第4話 親子丼
帰宅して早々玄関に座り込む。
今日は疲れた。雨のせいなのかダルかったし、週末はお客さんが多くて、いつもより忙しかった。
こんな日は栄養なんか二の次。今食べたいものを食べるのが一番。自分の心に「ご注文は?」と問いかけてみる。
卵が食べたい。卵焼きじゃなくて、もっと緩くてトロトロの卵。でも卵かけご飯じゃ物足りないかも。それなら──
「親子丼だな」
そうと決まったら、気が変わらない内に動き出す。
勢いよく立ち上がり、トートバッグをソファに投げて、キッチンへ向かった。
時間がかかるものから処理を始めるのが基本。冷凍しておいた鶏肉を電子レンジの解凍モードにセットして、スタートボタンを押した。
その間に具材を切る。でも、いつも使っているまな板は、大きくて洗うのが面倒くさい。
こういうときは、ちょい切り用の薄くて小さなまな板のお世話になる。ペティナイフで玉ねぎをササっと細切りにしちゃう。
フライパンに玉ねぎを入れたら、麺つゆとお水は目分量でドバっと。でも一応、味見はしておく。んー、あとちょっとだけ麺つゆを足して……うん、丁度いい。
ひたひたになった玉ねぎを沸騰するまで火にかける。さっきからピーピーと私を呼んでいる電子レンジの扉を開ける。鶏肉は冷凍する前に一口サイズにカットしてあるから、そのままフライパンに入れちゃってオッケー。
この作り方は、大好きな料理マンガに載っていたレシピを参考にしている。
漫画に登場する女の子は私と同じ一人暮らしで、遊びに来た友人に料理を振る舞う話。
引っ越したばかりであまり調理器具が揃ってなかった頃に、女の子の「簡単だよ」という台詞を信じて同じように作ってみた。本当に簡単で、しかもあっという間にできて美味しかった。
以来、私にとって、どんなときでも大丈夫になるお守りのレシピとなっている。
鶏肉にもしっかり火が通ったのを確認して、お椀に玉子を割っていく。今夜は贅沢に3個使っちゃおう。カロリーを恐れるな。菜箸でカチョカチョと混ぜるとき、あえて白身を残すのが私の好み。
フライパンから、くつくつ、ぷくくと音がしてきた。溶いた卵を回し入れて、混ぜないでフタをする。そして、30秒待つ。
1分ならタイマーのボタンは1回で済むけど、30秒は30回押さないとセットできない。面倒だから、どんぶりにご飯をよそいながら自分の口でカウントする。
「……28、29、30」
火を止めてフタを開ける。濃い金色の黄身がツヤツヤと光っている。ここで乱暴にどんぶりに乗せると、汁と卵が混ざって、せっかくのバランスが崩れて台無しになる。慎重にフライパンを斜めにしてどんぶりへと滑らせていく。手を抜く場面とこだわる場面、何事もメリハリが大事だって、ばあちゃんも言ってた。
こだわりといえば──あれを使うときだ。
先週からテーブルに置きっぱなしの箱を手に取り、開封する。
前にあんみつを食べに行ったお店で、臙脂色のスプーンと出会った。樹脂製で、レンゲよりも緩やかな曲線のスプーンは、口当たりがとても滑らかだった。甘味を食べているのに親子丼が頭に浮かんだ。
どうしてもこのスプーンで親子丼が食べたくなって、その日に同じものをネットショップで注文した。
一度洗ったスプーンをどんぶりに突っ込む。お汁を纏ったご飯と揺れる卵を、まずはひとくち。
「んふ、ふふ」
人間って、美味しすぎると笑っちゃうらしい。これも漫画の一コマの台詞。
あと、やっぱりこのスプーンを買って正解だった。掬った卵と米は、なんの抵抗もなく舌の上につるりと落ちていく。
麺つゆの甘じょっぱさが米とよく合う。鶏肉がぶりんぶりんでたまんない。どんぶりを鷲掴み、次、また次と口へ運ぶ。最後の一粒まで掻き込んでいく。
完食した頃には、シャツの中で汗がつつーっと背中を伝って流れていった。
「あ゛〜、風呂入るのめんどくさぁい!」
何事も親子丼のモチベーションで取り組めたらいいのに。