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戦国武将に学ぶ!No.41~最上義光~


”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。


このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。


私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)

社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。


今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ。


最後まで楽しんでいただけたら幸いです。




■あるものが好きすぎた武将


少しお久しぶりになってしまった
武将シリーズですが、
今回はファンが意外と多いのでは?
最上義光もがみよしあきをピックアップします!!


歴史好きであれば有名な武将かと
思いますが、知らない人も意外と多い
武将でもあります。


東北地方を代表する武将といえば
伊達政宗や上杉謙信などが有名ですが、
義光も東北地方を代表する武将であり
私の大好きな武将の一人です!
しかしドラマなどではダークな
描かれ方をするのがお決まり。
つまり、どうしても悪役になりがち…。


悪役にされる人物に
ありがちな話ではあるのですが
描かれるイメージとは裏腹に、
実は情に厚く家臣から慕われていたとも
言われています。


諸説ありますがとてもお茶目な
一面もあったようです。


それは、鮭が好きすぎたこと!!(笑)


鮭がよく獲れる領地を狙い、
「これからはたくさん鮭を
食べられるぞ!」と手紙で喜びを
露わにしていたといいます。
(当時、鮭は高級魚だったと
されています。)


そのためか、
義光についたニックネームは
「鮭様」(笑)。


こんなエピソードを知ると
とても親しみが湧くのですが、
一方で家族のことで
心を痛めることが多かった、
苦労人でもあるのです。


■家族に起こる悲劇…時代に翻弄されて



義光は、実の父親とも実の息子とも
良好な関係を築くことができませんでした。
これだけでも辛いと思いますが、
もっと辛い出来事が起こります。


娘である駒姫は、豊臣秀次
(豊臣秀吉の甥で養子、当時は
秀吉の跡取りだった)
に嫁ぐことになるのですが、
秀吉に実子である秀頼が生まれたことで、
秀次は豊臣家を追いやられます。


駒姫は秀次の元へ向かいますが、
秀次は高野山に幽閉され切腹。
駒姫は一度も秀次に会うことなく、
秀次の側近たちと共に
処刑されてしまいます。


一説によると義光は、
秀次のもとへ駒姫を嫁がせるのを
拒んでいたといいます。
会ったこともない相手の元へ
嫁ぐために娘は出向き、
嫁ぐこともならぬままこの世を去った。


この事件を知った義光と妻は
当然心を痛めました。
義光の妻に至っては、
娘の後を追うように
自ら命を絶ってしまいます。


理不尽な理由で娘と妻を喪った義光。
まさに時代に翻弄されたといっても
過言ではありませんが、
それでも義光は自らの人生を
諦めませんでした。


関ケ原の戦いと同じとき、
「北の関ケ原」といわれる戦で
2万4000の兵である上杉家に対し
3000の兵で戦いを挑み、
ご存知の通り西軍が勝利したことで
徳川家康から認められます。


義光は家康を慕い、
また家康からも可愛がられ
江戸時代に入ると57万石の領地を
与えられます。


藩の政治では手腕を発揮し、
新田の開発や最上川の舟運整備
などで財政を整えました。


私の印象としては、
義光は逆境を含め時代を一生懸命に
生きた人物であり、
そういった意味でも、
現代に生きる私たちは義光から
学ぶことは大いにあると思います。


義光を主役にしたドラマや
映画があれば、きっと世間の
イメージは変わるはず!!


誰か!!つくってください!!(笑)




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