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『君は永遠にそいつらより若い』

2024/12/4
津村記久子,2005,筑摩書房.

ごはん屋さんにしろ喫茶店にしろ、都会の大通りに面したところより一駅ないし一本逸れたところのほうがひっそりしててよい、という自論をふんわり持っているけど、通りに面した喫茶店も思いのほか雰囲気があってよかった。路線バスで夜の町をとろとろ帰る時の車窓の眺めが私は好き。それに似て、喫茶店2階の窓辺の席から通りを見遣ると、視界が赤くて青くてキラキラしてる。
退勤して書店に寄って文庫本3冊とアロマキャンドルと上野リチデザインのメモブロックを買って、喫茶店の端の席を取り、ビーフシチューとホットコーヒーを頼んだ。津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』を読む。いいかんじ。いいかんじの夜だ!

20時半くらいに入ってごはんを食べて、コーヒーをおかわりして23時までいた。面白い本ってやっぱりこんなびゅんびゅん読めるんや。あとちょっとあとちょっとと思って帰りの電車でも読み続けて、最寄り駅のベンチで、あとちょっとやから読んじゃお、すぐやろ、と思って、電車を3,4本見送って読んで、でもその最後の数ページが、すごくて、すごくて、ちょっと想定外の大ダメージを受けた。
公共の場で夜中に、振り返ると恥ずかしけど、ちょっとだけ過呼吸みたいになっちゃって、でも読み進めるのをやめられなくて、サラリーマン2人が隣のベンチにやってきて、少し平静を取り戻して、なんとか読み終えたころに駅員さんが歩いてきて、迷惑やから早よ帰ろと思って立ち上がった。
地上に上がる階段で、外から吹き込む風が汗をかいた分だけ寒くて、コートをかきこんでハアハア言いながら歩いてる私はインフルエンザの人みたいに見えるかなとか思いながらなんとか帰った。

行方不明の少年や、虐待を受ける子ども、友人の過去、小学校時代の自分、自死した知人。かれらの輪郭が滲んで重なり、「妄想的」で「変」だと自称する語り手の内部に入り込んでいくように、かれらは小説世界の壁を跨いで私の大切な友人や私自身とも同期する。言葉も出ないような物語を目の当たりにして、私はその傷を間接的に経験しては勝手に打ちのめされるけど、他人の傷を掠め取るのはズルなんじゃないかと不安になる。(私はここまでひどい経験「は」していない。)でもやっぱり、紙一重で直面し得た暴力を、私は近い関係の人やフィクションの語りを通じて経験していて、女であり子どもであった私、そして私たちは、かろうじてよくこの歳まで生きてきたなと思ってしまう。

タイトルだけ知って読まなきゃと思っている期間が長かったから、知人の評価を以前に聞いているはずだけど、ずっと前の話なので何を言っていたのか思い出せないし聞けもしない。せめて明後日いっしょに読書会をする相手が語ることは忘れないようにきちんと聴きたい。
佐久間由依主演で映画化してる。これ映像で観る勇気あるか?と思いつつ、観てみたい。いや場合によっちゃ小説のほうが強烈だってこともある、克明な描写に目を背けたくなっても自分でページをめくらなきゃいけないんだもの。ちょうど今週末は『ナミビアの砂漠』(2回目)を観に行く。その前にこの小説に出会えてかなりよかった。

直近、この2,3週間で出会った小説。挙げ出すともうキリがないから、魂レベルで脅かされた良作だけを。
・中島京子『FUTON』
・長谷川まりる『杉森くんを殺すには』
・高瀬隼子『犬のかたちをしているもの』(再読)
数週間で3度も4度も魂レベルで脅かされてて、大丈夫か。
良い作品との出会いは交通事故みたいなもんで、全然そんな予定じゃなかったのにいきなりでかいショックを受けて、少なくとも一晩は安寧な眠りを没収される。でもこういう出会いが時々ないと、いろんなことを考えたり感じたりできなくなっちゃう。考えたり感じたりしなくても、むしろしないほうが、するする生きていけてしまう。つらい思いは正直したくないんだよ。ぼんやりしてたい。眠りたい。明日も仕事なんだから毎日安寧に眠りたい。でも過去のnoteを振り返ったら、学生時代の自分のほうが思考が鋭利で強くて優しくて、かっこいいなと思ってしまう。

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