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熊野古道(中辺路)を一気に歩こう!(5/5)

 世界遺産登録20周年を迎えた熊野古道の中辺路を歩いてきました。分割、部分観光も良いけど、やっぱり当時の熊野詣を体感するには一気に歩くのが一番だと感じました。
 熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社の熊野三山を含む主要ルートである中辺路は、紀伊田辺駅から新宮駅をつなぐと約140kmにもなります。ゴールデンウィークを利用して5日間かけて歩くコースをご紹介します。

時期

5日目(最終日) 2024年5月5日 ゴールデンウィーク

アクセス

 過去の記事をご確認ください


紹介コース

舟見茶屋跡~熊野那智大社~飛竜神社~多富気王子~市野々王子~補陀落山寺・浜の宮王子~大狗子峠~小狗子峠~佐野王子~高野坂~浜王子~阿須賀神社~熊野速玉大社~神倉神社~新宮駅
距離:34.2km 登り:771m 下り:1,623m

舟見茶屋跡~熊野那智大社

 最終日も素晴らしい朝でした。熊野那智大社は近いので朝食は省略して行動食を食べながら5時にスタートします。ビバーク地のゴミ残し無しを確認!感謝して下っていきます。
 舟見茶屋跡からは海から登る朝日は残念ながら見えませんでしたが、少し下ったところで木々の間から綺麗な朝日が射しこんでくるのが見えました。

舟見茶屋跡の朝(朝日は左の方)

 ちょっと歩いただけで左下に車道が見え、町が近いことがわかります。昨日よく眠れたので体力回復は十分です。
 だだっ広い場所に出たら那智高原公園に到着です。水場や自販機はありませんがベンチ・トイレありでフラットな草地が多いです。ビバーク適地ですが、公園なので張っていいのかどうかは悩みどころですね。公園内の下の方には東屋やロングスライダー等アクティビティも整理され、家族連れが公園でのんびり過ごすのに良い感じの場所でした。

那智高原公園

 案内板に従って那智の滝方面の下っていきます。まだ朝早いので静かですが、暫く歩いて行くと読経の声が下の方から聞こえてきます。朝のお勤め中の様です。
 行者堂の前を通って熊野那智大社にでます。まだ、時間的には境内のお掃除の最中ですが、さすがにここまで来るとこの時間でも既に観光客が歩いています。
 右に進むと大きなクスノキがあり、紅白の綺麗な社殿が現れましす。熊野那智大社に到着です。まずは、本殿にお参りしスタンプを押します。本殿の左に八咫烏の社がありました。八咫烏は導きの神鳥なので、山で道迷いしない様お参りしていきます。
 一旦参道の階段を下るとトイレと自動販売機があります。必要な方はここで立ち寄っておきましょう。仲見世エリアにも自動販売機は沢山ありますが、リサイクルボックスが置かれていないので注意です。

熊野那智大社

 本殿右の大楠は胎内くぐりができるので入っていきましょう!木の根元に大きな空間があり、通り抜けた後は谷あいの素晴らしい景色が見えて心が洗われる様です。
 本日は5月5日の端午の節句で、境内にも鯉のぼりが泳いでいました。見慣れない魚が泳いでいたので近づいてみると、どうやら鮪幟の様です。きっとこの辺が鮪漁がさかんな場所なのでしょう。

鮪幟

熊野那智大社~飛竜神社

 次に向かう飛竜神社は那智の滝がある場所です。那智の滝は熊野那智大社近くの高台からでもよく見える立派な滝で落差は133mあります。
 飛竜神社の白い鳥居から石段を下っていきます。ここの石段は右側通行と明記されているのでルールはちゃんと守りましょう!下りきったところが那智の滝の遥拝所になっています。飛竜神社は那智の滝がご神体なので、社殿はありません。見れば見るほどきれいな滝、ご神体としてあがめるのが分かる気がします。

飛竜神社(那智大瀧)

 飛竜神社は観光にも熱心なのか、やたら大きな御神籤や水御籤等(動画参照)面白そうなものも並んでいたので、ついつい小銭を消費してしまいます。奥は有料区間になっていますが、那智の滝により近づいて遥拝することもできます。

飛竜神社~多富気王子

 見落としがちですが登り返す階段の左脇に光ヶ峯の遥拝所もありました。今回は光ヶ峯まで登る余裕はないので、ここから遥拝しておきます。
 鳥居を越えたらお腹が空いていたので、どこかお店が開いてないか探してみると、鳥居のすぐ近くの「那智黒」さんが開いていました。お勧めの「滝うどん」を食べることにします。山菜・わかめ・錦糸卵・かまぼこののった関西出汁のうどんでした。美味しくて汁まで全部飲み干しました。

