Penthouseの6月のライブに参戦する浄土真宗僧侶が、「蜘蛛ノ糸」の歌詞の一節を味わってみた
好きなバンドが最近人気らしいです。Penthouseというバンドです。
今回はPenthouseの蜘蛛ノ糸の一節を通じて浄土真宗の僧侶としてこの曲を味わってみたいと思います。
Penthouse(バンド)とは?
「蜘蛛ノ糸」とは?
概要
「蜘蛛ノ糸」は1st Full Album『Balcony』に収録されています。
この曲はTBSドラマ『私がヒモを飼うなんて』の主題歌となっています。
Penthouse - 蜘蛛ノ糸 MV
MVは『私がヒモを飼うなんて』の主人公の井桁弘恵さんがMVに出ています。私は音楽に詳しくないですが、ジャズ調な感じが好きです。
原作の芥川龍之介「蜘蛛の糸」とは?
地獄で苦しんでいたカンダタが、極楽浄土へ行くために蜘蛛の糸を独り占めしようとしたがために、再び地獄へ落とされるという内容で、「自分勝手なことをすると、その報いを受ける」というメッセージのある作品となっています。
「蜘蛛ノ糸」の歌詞で着目したいポイント
今回歌詞の中で着目したいところは「極楽浄土を探せど闇の中」という歌詞です。この歌詞から浄土真宗の教えを味わえるところがありましたのでお話したいと思います。
「極楽浄土を探せど闇の中」
蜘蛛の糸ですが、糸を手繰り寄せ、自ら上ることによって極楽浄土に行こうとしたカンダタでした。ですが、自分だけが助かろうと思って登ってくる他者を蹴落とそうとしたところ、蜘蛛の糸が切れました。そうしたエゴイズムの物語として描かれています。でももし自分がカンダタの立場であったら、どうでしょうか。蹴落とすぞと怒鳴る事はないとしても「自分が極楽浄土に行けなかったらどうしよう」と自分の心配ばかり思う事は間違いなしです。カンダタの行為は、時と条件がそろえば人間も誰しも問題を起こす可能性があると思います。人間とはそうした脆弱な存在であると考えられます。
主語が「自分」の危険さ
「極楽浄土を探せど」と歌われていますが、極楽浄土を「探す」という行為は、ベクトルが私から仏様の極楽浄土に向かっています。果たして不確かな自分自身を頼りに探し求めた先に、極楽浄土はあるのでしょうか。探そうとすればするほど闇の中に迷うのではないでしょうか。
また、この闇というのは自分の価値判断を通じて見えている世界で、煩悩の闇のことではないでしょうか。結局カンダタは「蜘蛛の糸が切れそうだ、どうして他の人々も登ってくるのだ」という私自身の不安や欲望、いかりを抱き、その姿を仏様は見抜かれていたのだと思います。
摂取心光常照護 已能雖破無明闇
浄土真宗で最もよく拝読されているお経に「正信偈」があります。
浄土真宗のご本尊でいらっしゃる阿弥陀如来様は「垂らした蜘蛛の糸を上ってこい」とおっしゃる仏様ではありません。この迷いの闇の中にいる私をそのまま抱え取って下さり、極楽浄土にわたしてくださる仏様です。
阿弥陀如来様のお慈悲のこころに遇うということは、私自身が自ら煩悩を断ちきって極楽浄土に行く事ではなく、慈悲のひかりに包まれている私たちには、煩悩そのものが問題とならなくなるということです。
今日は天気が曇りですが、雲がどれだけ立ち込めていようと、闇につつまれることはありません。太陽の光が届いているから、雲があろうとも真っ暗にならず日常を過ごすことが出来ます。それと同じように、煩悩を抱えたわたしであっても、その煩悩を超えて仏様からの光が届いているのです。
煩悩の闇でこの私は暗くとも、仏様のお慈悲のおこころは届いてくださっていました。
自らの煩悩の闇の上に届いている仏様のひかりを慶ばせて頂きましょう。
お読み頂き有難うございました。
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