技術屋ではない指導者です。
「野球の技術屋にならない」
先月は大会が続き、心身ともに緊張しっぱなしで執筆が出来ていなかった。
7月は2つの大会を終えた。
2試合とも、いわゆる「強豪」と呼ばれるチームに負けた。
悔しさは当然ある。
その悔しさの理由はそれぞれあるが、一番は自分の心の中に「勝てたかもしれない」という思いが大きいからである。
我々のチームのメンバーは20名(前回執筆時より1名減<中学受験のため>)である。
そのなかで、投手は7名いる。
これが多いのか少ないのかは分からない。
試合ではこの投手陣をやりくりし、継投で戦う。
実際、京都府知事旗では上手く「型」にはまりベスト8まで勝ち上がった。
しかし、その「型」にこだわるあまり大会でエースは無失点なのに敗退してしまった。
負けには、タラレバ論が付きまとう。
今回もそうだ。
「型」にこだわらず、エースを信じ続投させていたらどうなっていただろうか。そのことばかり考えてしまう。考えても、仕方がない。
「型」ばかり考えて選手を観察していたか。多分、どこか慢心があった。
「型」ばかり考えてコーチに選手起用を相談したか。上手くいったんだから大丈夫と考えていた。
「型」ばかり考えて…。
今年のチームは、ボトムアップ理論でチーム運営をしている。
大人の冷静な視点と選手たちの熱い思いを融合し戦っていきたい。
指導者としての「傾聴力」
人としての「対話力」
野球の技術屋だけではない野球指導者へ。
この夏が勝負。
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