ある、大親分さんのお話💇
今年5月、ある大親分さんが亡くなった。
テレビや週刊誌、ネットで報じられていたが、その人を皆さまがご存じかどうかはわからない。
「親分」という呼び方が適切ではないかもしれないが、周りでは大親分と呼んでいたので、ここではそう呼ばせていただき、お名前は伏せる。
東京・歌舞伎町に本部を置く指定暴力団・極東会五代目会長、極東五代目。
昭和58年(1983年)、東京都豊島区池袋で、住吉連合と極東関口と抗争事件を起こしたが、この親分と先方が会談し、和解が成立した。
これを機に、博徒と的屋との親睦を図っていく機運が生まれた。
昭和59年(1984年)、関東に本拠を持つ神農組織が大同団結して、関東神農同志会を結成した。
中核組織は極東関口会(会長は田中春雄)だった。
平成2年(1990年)11月、極東関口会を継ぎ、極東関口会を極東会と改称した。
同じ在日韓国人に関心を持ち、大山倍達、力道山、張本勲を物心両面で助けてきた。
1960年代から在日本大韓民国民団としての活動をしており、民団支部経済顧問を務めながら大小のことをサポートし、「顔のないスポンサー」と言われている。
日本の政治家達とも親交を結んでおり、鳩山邦夫、竹下孝雄、福田赳夫、小林興起、橋本龍太郞、安倍晋太郎などと撮影した写真を個人事務所に飾っていた。
また、宇多田ヒカルの母、藤圭子を応援していたこともある。
~ネットより引用・抜粋~
要するに、的屋の総まとめをしている、大手暴力団の会長ということ。
🎯=的屋=🎯
縁日や盛り場などで、露店や興行を営む業者のこと。
神社やお寺、お祭りなどで、食べ物の屋台・金魚すくいなどの店を出す。
私が長年住んでいたマンションの、ほぼ隣のマンションに、大親分の
ご自宅と事務所があった。
抗争があったら、間違いなくタマが飛んでくる位置に、うちはあった。
ロマンスグレーで、ちょっと映画俳優のような紳士であった。
常にパリッとスーツを着こなしていて、大会社の社長のように見える、
温厚で穏やかな人だ。
住んでいる地域をとても大切にしていて、お祭りには寄付をし、様々な商店にも貢献をしていた。
週に一度は近くの床屋さんで散髪をしていた。
そのお店の前に若い衆が数名立っていると、「あ、今日は親分さん来てる」と話したものだった。
あるお正月のこと。
親戚の子ども(当時1歳~2才)が来ており、私の妹がその子を連れて近所のコンビニに行った。
そこに、ちょうど親分さんと数名の若い衆がいたのだそうだ。
すると、親分さん、なんとその子にお年玉をくださったというのだ。
妹は丁寧にお礼を申し上げ、買い物もそこそこに帰宅したが、とにかくもう、びっくり仰天したそうで、その話を聞いた私も家族も驚いた。
お年玉袋の中は、ピッカピカの新札の千円札が2枚、入っていた。
松の内の間は、お年玉袋をたっくさん若い衆に持たせ、小さい子を見たら、
渡しているのだろう。
その子を連れて、今度は私がコンビニに行こうと企んだが……。
やめた。
新年早々、縁起の佳いお金。
手持ちの千円札を2枚、別のお年玉袋に入れて親戚の子に渡した。
親分さんからいただいたお札と、略奪したお年玉袋は、数年の間、マイトリ家の家宝となった。
………。
が、その後の行方は杳として知れない。
💚台風の影響で、都内も大荒れです。
雷がすっごく鳴っていて、さっきは地震もありました。
あ~~!! 雷、落ちてる😓😓😓
すっごい落ちてる~~~😭😭😭
光ってすぐ、落ちてる~~~~💦
この連休は、各地で秋の例大祭、3年振りのお祭り。
お神輿や山車、縁日の屋台を楽しみにしている方も多いかと思います。
台風の被害がありませんように。
皆さま、充分にお気をつけください💛