那智黒さんの滝うどん

 お土産もの屋併設でしたので物色したいところですが、まだ先は長く、ここで買うと荷物が重くなるので我慢して先に進みます。
 まだ8時頃でしたが熊野那智大社周辺はもう駐車場が埋まり始めていました。熊野那智大社からの下りは大門坂を通っていきます。石畳と石段で綺麗に整備された坂で、熊野古道を紹介する写真や映像で良く使われている場所です。有名どころだけに歩いている人がたくさんいました。

大門坂

 大門坂の終点近くまで下ると左側に樹齢800年の大楠があり、その陰に隠れるように多富気王子跡の石碑を見つけることができます。
 前回記事の豆知識に書いたとおり、当時の人気コースで熊野古道中辺路を巡っていくと、ここが最後の王子となります。「多富気」の語源は「手向け」だったらしく、最後にここで手向けの儀式をしたのでしょう。ちなみにここのお社は熊野那智大社に合祀された様です。

多富気王子

多富気王子~市野々王子

 多富気王子のすぐ下で大門坂は終了です。大門坂の終わり(始まり)には大きな夫婦杉があります。個人的には今まで見た夫婦杉の中で一番太いんじゃないか?と思うような立派な木で圧巻です。

大門坂の夫婦杉

 多富気王子のスタンプは、この夫婦杉を過ぎてすぐ右の建物の軒下にあります。普通に歩いていると見落とすので注意しましょう。
 その後は舗装路を降りていきます。ここでも観光客が団体でぞろぞろと大門坂へ歩いて行きます。熊野古道を外れて観光客の流れに逆らい歩いて行くと、すぐに大きな駐車場にでました。どうやらここに観光バスが乗り付けていて、みんな大門坂を登って熊野那智大社を観光しに行くようです。この駐車場には自動販売機とトイレがあるので必要な人はここで立ち寄ると良いでしょう。
 少し戻って、観光客の流れから離れ、案内板に従って熊野古道に戻ります。住宅地の通りで先ほどまでの観光客の喧騒が消え、一気に静けさが戻ってきます。そのまましばらく歩いて行けば、左側に市野々王子があります。
 以前は那智山のお社の一部となっていた様ですが、明治時代には独立して今の神社となった様です。

市野々王子

市野々王子~補陀落山寺・浜の宮王子

 市野々王子を出て進んでいくと、尼将軍供養塔への案内板があります。「熊野古道には関係ないか?」と勘違いして通り過ぎそうになりますが、念のため地図を確認すると、ここを曲がるのが正解の様です。尼将軍供養塔に向かって坂を登っていきます。
 すると、熊野古道の案内板が霊園の中に入る様促しています。「え?お墓に入るの?」と疑いつつお墓の並ぶ霊園の脇を歩いて行くと、突き当りから山道に入れます。その先に尼将軍供養塔を見つけることができました。
 尼将軍は源頼朝の妻、北条政子なのでイメージとしては鎌倉なのですが、ご存命の時にこの地域の維持に貢献したらしく、亡くなった後供養塔を立てて祭られているようです。現在の供養塔の位置は熊野古道が世界遺産に登録された際に移された場所らしいので、多くの人に立ち寄ってほしいというのがこの地域の方の想いなのでしょう。

尼将軍供養塔

 ここ、尼将軍供養塔から大通りに出るまでの短い区間は町中でありながら自然が守られた素晴らしいコースでお勧めです。側を流れる沢水は綺麗で、自然に暮らしているイモリの姿を見ることができました。生まれてこの方見たことがなかったので、まだまだ歩かなければならないのに暫くその姿を眺めてしまいました。

沢の中のイモリ

 静かな森を抜けて再び川沿いの車道を歩いて行きます。一部路地を通りますが、そのまま川沿いの車道を歩いていても同じ場所に出ます。
 しばらく暑い舗装路をあるいていくと左手に補陀落山寺があります。本堂に入ることができ、堂内でお線香や蝋燭を立て、お参りすることができます。ここの重要文化財でありご本尊の千手観音立像は扉が閉じられていて残念ながらそのお姿を拝むことはできませんでしたが、左右を護る二天立像(広目天と多聞天)を拝むことができました。境内には補陀落渡海を行ったとされる船の復元が置かれたりしていて興味をそそられます。

