ウクライナ侵攻から思う
戦争はいつも終わりが見えない
2022年2月に突如始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻。ロシアはウクライナ市民をネオナチから解放するための「特別軍事作戦」を標榜しているが、客観的に見れば事実上の侵略戦争である。当初は早期終戦もあるのではないかと言われていたが、状況は今も膠着している。日本を含め、国際社会は直接的にウクライナを軍事的に支援することは避けているのが実情だろう。
もしNATOとロシアが直接軍事衝突を起こせば、世界大戦に陥る可能性が高い。NATO加盟国のポーランドに落ちたミサイルは果たしてウクライナのものなのか、ロシアのものなのか。NATO及びアメリカのバイデン大統領は少なくともロシアの敵意ある攻撃ではないと認定した。しかし、NATOに全面戦争を避ける思惑があるとすると、真実は今も分からない。戦争はあらゆる真実を、各国の思惑のベールに包んでしまうのだということをまざまざと見せつけられた。SNSによって、各国の首脳が様々な言語で直接他国の市民への発言を行っている。これは新しいプロパガンダ合戦でもある。あらゆる情報について疑いの目線を向けなければならないのはとても辛い。何より命や土地を奪われた人々を思うと胸が苦しむ。一刻も早い終戦を願っている。
戦争の背景及び近況は下記のNHKのサイトで常時アップデートされている。
ウクライナ侵攻は起こるべくして起こったのか
この戦争がいかに突拍子もないものであったかは、日本のロシア研究者たちの反応を見れば、おぼろげながら理解できる。その雰囲気を最も感じられるのが下記の座談会だろう。
彼ら研究者のロシアの友人が戦争やプーチンに同一化していて、会話が成立しなくなったという話はとても悲しい。シロヴィキと呼ばれる人々が偵察・軍関係の部署におり、KGB出身のプーチンの支配下にあるという。ロシアの正確な情報をつかむのは難しい状況だが、決して旧態依然のメディアだけでなく、ネットメディアに親和性の高い層もプーチン政権を支持している人は多いのだという。
『歪んだ喪 ロシアと日本の慰霊の条件』。これは、2018年に東浩紀氏が招かれた、上記の放送に参加している東京大学の乗松氏のシンポジウムのタイトルだ。
当然、このシンポジウムが行われたときは、ロシアとウクライナが戦争状態になるとは誰も思っていなかった。しかし、現在の戦争を通して過去を見たとき、「歪んだ喪」というのはとても大きなテーマのように見える。
あまりイメージが無いかもしれないが、ロシアは100を超える民族を抱える多民族国家である。ソ連時代は共産主義が共通の思想として多民族を結びつけていたが、ソ連崩壊によってそれはできなくなった。それゆえ、この民族をまとめる思想として帝国的ナショナリズムが台頭した。プーチンはこの思想を体現しており、かつてはソ連崩壊後の周辺民族の誇りを鼓舞するような振る舞いをし、インフラ整備も積極的に行っていた。
他方、ソ連崩壊後のロシアのネーションを、ロシア民族として捉える人々がいる。これがロシア民族主義である。ロシア民族主義は民主主義や国民主権と結びつきうる思想だった。ロシア民族主義者は基本的に、多民族は同化か追放をする方向で考えていた。ロシア帝国(ソ連)はロシア民族から搾取していたという考え方もあった。加害者ソ連と被害者ロシアという見方である。スターリンはジョージア人だった。ボリシェビキはユダヤ人だった。ソ連とロシアが歴史的にうまく切り離せていたら、今回のような戦争は起きなかったのかもしれない。ロシアがソ連の後継者になってしまい、ソ連の加害性もロシアが国家として引き継いでしまった。ここにある種の歪んだ喪の一部がある。
元々は立場が違った、ロシア民族主義と帝国的ナショナリズムがいかにして悪魔合体し、プーチンに吸収されていったかは、ゲンロン13や上記の座談会で乗松氏を中心に詳しく語られているので、是非参考にしていただきたい。
