芸術祭は年に一度のせんたく日

2024.10.26
今日は母校の芸術祭だ。
嫌な顔をして文句を言いまくるベテランカメラマン(ババア)を振り切って、
私はこの日のために
繁忙期真っ只中の土日に休みを取っていた。
昨年までは母校近くの自宅から、徒歩で芸術祭へ行けていたが、
今回からは
私は完全にお外からの客である。
毎年芸術祭を訪れるようになってから初めて、
近くの駅から、同じく芸術祭目当ての大勢の客たちと共に、
大学行きのバスに乗り込んだ。
乗客の格好や会話を見るに、
やはり在校生やOB・OG、受験生も大勢いるようだ。
そうか、
このバスに乗っている半数近くの人達が
同じ苦しみを乗り越えた美大生・元美大生、
もしくはまさに今苦しんでいる受験生達なのか。

ふと思った。
私は、あの頃の自分に見合うだけの
今を生きているだろうか。
血反吐を吐く勢いで毎日
不安と苦しみに苛まれながら、
筆と鉛筆を握り描き続けたあの頃の私に、
胸を張って伝えられる暮らしを
今の私はできているだろうか。
ただ散漫に暮らしてはいないか。
惰性で生きてはいないか。
あの頃きっと掴み取れると信じて、
夢中で目指した輝かしい将来は
これの事だったのだろうか。

最近やっと舵を切った。
輝かしい将来を目指して、
思いきり切ったつもりだった。
場所を変え、新天地で一からまた始めれば
目指す先へ
ちょっとでも進めた気がした。
たしかに環境も状況も収入の安定度も変わりはしたし、
外から見れば前進しているように見えるかもしれない。
しかし、それだけでは
本当の意味で前に進めてはいないのだと思う。
なぜなら自分の外側(環境や状況、方針など)は変わりこそすれ、
自分の気持ちはそれほど変わっていない。
半年前まで住んでいたマンション周辺を歩いていて
それに気付いた。
私の心はまだ、ここに居る。

私の肉体は引っ越しても、心はまだ引っ越せていない、と感じた。
歩きながら、
このまま真っ直ぐマンションの外階段を上がり、
3階の部屋のインターホンを2回連打したら
母が鍵を開けてくれて
扉を開けたら半年前のままの部屋が
私を待っているように思えて。
気を抜いたら本当に
あの部屋まで帰ってしまいそうだった。
もう当たり前に新たな入居者が住んでいるあの部屋へ。
私はなんて未練がましい性格だ。
執着心が強く、何も捨てられない。
いつまでも手放せない。
でも、
何も捨てなくたって、
未練タラタラのままだって、
それら全てを後生大事に抱え込んだまま
それはそれは重いけれど、
それでもちょっとずつ歩みを進める人生だって
あっても良いのではないだろうか。
そういう奴だって、
ちゃんと前へ進めると信じたい。

だから、
この胸の寂しさや未練、後悔をそのまま東京から引き連れて帰り、
苦しんで血反吐吐きながらも良き未来を信じて目指した
あの頃の自分に報えるような、
今を生きられるように
またぐるぐる愚かに考えようと思う。


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