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RUN伴ぐんまの花プロジェクトから思う

トップの写真は、わたしが参加している、RUN伴ぐんま という団体で実施している「花プロジェクト」にちなんで撮影した、我が家の庭のマリーゴールドです。

RUN伴ぐんまって?

RUN伴ぐんまって何? とほとんどの方が思われるでしょう。詳細は、上にも公式HPのリンクを貼ってありますので、そちらをみてください。一言でいえば、「認知症になっても安心して暮らせる地域をつくる」ことを推進、啓発するために、もともとは、オレンジ色の襷リレーイベントを、毎年開催している団体です。
しかし、コロナのおかげで、襷リレーは2度に渡って中止を余儀なくされました。中止がきまった昨年、コロナ禍で、なにか、認知症になっても安心してすめる地域を発信できないか。考えた結果、群馬県をオレンジ色のマリーゴールで一杯にしよう! と企画されたのが、花プロジェクトです。
認知症を象徴する色がオレンジということももちろんここには関係しています。
RUN伴自体は、親団体があり、その下で各地で襷リレーが行われていました。しかし、やはりどこの地域も中止せざるをえなくなり、代替企画が多数発案されています。かくいう群馬も、もう一つ、歌プロジェクトというのも昨年から開催しています。関心を持たれたかたは、ぜひ、RUN伴ぐんまのHPから、親団体のサイトなどへのリンクもありますので、ご覧になってください。

さて、この写真をきっかけに、少々(と、いっても、わたしの記事としてはやや長め)雑談を記事にしました。

医療・介護系でないわたしの思い入れ

わたしの設定しているマガジンの中で、この記事は、キョーギタイにいれてありますが、RUN伴の活動と、協議体活動は(今のところ)組織的にはベツモノです。しかし、どちらにも、この(この記事の以下の)テーマがあります。ここに言及するので、キョーギタイマガジンにもいれました。

きっかけは尊敬できるおばあちゃんとの11年のおつきあい


ちょっと誤解を招くかもしれませんが、このおばあちゃんは、母のことです。ただ、わたしは、母だから晩年、世話をした、いう感覚はほとんどありません。人として尊敬できる、そして、かわいげのあるおばあちゃんだったから、という認識がはるかに大きいので、このように表現しています。

当初は、下肢の不調程度でした。11年というのはここからカウントしています。それに呼吸器の障害が加わり、徒歩での移動に大きな制約が生まれました。また、生活には直接影響しないものの、持病から、かなり複雑な食事制限が必要になりました。このときを境に、一切の家事はわたしがするようになりました。続けて、一往、アルツハイマー型と診断されていますが、ちょっと典型的なアルツハイマー型とは異なる部分も目立つ認知症が加わります。最晩年の2年は、わたしのミスで転倒骨折をしたため、車椅子生活となりました。医療過誤とはいいきれませんが、手術ミスなどもありましたが、それをなんども乗り越えて、あくまでも自宅での生活を目指し続けました。しかしついに11年目、誕生日を祝った後、カテーテルをいれかえる手術のために入院(当初は日帰り入院の予定)しましたが、病状がおかしいと、手術が延期になり、そのまま自宅にかえることはできませんでした。同時に11年におよぶわたしの「趣味」がおわりました。そう、わたしにとっては、介護でもなんでもなく、最後は趣味の世界でした。
この過程で知り合った、介護職の方や、市役所の長寿社会課のみなさんなどなどから、お声がけいただいて、協議体活動やオレンジサポーター、RUN伴などに参加するきっかけになったのでした。

安心して暮らせる町、そして、ジブンゴトということ

町は専門職が作るのではない
協議体活動も、RUN伴も、あんしんして暮らせる街(町?)を目指しています。そう、町なのです。
いずれにしても、協議体でいえば、福祉活動を長年続けてきた方々、町内会活動や民生委員などを長年してきた方、RUN伴は、介護福祉系の職業の方が圧倒的多数です。私のように、(引っ越しが多かった影響もあり)地域活動にはほとんど参加しておらず、福祉医療系の職業でもない人は、他に思い当たりません。
でも、いずれの活動も、主役は住民です。そして、住民のための活動です。もちろん、専門の目線は圧倒的にすごいし、圧倒的知識もあります。でも、住民という当事者だからこその側面は見逃すわけにいきません。
アウェイ感がとてつもなく大きい中ではありましたが、このような活動は、この専門家ばかりの集団に、素人、一住民、いや、それだけではなく、異業種、異文化いろいろな目線や考えがあわさってこそではないか。そう思うようになりました。病院や施設を作っているわけではないのです。町を作るのです。そうしたら、特定の専門職ばかりが集まることは、決してプラスにはならない。そうわたし自身は確信しています(それはわたしのライスワークでも同じ。同業者が研究会とかたちあげてやっても、クライアントの目線がないとうまくいきません)。