興味深いのは、歪んだ喪が亡霊のように現れていることだ。平松氏によれば、ロシア人の不死の連隊という行進があった。これは第二次世界大戦の戦死者の写真を掲げながら行われたパレードのようなものである。まるで、死者を蘇らせ、過去を現在化し、戦争へ突入していくかのような雰囲気がある。
ロシアは第二次世界大戦の加害者なのか、被害者なのか、その喪と慰霊に失敗してしまった。その失敗が、短い歴史の中で、今回の戦争に行き着いてしまったのであれば、これは悲劇である。
ロシアに狂気じみた、なおかつ不思議で魅力的な側面があるのは、この悲劇的な状況が、喜劇的に文化に切り取られているところだろう。この座談会で紹介されるスルコフのDeep peopleという考え方や、エリザーロフの作品中のソ連に関する本を読むとソ連的価値観がインストールされるという設定、フェイスのナショナリストのパロディなどは、見ているこちらが笑いだしてしまうほど滑稽である。ロシア人の表現方法は明らかに独特で、単純に私達が持っている物差しで測ることはできないように感じる。
翻って、それは海外から見た日本の姿もそうなのではないかと思わせる。日本人は太平洋戦争について、様々な歴史的解釈を持ちながらも、なんとなくそれをどのように表現するか、独特のコードを共有している。しかし、それは外国から見れば非常にわかりにくいのかもしれない。一部は滑稽にすら見えているのかもしれない。
日本がロシアのように戦争に突き進むとは簡単には思えない。しかし、日本は太平洋戦争について、歪んだ喪を抱えている。それは靖国神社問題が典型的だろう。加害者としての日本、被害者としての日本が日本人の歴史の中で共存しており、時に偏りが生じ、喪を歪ませている。歪んだ喪がどのように歴史の中で現実をも歪めてしまうか、私たちはロシアを通して目撃したのではないだろうか。戦争状態が日常になりつつあるロシアとウクライナから、私は平和な日常の尊さと、その歴史的継続性について、思いを馳せずにはいられなかった。
イラク戦争とウクライナ戦争
ロシアがウクライナに侵攻したとき、私の脳裏によぎったのはアメリカによるイラク侵攻だった。アメリカによるイラク侵攻が開始されたのは2003年。当時、私は10代だったので、強烈に印象に残っているのだ。
国連の承認を得ずに、当時の大統領ジョージ・ブッシュが「イラクは大量破壊兵器を隠し持っている」ということを理由にイラクに侵攻した。国連安保理で常任理事国のフランス・中国・ロシアを筆頭に様々な国が反対を表明したが、アメリカは軍事作戦を強行した。当時の小泉純一郎首相は、すぐさまアメリカ支持を表明した。
このとき、アメリカは怒涛の勢いでイラクでの大規模戦闘を進め、3ヶ月足らずで終結させた。しかし、大量破壊兵器は発見されなかった。その後、アメリカはフセイン政権の圧政からイラク国民を解放し、民主主義を実現するための戦争でもあると主張した。しかし、フセインを拘束した後の新政府樹立・治安回復はうまく進めることができず、内乱状態が続いた。2011年にアメリカ軍が撤収する際にも、イラクを安定統治する政権確立にいたることはなかった。
この空虚な戦争目的は、まるでロシアのウクライナ侵攻のようである。ロシアは実態不明のネオナチからウクライナを解放するとして、侵攻した。アメリカのような短期の戦闘終結には明らかに失敗しており、今後どのように戦況が変化するかは分からないが、戦闘が早期に終結したイラク戦争ですら、アメリカ軍の撤収まで8年かかっているのである。ウクライナ侵攻の今後についても悲観的にならざるをえない。
