極上永遠の幸福に至る
あなたはなぜ生きているのか、どんな目的で生きているのか
これは生物学的な問いではなく、もっと精神的に人間が求めているものの探究であり、哲学的な問いに近い。
この答えをわからずして人生を生きることはまさに終わりのないマラソンのようなものである。
僕はその答えを知っている。
それは絶対の幸福を得るためだ。
全ての人は幸福になりたくて、金稼ぎやモテることや、家族を持つこと、見た目を綺麗にすること、広い家に住むこと、莫大な資産を持つこと、自由な時間を作ることなど、こんなことに一生懸命になっている。
ただ、ひとつ言わせてもらいたい、いくら稼いでも、いくらモテても、いくら最高の家族ができても、いくら美しくなっても、いくら広い家に住めても、いくら莫大な資産ができても、いくら自由な時間があっても、あなたは絶対の幸せにはなれない。
絶対の幸せとは、極上永遠の幸福だ。極上で永遠なのだ。いや永遠だからこそ、極上であるとも言える。
どういうことか、あなたに今ある幸せは永遠か?それが絶対の幸福かそうで無いかの違いだ。
ほとんど全ての人間は一時的な幸福しかない。
だからもっと求めるし、だから失うのが怖いのだ。
絶対の幸福を得れば人生の全ての障害が障害で無くなる。
人生の目的とはこの絶対の幸福、すなわち極上永遠の幸福を得ることなのだ。
誰しも幸せになりたくて生きていることに早く気づいてほしい。
そしてそれは一瞬の幸せではなく永遠の幸せを欲しているのだ。
僕はその答えを知っている。
僕はそれを得たからだ。
このnoteは絶対の幸福がどうしたら得れるのかが詳しく書かれている。
今回話すことが僕が結局最終的に伝えたいことであり、それ以外のnoteはこの noteを理解するための器作りとして必要なものなのだ。
ここではっきり言うが、僕は仏教によって極上永遠の幸福に辿り着いた。別によく言う「悟り」なんて開いてないし、相変わらず煩悩まみれだ。
でもこんな罪深く欲深い自分ですらこの世で最高の、言葉に表せられない幸福な人生を手に入れたのだ。
それは20代前半にして数千万円を稼ぎ周りからチヤホヤされ、尊敬され、遊び呆け、全ての欲を満たしていたはずの時の僕とはとても比べられないほどの幸福だ。今は最低時給のバイトをして月収10万円だ。
それはそれはいろんな制限があるさ。
ただ今までの僕の人生で極上永遠の幸福を得てからの人生にはまさに、天と地ほどの差があった。
わかりやすい価値をつけるなら最低でも2000億円以上の価値はある。
これは適当な数字でもなんでも無い。
僕の実際に会った人の中で一番資産を持っていた人の総資産が2000億円であった。
もし、僕がその人から2000億円の総資産と極上永遠の幸福を交換してくれと頼まれても、絶対に断るだろう。
だから最低でも2000億円以上の価値があると断言できるのだ。
これはリアルにその人を知っている僕が言えるからこそ説得力があるはずだ。
僕はその人がどういう生活をしてどんなところに住んで、どんなものを持っていて、誰と普段会っているのか、そしてどんなパーティー、イベントに呼ばれるのかを知っている。
そのうえで言っているのだ。
僕が得た極上永遠の幸福はお金と時間があったら手に入るようなものじゃない。
そして何よりもすごいのはこの幸福は一度手に入れたら永遠に無くならないものであることだ。
この世に絶対なんてことはほとんどない。
死ぬことくらいだ。
だが、この極上永遠の幸福は一度得たら、自分を苦しめてきた全てのマインドブロックが外れ、その幸福は絶対に無くならない永遠のものとなる。
だから僕は絶対に交換しないのだ。
ちなみに僕の話すことは、2600年前に仏陀が解いた教えがもとになっている。
だがその教えがまとめられたお経は7000以上あり、膨大すぎるため色んな宗派が生まれた。
結局現代の人たちは2600年の時を経て伝わってきたものをどれだけ理解しているだろうか?
仏教は本来幸福を伝える教えのはずなのに、今僕たちの身近に残っているのは葬式や墓参りくらいだ。
確かに仏教自体は2600年の時を経てもなお僕たちの生活の一部、それも人が亡くなった時という一大事に必要とされるものとして残ってはいるが、本当に仏陀が伝えたかったことが広まってないのはとても悲しいことだ。
ちなみに仏教と聞いてあなたは何を思い浮かべるだろう。
修行だろうか?断食や滝行、瞑想、いろんな修行が確かにある。しかし仏陀は修行なんてしなくとも生きたまま救われることができることをしっかり説いている。
それを現代では知らない人が多すぎる、そして自殺者、精神病にかかる人が後をたたない。
正直、僕がこの極上永遠の幸福に達した瞬間、誰にも教えないでおこうとはじめは思った。
なぜなら自分が幸せならわざわざ相手に理解されるかわからないことを教える必要がないからだ。
しかし、今回このnoteを書いた理由はほんの少しの報いたいという思いからだ。
僕がこの境地に達したのも2600年誰かがずっと伝えてきてくれたからだ。
それがこのnoteを書いた理由だ。
ちなみに、僕はどこかの信仰宗教に入ったわけでも、どこかのお寺で出家したわけでもない。
坊主になりたいわけでもないし、宗教が大好きなわけでもない。
ただ幸せになりたかった、それだけしかなかったただの愚かな人間だ。
その答えがたまたま仏教にあった、それだけの話だ。
もしこのnoteを読むような方がいたらお伝えしたい。
あなたは世界のどこにいようと、どんな生活だろうと、必ず極上永遠の幸福に至れる。
わざわざどこにも行かなくとも、何かにお金を払い続けることもせずにだ。
物理的に生活は何も変えなくていい。
同じ部屋、同じ職場、同じ景色が、一瞬にして全て光り輝く空間に変わるからだ。
だいぶ長くなってしまったのでそれではここから本題に入るとする。
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