若くても自分ごと
そして、わたし自身も、もう、ジブンゴトとして考えても早すぎない年代です。協議体活動は、たしかに高齢者と区分される方々がほとんどですから、わたしなど、最年少どころか、2番目に若い人との年齢差も相当ある段階です。
先日も、協議体の会合で、若いひとたちに協議体活動が必要であることをどうしたら伝えられるか、ということが話し合われました。このままだと介護保険料が高騰します、と訴えても(これはかなり具体的になっています。コロナでその危険が前倒しになったことあります)、介護保険料は40才未満ははらっていません。また、別に高齢者福祉の話だけではないけれど、どうしても、(現役世代は勤めにいって地元との接点が少なく、高齢になると地元に残るので、地域の生活支援というと)高齢者の生活支援の目線だけでとらえられてしまいます。かりにそうだとしても、同居の祖父母、親が、協議体の目指す地域の支援が必要になったとき、少なくとも今の日本社会も、日本の制度も、家族がまずは面倒をみることを前提に動いています。そうすると、今年新卒で会社にはいった22才のあなただって、ジブンゴトとして関係する可能性があるんですよ、ということを強調することが提案されていました。

そんなわたしができるかもしれないこととして
さきほども書いたとおり、誰もが自分より上の年令の「高齢者の経験」はありません。だから、本当に歳を重ねた方の困り事への気づきは、実際に歳を重ねた経験のある方に勝てません。
それをどうケアするのか、ということも、介護職など、その専門の方にはどうやってもおよびません(ただし、専門家だからみえなくなってしまう事態が発生したときに、外部目線のヒントはなげかけられると思います)。

では、わたしはここにいていいの?? なにか役にたつの?

できることを楽しく自然にやり続けることが大事。ということも、協議体の活動を通じて、学びました。長年地域活動をして成果をあげたみなさんのお話をきいていると、小さいこと、できること、そして、楽しいことをただただ続ける。成果をあげるコツ、ヒントは、究極はここにあると思うのです。決して、地域の役に立とうとか、そんなことはどうでもよく、できること、楽しいから続けているが基本だ、ともいうことができます。

それを、この場面の自分にあてはめると、私は、イベントにできるだけ参加することはできるではないか、と思い、いろいろなイベントにいくようにしています。
そしてもう一つ、わたしの仕事がら、仕事上でであう方々にお伝えすること。とくに、最近は、社会起業なんて大げさなことをいわなくても、地域貢献を真剣に考えている中小企業はたくさんあります。そういう社長さんと雑談して、その中で、たまたま地域社会のことが出てきたら(そんな大きなことではなく、隣の猫が最近心配なんだ、というはなしでも十分)、協議体のことをはなしたり、RUN伴のことをはなしたり。
実際それで具体的な事業計画をたてて、CSR活動の一つとしてですが、進出をしたお客様もあります。そうやって、橋わたしをしたりすることは、ちいさいことですが、できることで、楽しんでできることだから、まずは、ここからやってみたい、と、この数年は心がけています。

そして、私のように、(相対的に)若くても、仕事していても、関心をもって、できることを実践しましょう、と。いやいや、言うだけでは説得力がないので、自分がまずはそれをやっているわけです(それ以上に楽しいから、というのは言うまでもありませんが)。専門職だけが、高齢の当事者だけが、あんしんして暮らせる町を作るのでは、けっして、ないのです。

汎用的な仕組みだから、切り口として根本に向う

そしてもう一つ、わたしが、協議体活動や認知症施策の支援、協力をしていきたいと思う理由があります。

それは、物理的にも心理的にも、汎用性が高く、およそ人が人とおつきあいする、その前提として、自分と向き合う基本ではないか、と考えていることです。

たとえば、「認知症の方とは、○○をこころがけて接するとよい」というテーマあるいはテクニックがあったとします。これ、「認知症の方とは」を、どんな人をあらわすカテゴリーにおきかえても、通用します。しかも、それが行われるために、著しく認知症以外の方にとって迷惑になることはあまりありません。だから、結局、「認知症になっても安心して暮らせる街」は、「だれにとっても安心して暮らせる街」だとわたしは考えています。
「物理的にも」としたのは、認知症の方がまちがえないように配慮する表示とか設備は、それは、若くて元気で、とくにその中でも能力のすぐれている人には、必要ない設備なので、お節介に感じるかもしれません。でも、ちょっと体調が悪くて判断能力が下がってしまっているときにおこしてしまうようなミス。たとえば、そういうものを防ぐことにも寄与できるものだと思います。こう考えると、物理的な施策も、万人に役立つといえないでしょうか。

人の営み。それぞれの切り口は必要だけど、通底している

冒頭近くで「RUN伴の活動と、協議体活動は(今のところ)組織的にはベツモノ」という微妙な表現をしました。
でも、上記の汎用性のお話でもあたりまえのように同一に扱って綴っています。底辺、土台は同じ。いや、人の生活そのものなのだから、違うはずがありません。
ただ、最初から幹、土台、底辺で扱うと、ものごとが大きくなりすぎます。さきほども書いたように、小さい、できることから、が大切だとも思うのです。だから、それぞれの切り口で活動しているけれど、つながりあっている(協議体とRUN伴のことだけでなく、他の福祉課題、いやいや、人の文化活動、経済活動も)、ということも意識することは大事ではないかと思うのです。
「いつまでも」、あるいは、「認知症になっても」、「安心して暮らせる町」。それは、テクニック的に向き合うような性質のものではなく、根本から見直していくべきもの、根本から作りなおしていくものではないか。少なくとも、そういう視点はもち続けていたいな、と思っています。(この点、この記事の連載などは、強く賛同することが多かったので、リンクしておきます)。

さて、今年もRUN伴ぐんまの花プロジェクトのマリーゴールドが無事にさき始めて、その写真をおさめたことをきっかけに、記事にしました。歌系趣味の記事を綴っているくせに、昨年は歌プロジェクトには参加しなかったので、今年は参加したいな。

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