イラク戦争を支持した日本には、「湾岸戦争では金しか出さなかった」というアメリカに対する負い目があった。もしアメリカを積極的に支援しなかった場合、アメリカは北朝鮮有事などの安全保障上の問題に積極的に対応してくれなくなるのではという恐怖心が日本中に蔓延していたことを覚えている。これに呼応するように、小泉政権はすぐにイラク特措法を成立させ、イラクの非戦闘地域への自衛隊派遣を行った。自衛隊の任務はあくまで非戦闘地域における復興支援だったものの、国際紛争の解決手段として武力を用いないと謳う憲法に反しているのではないかという議論が紛糾した。後の裁判で傍論ではあるが、裁判所によって自衛隊のイラク派遣は違憲である旨の判決が出されている。
しかし、当時の日本にはテロに対する恐怖があった。イラク戦争についてアメリカは「テロとの戦い」を掲げており、例えそれが間接的な戦争支援であっても、限定的な復興支援ならばやむを得ないのではないかという世論もあった。NHKの資料によると、2004年当時の世論調査では、自衛隊のイラク派遣に対する賛否は、ほぼ半々だったようである。
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/yoron/social/pdf/040401.pdf
当時10代の私にとって、日本がどのように国際貢献すれば良いのか、自衛隊は今のままで良いのか、考えさせる出来事だった。幾人かの友人とも議論をした記憶がある。また、この頃はSNS誕生前で、2ちゃんねるが主なネチズンのたまり場だった。もしかしたら、その後台頭するネット右翼の親米的思想はこのあたりから醸成されたのかもしれない。当時、宇多田ヒカルがイラク戦争に反対する宣言をブログで表明した。
この発言について、2ちゃんねる上では、今で言う炎上状態だったと記憶している。今思えば、反戦を宣言するのは至って真っ当な主張である。しかし、戦争が起こってしまうと、いかに世論が熱狂してしまうかを示す一例だったように思う。
日本にとっての平和
文藝春秋100周年記念イベントとして下記の座談会が行われた。
この中に面白い発言があった。東浩紀氏が平和は妥協であると話したのである。正義は対立を生む。正義が悪を倒して平和が成される訳では無い。正義と悪の衝突を諫めるのが平和なのだ。
現在の日本では、自衛隊の活動は平和のための安全保障なのだという啓蒙が必要である。そして、かつて行われていたように、政府ではない市民活動による平和運動・国際支援を継続することが大切である。これがひいては日本の外交力になるのだ。平和という武器を外交カードで持つことができるのだ。
イラク戦争では、日本は完全に巻き込まれ、アメリカとの関係を重視するために自衛隊を変質させた。それは市民のテロへの恐怖と、アメリカが助けてくれなかったらどうしようという不安が駆動した結果だろう。幸運なことに、今回のウクライナ戦争には日本は軍事的に巻き込まれてはいない。防衛費の増額だけでなく、改めて日本が持っている平和についての飽くなき探究心について、掘り起こしを行うことが、自衛隊をどのように位置づけるかという議論にも繋がり、長い目で見れば国際貢献に繋がるのではないだろうか。
イラク戦争の時のような当事者意識を、今の日本はウクライナ戦争に対して持っていない。良くも悪くも、好戦と反戦で意見は割れていない。しかし、ウクライナ戦争をスタートとして考えられる思索はまだまだあると思う。単に衝撃的な情勢変化が起こるたびに事実を伝えるだけの報道ではなく、抽象的なストーリーから具体的な国のあり方や平和について展開できるような言論空間の成立を望んでいる。
911メモリアル
2015年に観光旅行でニューヨークを訪れた際、911メモリアルに行った。最後にそこで撮影した写真をいくつか掲載して、記事を終わりたいと思う。ヘッダーの画像は、911メモリアルに私が残してきたメッセージである。2001年9月11日に起きたテロは、アフガニスタン戦争、イラク戦争といった大きな悲劇を生んだ。どちらの戦争も、国に平和をもたらすものにはならなかった。戦争は平和から非常に遠い存在なのだ。平和の尊さを共感する空間が、少しでも増えることを祈っている。