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【ぐお雑記】表現の自由とフェミニズムの行方

フェミ議連が千葉県警とVtuberのコラボを炎上させようとして逆に自分が炎上した件。

最終的にどうなるかはまだわかりませんが、フェミ議連側の自滅という形で幕を降ろしそうな雰囲気です。

ただ、これで安心なのかというとそうでもありません。
こんな意見を見かけます。

>>「描いてるのは女性です!」っていつものやつ、一見フェミに言い返してやった感が出てるけど、じゃあ男性だったらダメなのかって話になってくるから実質は戦線が後退しているので精神勝利でしかないように思える

僕はアンチフェミではありますが、あくまで表現の自由が優先なので、女性クリエイターや女性スタッフが活躍するのは大歓迎です。

ただ、今回の騒動を見ていて

『表現の自由の大事さが世間に伝わったわけではない』

『女性クリエイターの表現は尊重されるが男性クリエイターの表現は尊重されない』

『もしも女性クリエイターがいなくなったら表現の自由を守れない』

と感じているのも事実です。

「お前達は女性のためと言うが、叩かれているVtuber側も女性だぞ」という理屈は一見、錦の御旗の様に見えますが、実は諸刃の刃だったのではないかと思えるのです。

日本のコンテンツ産業を守るには女性クリエイターの力が必要不可欠なのは疑いようがありません。
ですが一方で『女性クリエイターも参加しているのだから作品を叩いてはいけない』という理屈は表現の自由の本質とは程遠いです。

小説や漫画の様に少人数で作られるコンテンツは男性だけという事も珍しくありません。
そういった作品が今後叩かれた時、"似た作風だけど女性が作ったもの"をいちいち引き合いに出して楯になってもらうのでしょうか?
そうじゃないはずです。
男性だけで作った作品も女性が作った作品と同じ様に権利を持つはずです。

本来は『表現の自由』そのものが不可侵の権利であるはずなのです。女性という特権階級に守ってもらう構造はいびつです。
むしろフェミニズムの肯定であるとも言えます。

しかしフェミニズムとの戦いには勝たなければなりません。
今回の件がフェミニズムの権威を失墜させる絶好の機会であるのも事実です。
なのでみんなが「Vtuber側も女性だぞ!」という"女性特権"を強力な武器として振り回す事を止める事はできません。
というか、僕もやってます。
ここに矛盾があるわけです。
我々は今もまだ、フェミニズムを内包している。

「とりあえずフェミ議連をボコボコにやっつけて当面の安全を確保し、表現の自由の本質はその後で広めればいいじゃん」という考え方もあるとは思います。
僕が心配し過ぎなのかもしれません。

ただ、品川駅の広告が批判を受けて撤回された件とかも見てるとやっぱり表現の自由の本質は世間に伝わってません。
Vtuberの件も『時代遅れのおばさんが若い女性の自己実現を邪魔した』話として消費されて終わるんだろうなあという危惧がぬぐえないわけです。

「これはフェミニズムvsフェミニズムなんだ」という分析も何個か読みました。
しかしフェミ議連側の主張を見ると、これはやっぱり『表現に対する弾圧』なわけです。

『フェミニズム対フェミニズム』の要素を混ぜてしまったのは我々側なんですよ。

表現の自由の本質を世間にわかってもらうためには、いつかは"女性特権"を手放さなくてはいけません。
だけどフェミニズムに反撃する武器としてフェミニズムが極めて有効という現実もあります。

このジレンマを打開するために何が必要なのか、考えなきゃいけないのでしょう。




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