[gururi note] 軽やかに綴る
秋が来た。やっとやっと、待ち望んでいた秋がやってきた。
夏の間は、頭がくらくらするほどに毎日暑くて、もう二度と涼しくなんてならないんじゃないかと絶望していたけれど、その尋常じゃない暑さも秋の訪れとともにすーっとどこかへ行ってしまった。
やっとやっと、秋がやってきた。
涼しくなると、スポーツの秋、食欲の秋、芸術の秋、行楽の秋などなど、やっと来た「秋」に浮き足だっているかのように、人々のやりたいことが目白押しになる。
わたしは、このところ、もっぱら「読書の秋」だ。
あるきっかけがあって、ネットやSNSと程良い距離で付き合えるようになってから、これまでも好きだった読書に、拍車がかかった。
読書って筋トレと似ていて、読むことから少しでも離れると途端に読む力が衰えてなかなか進まなくなる。ただ、一旦読むことが習慣化すると、「最初は腹筋3回しか出来なかったけど、いつの間にか30回出来るようになりました!」みたいな感じで、ぐんぐんぐん、と、読めるようになるものだ。
それを、今、絶賛体感中である。読書って楽しい
昔は物語(小説)がメインだったけれど、ある程度大人になってからエッセイも読むようになった。最近もよくエッセイを手に取る。
好きだなぁと思うエッセイは、皆とても軽やかだ。
小説では心と体をえぐるような鈍くて重いものを扱って表現している作家さんも、エッセイになると、まるで空気がしっかり入ったボールのように、ぽーんぽんと軽やかに跳ねている。
わたしは、それにとても憧れる。
自分が文章を書くとどうも重くなりがちで、まぁ、それもそのはず、思いが溢れた時に書くものだから、どうしてもぐぐぐっと力がこもってしまう。
もっともっと力を抜いて、日常のことをスナップ写真を撮るように気軽に書けるようになりたいな、と、好きなエッセイを読むたびに思うのだ。
最近読んだエッセイで、好きだったものをいくつか。
上白石萌音「いろいろ」
朝井リョウ「風と共にゆとりぬ」
西加奈子「まにまに」
上橋菜穂子「物語ること、生きること」
村田沙耶香「きれいなシワの作り方」
小川糸「針と糸」
基本的に好きな作家さんの作品はエッセイも必ず読むようにしている。(というよりも全部読みたくなってしまう)
自分の好きな人が、その人の言葉で、その人の中身や生活を綴っている文章は、とても魅力に溢れている。
軽やかでかつ優しくも強い芯がある、小川糸さんの「針と糸」は、こんな文章が書けたらいいなぁと憧れるエッセイのひとつだった。
あとがきで、小川さんは、エッセイ連載を依頼された時、“私は正直、自分には荷が重いように感じました。(中略)私の日常は淡々としていて、特筆すべきことなど何もないように感じていたからです”と語っている。
けれど、そんな本人が気にも留めない日常の小さなことに実はその人自身が大いに表れているもので、「針と糸」はまさにそれだった。
その人にとっては何でもないただの日常の光景やとるに足らない経験でも、それを少しだけ垣間読むことで、綴られた文章の軽やかさも相まって、ほっと救われることも心が安らぐこともある。
私自身文章を書くことが好きで、こうやってnoteに徒然書いてはいるけれど、いかんせんちょっと重ためな文章が続きがちだ。
だけど、もっともっと力を抜いた文章が書けたなら、もしかしたら誰かにほっとひと息ついてもらえるかもしれないなぁ。
文章を書くときの癖で、思いを溜めてから溢れんばかりの勢いでいつも書いてしまうけれど、もっと軽やかに綴れるように、小さなことを少しずつ書く練習してみようかな、と、数々の素敵なエッセイを読みながらこっそり思っている。
「読書の秋」に続いて、「エッセイ(に挑戦)の秋」。
読書と同じように「最初は背筋2回しか出来なかったけど、20回出来るようになりました!」みたいに、ぐんぐん軽やかに綴れるようになるかもしれない。
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