湘江怨(湘妃怨)2
『湘江怨』は、古くは1590年明代に蔣克謙が編纂した『琴書大全』に見られますが、五代十国時代の後周(951~960年)の詞人であり琴家でもある梁意娘が作った曲といわれています。
彼女は瀟湘(現在の湖南省)の代々学問を志す名門の家柄に生まれました。幼い頃から琴棋書画に触れているうちに、やがて詞や音楽に精通するようになります。
当時、良家の娘はよい教育を受けても、家の中で大切に育てられて自由に外に出ることは許されず、親の決めた相手と結婚するのが常でした。
自由に恋愛することができない時代おいて、人々はいろいろな方法で愛を伝えます。『湘江怨』は娥皇と女英の舜帝への思いを歌っていますが、実は梁意娘が恋人に宛てた歌なのです。
梁意娘の父親・梁公の妹は、同じ湖南の名門一族である李家に嫁いでおり、息子を李生常と言いました。李生常と梁意娘は従兄妹同士の幼馴染であり、年が近いこともあって、とても仲が良く、成長するにつれお互いを意識するようになります。
ある日、梁公は李生常が梁意娘に冗談を言って遊んでいる様子を見ました。
李生常が自分の娘をからかっていると勘違いした梁公は、彼を梁家から出入り禁止にします。
愛する李生常と会うことができなくなった梁意娘の心は沈み、明けても暮れても想いは募るばかり。かといって、厳格な父親にその胸中を吐露することはできません。
そこで彼女は李生常への想いを歌にして、『湘江怨』という曲を作りました。そして彼の元に歌詞が届くように方法を考えて人に託しました。
歌詞を受け取った李生常は非常に悲しみ、彼女が思い詰めて病となり、死んでしまうのではと心配になりました。
彼は伯父の李公へ助けを求めます。仲人役となって梁公へ縁談を申し入れてくれないかと伯父に懇願しました。
李家と梁家の両家は代々親交があり、そして李公と梁公は仲の良い間柄でした。
事の顛末を聞いた李公は、梁公がとても頑固な人ということを知っていたので、梁公はこの縁談を受けてくれないだろうと断ります。李生常は梁意娘からもらった歌詞を差し出し、もしも彼女に何かあれば自分も生きていないと涙ながらに訴えました。
歌詞を読んだ李公は深く感動し、「この意娘の歌詞があれば、事はうまくいくぞ!ちょっと行ってくるから、良い知らせを待ってなさい!」と梁公を訪ねて行きました。
気の合う友人が遠路はるばる訪ねてきたので、梁公は嬉しくてたまりません。早速宴を開いて、酒を飲みながら談笑し、書や歴史について語り合いました。
ひとしきり話したところで、李公は歌詞を取り出して言います。「最近新しい詞を手に入れたんだが、この詞をどう思うかね?」
読み終わった梁公は作詞の才能を大いに褒め称え、この詞に流露する切々たる思いと嘆き悲しみに同情して作者に会いたいと言いました。
李公は笑って、「会いたいだと?もう知っている人じゃないか。筆跡をよく見てみなされ。」
どこかで見覚えがあるようなと梁公が眉をしかめていると、李公は窓の外の梁意娘の住んでいる建物を指さし、「この詞はご令嬢が私の甥っ子に送ったものだよ!」
梁公は呆然となり、再度筆跡をよく見てみると、なんと確かに意娘の筆跡ではないか。李生常が梁意娘をからかっていたと思っていたが、実は相思相愛の仲だったとは。
その時タイミングよく、梁意娘の弾く琴の音が流れてきました。
音楽への造詣がある李公は、直ぐにこの曲が『湘江怨』だと分かり、幽々と聞こえてくる琴の音に合わせて詞を歌ってみるとぴったり曲に合いました。
歌い終えて李公は言います。
「ご令嬢の才能はこのように素晴らしいが、私の甥っ子の文才も引けをとらず、まったくもってお似合いの二人だ。甥っ子が言うに、もしも意娘が断腸の思いで死んだなら自分も生きてはいないと誓うとな。梁兄!二人の子供たちが恨みを抱えて死んでいくのをみていられるかね?」
梁公は、自分の娘がこのところよく弾いているこの曲が実は李生常を想って弾いていたものだと今になって思いました。
李公は押しの言葉を続けます。
「もしも結婚を許さず二人が死んだとして、この琴歌が実は意娘の作であると外に知れ渡れば、世間はなんと思うであろうな?」
梁公はとうとう頷いて結婚を許し、李生常と梁意娘はめでたく夫婦となりました。