あれ、想像力のないやつは当たり前を享受すな
トイレットペーパーを見つめて我思う。
そして、そこに関わってくれた人たちの努力を思う。
学生時代、宅配便の事務のバイトをしていたことがある。
だからこそ、どれだけの人がヒイヒイフウフウいいながら、モノを届けているかちょっと知っている。
その上、世の中には想像力のないひとが多いのもちょっと知っている。
「霜がついてほしくないから、絶対に冷蔵庫の上の方に置くな」
とか
「明日のパーティーで使ってもらいたいから、絶対に明日の午前中には届けてくれ」
とか。
想像力の欠けた絶対を頼まれることが多かったのだ。
あなたにもあなたの事情があることは、想像できるけど。
荷物はあなたのひとつじゃないし、お客様はあなたひとりじゃないし。
たくさんの人たちの手を通り、たくさんの冷蔵庫を通り、たくさんのトラックに乗る。
天気だって、交通事情だって影響する。
あと、よくわからんけどあなたが店に来る前から持ち込んできたイライラをぶつけてる相手にも心がある。
ともかく、荷物はここからワープするわけじゃねえぞ。
そんな21世紀じゃねえぞ。
何人もの生身の人間が、アナログな汗水を流した共同作業の末にある。
それがわからんかね。
荷物が届くのは、金も払ってるし当たり前だからそこを想像する必要もないか。
ただ、わたしたちの当たり前は、いつだって誰かの頑張りの上にあるよ。
ということを、私も、この前まで忘れていた。
残り2ロールなのに、全然見つからなくて実家から送ってもらったトイレットペーパー。
当たり前が消えた。
今は、どこでもぎっしり並んでいる。
当たり前が戻った。
きっと何人ものヒイヒイフウフウの上にある。
日々、そんなに想像力を張り巡らせてたらたしかに大変だけど。
トイレで一息ついてるときくらいは、そして、こんなときだからこそ、立ち止まって当たり前の奥に想像を巡らせるゆとりを持つのも悪くない。
当たり前に、ありがとう。
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