先生に殴られても
※センシティブな内容が含まれます。 ご注意ください
今から30年以上前 発達障害とか グレーゾーンとか そんな言葉は世に浸透していない時代。
私は変わり者で 幼稚園や 小学校でいつも浮いている存在だった。
幼稚園の時、お遊戯の時間。
お遊戯体操が はじまっても 私はウサギ小屋にいた。
ウサギの餌やりに夢中になるとお遊戯のことは頭からすっぽり抜けてしまう。
工作の時間、みんなで揃って同じものを作らなきゃならないときも、折り紙を目にした瞬間、勝手に好きなものを作り出し 先生に叱られた。
小学校に入っても 私は 集団行動が苦手なままだった。
授業中、窓の外の蝶々を見つければ、先生の話そっちのけで ずっと蝶を目で追った。
先生に注意されると そこで
(しまった)と気が付き
「蝶々がいたので…」と言い訳をして
先生に呆れられた。
その他
宿題やらなかったり
毎日忘れ物をしたりた。
やる気が無いわけじゃないのだが、
目の前にやりたい事がでてくると
宿題や明日の予定が疎かになった。
こんな空気の読めない、協調性もやる気もない同仕様もない私だったが
それでも優しくしてくれる友達はいて
クラスの仲間に入れてもらっていた。
ただ小学校5年生になると そんな状況も変わっていった。
それは 新学期、 5年1組 クラスの担任がA先生になった時からはじまった。
私は A先生に目の敵にされてしまったのだ。
A先生は60歳近くの初老の小太りテカテカおじさんだった。
元々体育が専門のようで いつもジャージに竹刀を持ち歩いていた。
流石体育の先生(他の教科も教えていたけど)
集団行動には めちゃくちゃ厳しかった。
集団の和を乱す生徒は、男子だろうが女子だろうがゲンコツが飛んできた。
A先生のゲンコツは体育の授業だけではない。
忘れ物をすると 立たされ 頭をゲンコツ。
授業中にぼーっとしていればゲンコツ。
とにかくよくゲンコツする先生だった。
そのゲンコツがとにかく痛かった。
ゲンコツされるのは 主に男子やどんくさい女子なのだが
どんくさい女子代表の私は
クラスで1番ゲンコツされた。
私はそれが恥ずかしくてたまらなかった。
女子なのに、男子よりも怒られて毎日のようにゲンコツされてるなんて恥ずかし!!
しかし 私も私だ。
忘れ物や集中力のなさは一向に直さなかった。
ちなみに宿題はゲンコツされてもやらなかった。
ある日のこと、
例のごとく 忘れ物をした私。
「お前!いい加減にしろ!!!」
A先生は私に激昂した。
「馬鹿野郎!!お前は障がい者か!」
クラスメイトの前で怒鳴られ張り倒された。
痛さと恥ずかしさで目元がじわっと熱くなる。
惨めだったが 泣いたら余計惨めだと思い
唇を噛み締め、下を向いて
無言で自分の上靴をみ続けた。
心のなかで、先生の怒号が早くおさまるのを祈った。
それ以降も 私は事あるごとに A先生に怒られて暴力を振るわれた。
体育の授業で列を乱したとして、
後ろからお尻を蹴りあげられた事もあった。
私がドッチボールでボールから逃げる姿が無様で A先生から
「見てみろ!」
とみんなの前で笑い者にされたこともあった。
A先生は私のことを 「何もできない馬鹿野郎」として扱った。
今思えば 児童虐待でしょうが、
30年以上も前の話。
大事になることはなかった。
何より 私は恥ずかしくて親に言えなかった。
それにA先生に暴力を振るわれるのは、
皆と同じようにしない私が悪いと思っていた。
実際、私は可愛げはなかった。
叱られても 殴られても 直さなかった。
なんで 直さなかったか 自分でもわからない。 当時の記憶は断片的で 思い出せない。
地獄のような 日々が続いた。
辛かったのは 先生が私に厳しくすればするほど
クラスメイトの男子は私を キモい存在として扱った。
元々変わり者として見られるのは良かったのだが
キモいに存在になったのは 悲しかった。
それでも
今まで通り仲間でいてくれる子達もいた事が私の救いだった。
春休みが近づき 私は 心躍らせていた。
ゲンコツ地獄から 離れられる!
A先生じゃなきゃ どの先生でも良い!
新しい先生 A先生より悪い人はいないはず!
わくわく 過ごした春休み。
だけど…
神様は私を嫌いなんだと 思った新学期。
6年1組
(クラスメイトメは2年ごと変わるので5〜6年は同じ)
担任は A先生だった。
まさか…まさかでしょ
私の地獄は1年延長されたのだった。
A先生との関わりで 私は 心に傷を負った。
私は 長い間 卑屈で 自己肯定感が低くて
人間大嫌いだった。
でも、 人から認められたくて
自己顕示欲が強くて 被害的で
兎に角面倒くさい人間に成長した。
30年経って 振り返ると 色々あった
ずっと生きづらくて 苦しくて
医療や、カウンセリングの力を借りた時期もあった。
生きづらいのは 生育歴のせいだ!
と、 自分の産まれた環境に絶望した時期もあった。
自分の不幸を言い訳に 周囲の人を傷つけた。
私は 自分にしか目が向かなくなっていた。
自分の心にばかり敏感で
周りの気持ちには鈍感になっていった。
私は自分で ぼっち選択したのだ。
それでも 私は人に恵まれた。
私の周りの人は いつも みんな とても 優しい
そのお陰で
楽しく 生きてこれた。
自分を責めても 他人を責めても 意味ないと気がついた
行き着くとこはみんな同じなら
深刻になるのやめようと思った。
生きていくなら
どんな ことがあっても
深刻にならずに
出来るだけ 気楽に
出来るだけ 楽しく
そして 自分にも 周囲にも 誠実に
これが 今の私の答えだ
A先生 私は元気に生きてます。
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