補陀落山寺

 補陀落山寺の隣には熊野三所大神社があります。以前は一体で信仰の対象となっていた様ですが、神仏分離令の際に分割され熊野三所大神社となった様です。実はここでお参りするだけで本宮・那智・速玉の熊野三山をお参したことになりますので、お時間がない方はこちらでお参りすると良いでしょう。今回は本当の熊野三山に参詣しますので、ここでのお参りは省略します。この熊野三所大神社が昔の浜の宮王子の様です。浜の宮王子跡の石碑は、入口の鳥居脇の大楠の下に設置されています。

浜の宮王子

 なお、浜の宮王子のスタンプは補陀落山寺境内の穂堕落山時のスタンプ台に、一緒に入っているので探し回らない様に注意しましょう。

補陀落山寺・浜の宮王子~大狗子峠

 浜の宮王子跡の右から暫く路地を歩いていきますが、ほどなく海沿いの国道42号に出ます。右手に南紀の海を眺めながら歩く道は気持ちが良いのですが、一方で日陰がまったくなくアスファルトの照り返しで暑いです。更に、歩道がなく路側帯を歩く区間が結構あるので、車の往来に注意して歩きましょう!
 しばらく歩いていると歩道が現れ、地味で目立たない看板に、「熊野古道はトンネルの右側から登る」という趣旨が書かれています。大狗子トンネルの手前で車に注意しながら車道を横断し、トンネル脇に近づいてみると案内板と階段を見つけることができます。どうやらここから大狗子峠に登るようです。

大狗子峠への入口

 急斜面が続く様に見えますが、実際はそれほど苦労なく大狗子峠(おおくじ)を越えることができます。

大狗子峠~小狗子峠

 「トンネル内歩いた方が楽なんだけどな~」と思いつつ、大狗子峠(おおくじ)を下って再び通りに戻ります。戻ったところに自動販売機があるので、ここで給水しておきます。やはり日陰無しの舗装路歩きは水分消費が激しいです。
 再び日差し降り注ぐ舗装路を歩いて行くと、次のトンネルのだいぶ手前に今度は左側に登る分岐があります。分岐手前に農家の無料販売棚が何個か設置されていますが、どれも空で残念ながら購入することはできませんでした。

小狗子峠の入口

 こちらはなだらかな登りで小狗子峠(こくじ)に到着しました。遠目には大狗子峠より標高が高そうに見えましたが、歩いてみると大狗子よりも楽に越えられました。

小狗子峠~佐野王子

 小狗子峠を下ると舗装路に出る前にスタンプ台がありますので押印帳をお持ちの方は忘れずに押していきましょう!
 線路を渡り、再び国道42号に出て海岸線を歩いて行きます。
 そろそろお腹が空いて来たので「宇久井駅前に何かあるかな~」と期待していましたが、自動販売機以外なにもなく残念でした。一応行動食は十分持っていますが、「座ってちゃんと食べたいな~」と思い、食堂を探しながら歩いて行きます。
 新宮港に停泊中の大きな船が遠望できるあたりで、左の方にKFCやマクドナルドの看板を見つけました!どうやらあの辺まで行けば何か食べ物にありつけそうです。歩く足にも力がみなぎります。
 看板の近くまで到達すると、大きなショッピングモールがあることが分かります。もうすぐモール入口という所で左手の擁壁の上に佐野王子跡を見つけることができます。食欲を押さえつつ、先ずは佐野王子にをお参りします。
 その昔はこの近くの佐野の浜で拾った小石を熊野那智大社までもっていって奉納する習わしが在った様です。 

佐野王子

佐野王子~高野坂

 ショッピングモールの駐車場周りには複数の食事処がありました。「一番地元っぽいところどこかな?」ということで、佐野食堂にはいりました。
 ここはお総菜を自分で取っていって最後に会計するタイプの食堂です。主菜も副菜も複数取って、ご飯も卵丼にアップしてお腹いっぱい食べることにしました。とはいえ、歩けなくなるのは困るので、ちょっとだけセーブします。とびぬけるような美味しさではありませんが、常食したい味で美味しく頂きました。
 ちなみに、マクドナルドやKFC、パスタ、洋食のほかに、モールを出てから中華屋さんもありました。モール内にはフードコートも在った様でメニューに興味をそそられましたが、本日は先を急ぐので未確認です。

佐野食堂

 結局、ちょっと歩くのが苦しいかも?と思うくらい食べてリスタートします!
 海辺の公園沿いに歩いた後は住宅地の路地に入っていきます。ここは案内板が少ないので、ちょっと迷走してしまいました。マップを再確認してルートを補正しながら歩きます。
 再び線路を渡ったら当時の古道が残されている最後の場所、「高野坂」に入ります。入口は家庭菜園の畑の様で、入って良いのか心配になりましたが案内板を信じて歩いて行きます。
 高野坂に入ると日陰が涼しく、木々のありがたみを感じます。道には石畳が残されていて古道感の残る良いルートでした。基本的に森の中ですが、一か所だけ高台から海岸線を眺めることができて気持ち良いかったです。

