あれ、マスクに自分の古臭いジェンダー観がにじみ出てしまった
今や、誰もがつけているのが当たり前になったマスク。
むしろ、つけてない人はのけものにされるマスク。
道行く人々をみて、マスクというものをつけていてもそれぞれいろんなマスクをつけていて、人間ってのは、集団を維持しながらも、ちゃんと個性のある生き物なのだ、と感じる。
マスク、マスク、マスク。その中で、私はいつも、「あ」と思うマスクがある。
手作りマスクだ。
女性で、手作りのマスクをつけているとなんか好感度があがってしまう。
あ、この人は家庭的なのかな、と。
まあ、誰かの貰い物かもしれないし、断言できないけれど、なんとなく好感度が上がってしまうのだ。
男性でもつけている人はいるのだけれど、その人達をみると、あ、妻や恋人につくってもらったのかしら、なんて思ってしまう。
家族みんなで手作りマスクをつけている家庭をみると、お母さんがつくったのかな、いいねと思ってしまう。
やばい、なんて古臭いジェンダー観がしみついていたのだろう。
私が中学の頃、男女で分かれる授業があった。
体育、はそうなんだけど、技術と家庭科だ。
男子は、ハンダごてだとかを使って工作をする技術、女子は料理や裁縫をする家庭科だった。
もちろん、技術も家庭科も男女ともに一通り習う。習ったあとに、男子は技術、女子は家庭科を極めていくというスタイルであった。
当時、なんで性別でわかれるのだろう、本人がやりたいことで分ければいいじゃないと、少し思った。が、私は家庭科のほうがよかったので、特別な不満はうまれなかった。
でも、あのとき、技術がいいなと心から思った女子も、家庭科のほうがやりたいのにという男子もいたんだろうな。
そうやって大人になっていくうちに、自分にも偏見が染み付いていた。
使い捨てマスクを捨てるたびに、そんな価値観もちょっとずつ捨てていこうと思うのであった。