音楽トリビア🎵「音と色」~共感覚~🎵
🎵音を聴くと色を感じる、「色聴」という感覚があります。🎵
「パブロフの犬」や、「梅干しという言葉だけで唾液が出てくる」
条件反射とは違います。
「想像」するものでもありません。
「色聴」や、その他の共感覚の原因については意見が分かれており、
一連の学習された反応であると主張する人もいますが、
ほとんどは神経学的な基盤を指しています。
共感覚の中でも、音楽や音を聞いて色を感じる知覚は「色聴」といわれますが、音楽家に多いということではなく、音楽が嫌いでもドレミがわからなくても、この感覚は発生します。
「色聴」とは、例えば「ド」の音を聴くと「赤や白などの色」が浮かんできたり、和音を聴くと数色が重なって見えたりすることを言いますが、音を聴く度に見える色が異なるのではなく、音と色が固定される場合が多いです。
例えば、『大きい』は赤、『小さい』は青など、文字に対して色を感じるのは「色字」ですが、パトカーのサイレンの音は赤、消防車のサイレンの音は黄色など、「音が聞こえると色を感じる」という現象が「色聴」です。
また色聴と反し、色を見ると音が聴こえる「音視」というものもあります。
ロシアの作曲家、アレクサンドル・スクリャービンは共感覚を持っていたことで知られています。
また、フランツ・リストなども共感覚の持ち主だったということです。
スクリャービンが作曲した最後の交響曲。
「交響曲第5番 作品60 プロメテウス(プロメテ=火の詩」では、
ピアノの鍵盤と様々な色の照明を連動させた「色光ピアノ」を使用する予定でしたが、技術的な問題で実現は難しかったようです。
スクリャービンが作品中で指定した色は、次のとおりですが、
これは彼が見えていたものであって、同じ「色聴」の感覚を持つ音楽家でも、「ド=白」と感じる人も多いのです。
基本的なハ長調の「ド」は、ピアノの白い鍵盤を連想させるからという理由のようです。
つまり、共感覚というより、感覚的な色彩の欠如を知覚によって埋め合わせているのかもしれません。
目が不自由な音楽家も多くいることから、色彩感と音楽的能力との相関性は殆どないのかもしれません。
小さいお子さんがピアノを習う時、「色音符」と言って、
階名(ドレミ~)と色を連動させて覚えさせることがあります。
レはレモンの色だから黄色、ミはみかん色、ソは空色、というように、
予め振り当てられていることが多いですが、子ども自身に色を当てはめさせる方法も取り入れられています。
しかし「色音符」は無意味で二度手間、むしろ害が多いとし、導入時から「ドレミ~」を覚えさせることが多くなってきています。
子どもの頃「色音符」を習った人は、大人になってもその記憶が刷り込まれており、それを「共感覚の色聴」だと勘違いしているケースもあります。
昔から「声色を使う」「七色の声」「黄色い声」などの言葉もあり、
「音+色」の世界は、共感覚を持たない人たちにも身近なものです。
「音」「色」は、癒しにもなれば、目障り・耳障りなこともあります。
上手に取り入れて、豊かな毎日をお過ごしください。
あれ?
マイトリさん、なんか今日は最初から最後までまじめに書いてますよ?
あまりおもしろくないですよ?
いいんですか~~?
赤・黄・空~
赤・黄・空~
オレンジ・空・黄・赤・黄・空・赤~
おやおや?
なにか咲いているようですね。
🌷あなたはわかりましたか?🌷