高野坂から見える海岸線

高野坂~浜王子

 高野坂を下りて再び舗装路に戻ります。通りに出たところで自販機があったので最後の水分補給です。なんか、もう今日だけで何本・何缶買って飲んだのかわからないくらい自動販売機で給水しました。
 広い通りを右下に南紀の海を見下ろしながら歩いて行きます。
 車道下を通る線路を越えたら、左側にある非常階段の様な階段を下って通りから離れます。海に見とれて通りをそのまま歩いて行かない様に注意しましょう!
 階段を下りたら路地のすぐ先に浜王子があります。
 浜王子はもともと熊野参詣で建てられた王子ではなく、稲飯命と三毛入野命が海神の怒りを鎮めるために身を投じた神話に由来する神社がもともとあった様で、後に海岸線の参詣道が整備される中で王子になった様です。

浜王子

浜王子~阿須賀神社

 浜王子を過ぎたらここからはもうゴールは間近です。看板に従って路地を歩いて行くと、阿須賀王子(神社)に到着します。
 熊野権現は神倉山に降りたのち、阿須賀之北(阿須賀神社)に勧請されたといわれているらしく、熊野信仰にかかわりが深い神社です。熊野速玉神社から海辺に出る通り道にあるので、多くの方が熊野速玉神社の後に訪れ参拝して行ったのでしょう。
 ちなみに主神は事解男命(ことさかのおのみこと)で黄泉平坂で伊邪那岐と伊邪那美が分かれたときに生まれた神とされ、縁切り・絶縁にご利益があります。

阿須賀神社

阿須賀神社~熊野速玉大社

 阿須賀神社から出てちょっとだけ路地を通りますが、その先は参道になっているらしく熊野速玉大社まではまっすぐの一本道です。
 熊野速玉大社は流石に観光客が沢山いました。境内では和歌山のミカンなどが売られています。
 奥へ進むと熊野本宮大社に似た配置で紅白の社殿が並びます。
 熊野信仰はこの近くの神倉山のコトビキ岩をご神体とする自然崇拝から起こったものなので、名前的には熊野本宮大社が一番の様に見えますが、実はこちらが起源の様です。
 熊野速玉神社は十三殿あるので、全部お参りしてしまうとお賽銭が大変なことになってしまいます。こちらも伊邪那岐・伊邪那美と天照大神を中心にお参りし、鳥居近くの八咫烏にも道迷いしない様お参りしていきます。
 この熊野速玉神社で熊野三山詣でコンプリート!お疲れ山でした!。

熊野速玉神社

熊野速玉大社~神倉神社

 さて、このまま新宮駅に向かっても良いのですが、先ほどの熊野速玉大社のご神体「ゴトビキ岩」は実はここではなく神倉神社に在ります。熊野権現降臨の地でもありますので、寄っていきましょう!
 熊野新宮大社から案内板に従って路地を南へ歩いて行くきます。熊野速玉神社からはそう遠くありません。どちらかというと大変なのは神倉神社へ着いてからでした。
 神倉神社へ到着し、さあお参りしようと鳥居をくぐると、気楽に立ち寄ったことに若干の後悔がよぎります。鳥居の先にはものすごい急な石段が続いていて、終わりが見えません。

神倉神社の壁の様な参道

 「最後にこれか~」と思いつつも諦める気は全くありません。荷物を近くのベンチに置いて登っていきます。
 疲れているとはいえ、流石に荷物を下ろした直後のスーパーサイヤ人状態で体が軽い。途中で休憩することもなく登り切ってしまいました。運動不足の方、岩場歩きに慣れていない方はとても大変だと思いますが、普段から山登りを楽しんでいる方なら大丈夫でしょう。
 ゴトビキ岩が近づくと、手水鉢があるのでお清めします。この手水鉢は寛永8年(1631年)のもので二代新宮城主が寄贈したものの様です。そういわれると、何となく風格があります。

手水鉢

 先に進むと大きな岩の元に安置された社殿があります。こちらが神倉神社。後ろの岩が天磐盾(あまのいわたて)の様です。最後のお参りをしていきます。左側が開けていて、ここから新宮市を一望できます。

