に合わなかった。友人と再会を誓って別れたのち、広島駅近の快活クラブに宿を構え、一日を終えた。
3日目
9月4日。朝、5時。アラーム音で目を覚ます。正直まだ寝ていたい。酒も残っている。でも、今日帰る予定だし……。泥のように疲れた体を引きずって、駅を目指す。そして5時53分、糸崎行。中一日開けて、再び地獄の電車旅が、始まる。
糸崎には7時13分着。そこから41分発で、兵庫の相生に10時24分着。思いっきり通学ラッシュに引っ掛かり、窮屈さに難儀。そこから乗り換えで、姫路が46分着。間もなくの琵琶湖線快速に乗って草津に12時50分着、さらに各停で米原に13時43分着、更に乗り換えで大垣14時37分着、また乗り換えで豊橋16時9分着、そこから掛川に17時25分、熱海には19時53分着、と来た道をそのまま辿っていく帰り道。しかしここまで来れればしめたもの。あとは上野東京ライン宇都宮線直通にさえ乗れれば、小山に23時6分着となる。
yahooの乗り換え案内サービスによる指示だと、ここで一晩明かすことになっているが、僕は知っている。小山発桐生行の最終は23時12分発である。都合6分間の乗り換え時間が確保されている。このままいけば勝てる! そう思った矢先だった。戸塚を過ぎたあたりで、電車が急減速していく。そして……止まった。
「現在、XX駅にて人身事故が……」
ぎゃああああああああああああああああああああああああ!!!!! 何してくれとんじゃあああああああい!!!!!
もうこの時ほど人身事故を恨んだことは生涯にないと言っていい。線路に入った馬鹿はどこのドイツだ、ちくしょうめえ!
しかしもう……何という不運。一分すら遅れたくないこのタイミングでピンポイントに人身事故を引くって……。あーもう、僕の人生いつもそうだよ。こんなんばっかしだわ。どちくしょう!
まあ、悔やんでも仕方がない。次善の策を練るしかない。このまま小山まで行ってしまっては、翌日、桐生まで帰るのに900円前後の金がかかる。それに比べて、前橋駅なら500円ちょっとで済んだはずだ。
そうと決まれば即断即決! 赤羽で降り、予定外ではあるが、乗り換えを行う。確か、新前橋との間くらいに引くほどデカい快活クラブがあったはずだ。『課長島耕作』でも読みながら、朝を待とうではないか! はい決定!
4日目(延長戦)
9月5日、午前0時半ごろ。僕は、新前橋の地に立っていた。苦々しい思いが脳裏に迸る。ここの駅近辺には、以前勤めていた会社の本社があるのだ。まあ、今となっては何の関係もない会社ではあるが、気分の良いものではない。正直、すぐに離れたい。しかし、この近辺には快活クラブもあるというのだから仕方がない。一路、快活クラブへ向かう! 勘で!
そうなんである。僕は目的地の場所を正確には覚えていなかった。じゃあスマホで検索しろよって言いたいところであろうが、待ってほしい。その時は、肝心のインターネットが使えなかったのだ。
というのも、僕が使っているスマホの回線がpovoというブランドなんだが、これがいわゆるプリペイド式に近いもので、その残り容量が丁度先ほど、高崎辺りで切れていたのだった。容量は旅行用に買ったわけだし、普段使わないから追加では買いたくないなー。買わんとこ。そんな考えが、地獄の始まりだったのだ。
その後二時間余り、僕は前橋の街をさまようこととなった。道こそ広いが、暗い! 県道13号の途中には葬式会場があって、霊柩車がずらりと並んでいて不気味! 道間違う! などなど、余りにもどうしようもない顛末だったので以降はここでは割愛するが、結局歩いて前橋駅までたどり着いた後、力尽きて駅前のカラオケBOXに逗留することとなったのであった。
またその店員の態度もアレだったし、リュックの中身のバスタオルも生乾きで臭ってくるし、歌いすぎて喉枯れるしで。いやー酷い目にあった。結局、掃除がどうのとかいう理由で4時前に追い出され、もう二度と行くものかと思いつつ、駅舎の前につっ立って時間を潰した。そうしないと寝そうだったからである。5時過ぎ、ようやく駅舎が開き、電車に乗って桐生駅に到着したのは6時過ぎだった。
最後の苦行である。そのまま徒歩で家に帰り、7時を回ったころ、ようやく家までたどり着くことができた。最後の力を振り絞り、二日近く入れてなかった風呂に入ってから、倒れるように眠りこけた。起てみれば、午後5時。自室の安心感は格別であった。そこに至って、やっと自分が帰宅できたのだと理解した。死力を尽くした旅が、ようやく終わったのだった。
総括
思うに自分は、旅に向いていない。世界というものは、自分にはいささか大きすぎる。まあ、もっと正しく言えば、観光というものに向いていないんであるが。(でも広島は楽しかった。良いところだし、また行きたい)
自分は、世界をマクロに俯瞰するよりは、ミクロな視点で精察する癖があるようで、視野の狭い、いわゆる、「木を見て森を見ず」のタイプの人間なんである。それは良い感じに言い換えれば、狭い世界に無限の視座を持てるということであるわけだ。つまり自分にとっては、世界の多くの観光名所を回るより、近場のよく知っている場所の中に未知の部分を探すことのほうが、よっぽど冒険だと言えるんである。
次に旅行の機会があれば、狭い範囲を定めて、そこを知り尽くすような旅行がしてみたいと思う。今作ってるゲームが何かしらの一段落を迎えたら、考えてみてもいいかもしれない。
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