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ミニマムとマキシマムのあいだ。ー断捨離をしても捨てないものー


「モノを持たない暮らし」がポピュラーになって久しいけれど、かくいう私も、そんな生活、はたまたそんな考え方に惹かれているうちの一人です。


「モノを持たない考え方」みたいなものは、もうすでに本やらネットやらに様々書かれているし、いっそ周知の事実、という感じなので、バッサリ割愛するとして・・・

今日は「(どちらかと言うと)モノ持ちたくない勢」の私が、あえて「捨てないモノ」のお話です。



私が断捨離に目覚めたのは2020年3月頃のこと。

世はコロナウイルス第一波。在宅勤務で時間に余裕ができたことをきっかけに、じゃんじゃん捨て、じゃんじゃん売り、じゃんじゃん整理し、この時はもう豪快に手放しまくっていました。


もともと持ち物の量は人並み程度だと思っていたので、手放すモノがこんなにもたくさんあるとは・・・。だれだってそうだと思うのですが、もともとは全て必要があると思って持っていたし、もしくは存在を忘れて置きっぱなしになっていたりして、「モノは自分が想像しているよりも要らない」ということに、この時初めて気がつきました。



「ミニマリスト」とまではいかないけれど、「すきなものだけを、把握できる量だけ持つ」という考え方をするように。

長年の癖だとか、仕事のストレスだとかで、たまに買い物を失敗する(買ったものの使わなかった/衝動買いで、そこまで気に入っていないetc)こともあったけれど、基本的にモノの量は一定を保っていました。



当たり前のことを書いてしまうようなのですが、私にとってはそれが心地よかっただけ、です。

私はミニマムな暮らしが絶対的に「正しい」とは思っていないし、だれかに強く勧めたりもしません。たくさんのモノに囲まれて暮らすのが幸せな人も居るし、それによって得られる充足感みたいなものだってある。どちらの暮らしも良いのだから、すきな方、心地よい方、合っている方を選べばいい。時は2021年。何事にも、選ぶ権利がいつだってあるし、あるべきだとも思います。

だから私は「ミニマム」と「マキシマム」の間くらいに身を置こうと思って、ストイックすぎず、かといって買いすぎず、心地よいことを重視して暮らしています。



私が断捨離に目覚めた時、一番手放したのは洋服。その次は「靴」でした。

スニーカー、パンプス、革靴にブーツ、サンダル・・・。

スニーカーだってハイカットとローカット、パンプスだってヒールありにぺたんこ、ブーツだってショートブーツにロングブーツにムートンブーツ・・・。

靴箱の奥底まで手を突っ込んで、次々に出てくる靴たちを整理。ゴミ袋・大は3枚くらい満タンになりました。もちろん、靴だけで。



そして残った靴は計7足。

ミニマリストにしては多いし、28歳の女にしては少ない方だと思います。これを機に、私はミニマムとマキシマムの中間地点に居る、と自覚することにもなりました。



「本当はもっと手放せるのでは?」

そう自問したこともあります。

でも手放さない。理由はカンタン、手放したくないから、です。



7足のうちの1足に、コンバースのオールスターがあります。

ローカットタイプで、色は黒。

「なるほど、定番で着回しやすいから置いているのか!」と言われそうなのですが、実際それもそうなんですが、私がこの靴を手放さないのには別の理由があります。



私はモノを捨てるのが好きだし、汚いもの・古いものはあまり好きではないです。だから古くなれば躊躇なく捨て、必要なものは新調します。

コンバースのオールスターは定番品。どこの靴屋さんにもたいてい売っているし、街に出ればたくさんの人が履いています。だから古くなれば買い替えればいいし、特別 貴重なものでもないわけです。


でも、私はこの靴を一生捨てないと思います。


普段は掃除すら億劫で、ずぼら代表の私。モノのメンテナンスなんてもってのほか。しかしこの靴だけは特例です。新しい汚れがついたらすぐに拭き取り、こびりついた汚れは自分の手でゴシゴシ洗います。破れた箇所は修理に出して、靴紐まで丁寧に洗います。

モノを大切にする人からは「なにを当たり前のことを」なんて叱られてしまいそうですが、ずぼらな私にとっては特別な行動です。

面倒だけど、億劫だけど、買い替えればいいけど、でもお手入れします。この靴じゃないとダメだからです。



私がこのスニーカーを持ったのは数年前。大切な人が買ってくれたものでした。

当時の私は白いスニーカーが欲しくて、買い物に出かけては靴屋さんを物色していました。尊敬する先輩と会った帰り道、たまたま通った靴屋さんで、いつも通りアイボリーやら白やらを試着。どうにもしっくりこなくて悩む私に、買い物に付き合ってくれていた先輩が黒を勧めてくれて、履いてみたらすぐに気に入りました。白が欲しかったけど、似合うのは黒だったんですよね。これにします、と決めた私に、先輩がプレゼントしてくれたのです。

先輩とは今はもう簡単に会えない距離に居て、時とともに記憶も色あせて、だからこそ贈って頂いたものを大切に履き続けてきました。


と、長々書いてしまったけれど、要するに思い出なんです。このスニーカーには大切な記憶が詰まっていて、想い出すだけで心が躍り、時の流れに切なくなり、贈ってくれた人のことを考える。モノにはそういう力があるんだなと思います。


片付け本には「思い出のモノを捨てても、思い出は消えない」と書いてあったりするけれど、それは少し違うと思います。確かに思い出のモノを捨てても思い出は消えません。だって記憶はもともと目に見えないものだから、消えようがない。でも「忘れる」んです。消えないけれど、忘れることはある。そう思います。


私は今までたくさんのモノを捨ててきたし、「モノを見ないと思い出せないような記憶なら、不要だろう」と考えたこともありました。でもそんなことはないです。「モノを見ないと思い出せないような記憶」でも、たとえそれが悲しみや怒りにまみれた記憶だったとしても、「忘れたくない」ことなら、私はモノごと、置いておくべきだと思います。


人は忘れる生き物です。忘れた方がいいこともたくさんあるし、忘れた方が楽になれることもたくさんある。

それでも「忘れたくないモノ」をかき集めて、大切にして、生きていく。パッと見て不要だと感じても、人から不要だと言われても、なんでもかんでも捨てるのではなく、抱えて生きる。

そういう生き方もいいんじゃないかなと、「モノを持たない暮らし」が流行する今だからこそ、考えたりしています。



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