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デススト〜今日もどこかに「ひとりぼっちのあいつ」がいる


「デス・ストランディング」を全クリ。

ゲームというメディアのインタラクティブ性を最大限に活かした、実に小島監督らしい作品だったなと。

本作は小島監督の作家性、特に監督の抱える「孤独」な側面が過去作――「メタルギア」や「ポリスノーツ」以上に垣間見れて、そのあたりがプレイしてる中で一番心に迫ってきました。

例えばオープニング。リバース・トライクでDS後の荒野を疾走するサムの姿は、まんま仮面ライダーを彷彿させる。 

60〜70年代は家庭用TVの普及と相まって、過剰ともいえるヒーロー・ブームが到来した。(中略)今振り返れば、そんなヒーロー飽和状態のなかで僕が憧れたのはなぜか「ダーク・ヒーロー」だった。(中略)陽の光を拝むこともない。だれにも評価されることはない。(中略)彼らはみな哀愁を背負っている孤独なヒーローだった。そんな僕らに最も影響を与えたヒーローが「仮面ライダー」だった。

『僕の体の70%は映画でできている』より

自らの著書の中で仮面ライダーの魅力、そしてライダーの抱える孤独について論じていた小島監督が、ただ一人バイクで疾走するサムの姿に仮面ライダーの姿を照らし合わせないはずかない。だからオープニングを見た瞬間「これは孤独の物語なのだ」とピンときた。

また、自分が設置したアイテムが他のプレイヤーにもシェアされることで間接的に他者の存在を感じていくデススト特有のゲームデザインは、監督が初めて「タクシードライバー」を観た時の体験が色濃く反映されているように思える。

監督は自らの著書『僕が愛したMEMEたち』の中で「タクシードライバー」の魅力をこう論じていた。

しかし、僕がこの映画(タクシードライバー)に感涙したのは物語にでも演出にでも、役者の演技に対してでもない。この映画でトラヴィスの孤独を追体験して、自分も同じような仲間が世界の何処かにいる事を知ったからである。「自分をひとりぼっちだと思っているのは、自分ひとりだけではない!」僕と同じ様な孤独を抱えた男が今日も世界の何処かでタクシーを流している。そう思うと、寂しさが安らいだ。

『僕が愛したMEMEたち』より

デスストには、まさに小島監督のリアルな人生経験そのものが落とし込まれているといっても過言ではない。だからこそ、デスストから発せられる孤独のメッセージには圧倒的な説得力や共感力が宿るのだ。
(管理人も高野悦子の『二十歳の原点』を愛読書にするくらいは根暗な人間なので、ストーリーや登場人物たちへの感情移入が終始半端なかった)単に面白いだけではない。重厚なゲーム体験がそこにはある。デスストをまだ遊んだことのない方は、ぜひ一度プレイしてみて欲しい。

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