神倉神社本堂

 ちなみにちょっと危ないですが、右の方に岩の上をトラバースすると天磐盾の裏側に回れます。そこに岩に囲まれた空間があり、ここにもしめ縄とワンカップ御神酒が置いてあります。おそらくここがゴトビキ岩でしょう。
 熊野速玉神社の解説では「ゴトビキ岩(天磐盾)」と同じものの別名の様に書かれていましたが、神倉神社の解説では天磐盾の他に「磐座」があってそれがゴトビキ岩であると読み取れます。何もない空間ですが、神聖な感じがするので、こちらでもお参りしていきます。
 なお、スタンプ台は上にはなく、神倉神社に入ってすぐ右の建物の軒下に置いてあります。お参りしなくてもスタンプは押せますが、できれば上まで登ることをお勧めします。

神倉神社~新宮駅

 下りも急で要注意ですが、岩山を歩いた経験があれば整備の行き届いた階段にすぎません。登ってくる人は足元に夢中で前が見えていないこともありますので、よけながら下っていきます。
 新宮駅までは普通の市街地歩きです。ほぼ一本道で、迷うことはないでしょう。

新宮駅

下山飯・温泉

 新宮駅を通り過ぎて10分ほどの所に「なぎの湯」という銭湯があります。こちらで汗を流して帰る予定でしたが、行ってみると定休日が日曜日でした。5日間も熊野古道を歩いていたので曜日感覚がなくなっていましたが、よくよく考えると今日は日曜!?。念のため扉を引いてみましたが、やっぱり開きませんでした。行かれる際は定休日に注意しましょう!

なぎの湯は日曜定休

 せめて着替えだけしたくて駅のトイレに行きましたが狭いトイレしかありません。ひょっとしたらと思って観光案内所の方に行ってみたら幸いなことに多目的トイレがありました。失礼して利用させていただき、ウェットシートで体をぬぐい着替えを済ませました。
 ご飯を食べていけそうな場所も時間的にあまりなく、駅前の徐福寿司で名物のサンマ姿寿司を買い、ローソンで缶ビールを買って電車に乗り込みます。

徐福寿司の名物サンマ姿ずし

後記

 紀伊田辺駅からのスタートは雨で結構大変でしたが、それ以降は天気も良く、気持ちよく歩くことができました。
 古くから利用されていた古道は現代も一般道として利用されている区間が多く、当時の古道を保存している区間は多くありません。しかし数日にわたって歩くことで、その行程や景色から当時熊野参詣に訪れた人達の気持ちに触れることができ、とても感慨深く歩くことができました。
 古道の残った部分だけをちょっとだけ観光するのも人それぞれですが、一気に歩いてこそ感じられるものが熊野古道にはあると感じました。働いているとそうそう連続休暇はとれないと思いますが、行かれる方はなるべく長く歩いてみることをお勧めしたいと思います。
 なお、今回私はツエルト泊で行っていますが、ゴールデンウィークに宿を予約しようとすると6か月前予約が必要らしいので、ご注意しましょう。
 歩ききった満足感は高く、歩いてみて良かったを思う5日間でした。

38箇所スタンプ押せました

 さて、楽しい熊野古道歩きも終わり、帰りは名古屋まで指定席をとることができましが、名古屋から都内へ帰る新幹線は夜中まで予約で満席でした。みどりの窓口で確認すると、全席指定なので全車両に自由席は無いが、自由席券でキャビンに立乗りはできると教えてもらったのでそれで帰ることにします。
 新横浜駅まで1時間強と通常なら大したことはありませんが、疲れた体にはなかなか堪えました。乗客が多いせいか携帯電話のネットワークはフリーズばかりで使えません。ゴールデンウィークに行かれる方は帰りのことも考えて計画しましょう!

豆知識

 補陀落渡海とは、日本の南にあるとされる極楽浄土「補陀落山」へに向かって海へ船で漕ぎ出す信仰です。日本の南にあるとされるので、この熊野や四国の高知県から漕ぎ出すことが多かった様です。

補陀落渡海の船の復元

 当然、いくら南に進んでも補陀落山は無いので自殺行為です。
 亡くなった後の高僧を船に乗せて流したという水葬の儀式でもあった様ですが、実際には船で漕ぎ出した後石を抱いて海に入水したり、船に穴をあけて沈めたりしていたらしいので、信者は死ぬことを理解していたのでしょう。
 少しでも補陀落山の近くで死にたかったのか?死なざるを得ないと思わせるほどひどい世の中だったのか?当時の様子に詳しくはありませんが、「思い込み」や「信じ込み」って怖いなと思わされました。

動画


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