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入院した後は神社に行くべきたった一つの理由

Photo by DeltaWorks (pixabay)

救急車そして入院

先週、妻が救急車で運ばれた。
会社併設の診療所から私宛に電話があり、病院へ搬送したため夫である私も向かって欲しいとの連絡だった。

もともと持病があったため、今回は特例でかかりつけ医のいる病院へと搬送していただいた。(本来は最寄りの救急病院に搬送されるが、万一のことを考慮していただけたようだ。)

すぐさま私は関連部署に連絡して早退した。始業からわずか1時間半の出来事だった。荷物も持たずに走りだす。今日は午後から雨が降る予定だった。帰りに妻が濡れないようにと傘だけは持った。

職場から病院までは電車で一本だった。急いで向かえば40分ほどで着く。道路の混雑具合にもよるが、もしかしたら救急車より早く着くかもしれないな、とやけに冷静な自分が恨めしい。車窓に映る自分の表情は思いの外、落ち着いて見えた。

病院の最寄り駅を降り、小走りで向かう。昔住んでいた街。思い出に浸っている余裕はないが、回想を禁じえない懐かしさが佇む。

病院の玄関を通ろうとすると一台の救急車が到着した。私は直感的に妻がたった今運ばれてきたことを感じた。

「◯ちゃん!」

救急車に向かってそう呼びかけると、ストレッチャーに載せられた人影が微かにこちらを向いたように見えた。私の直感は当たっていた。

妻は青白い顔をして虚ろな目だった。相当辛いようだ。
診療所の看護師の方が同乗してくれていた。丁寧に御礼を良い、救急隊の方にも同じように声をかけた。

診察室に通され、しばし外で待つことになった。診療所の看護師の方と少しお話をした。診療所は何人で担当しているのか、一人抜けさせてしまって申し訳なく思っていること、今日が妻の誕生日であることを話していた。

そう、タイミングの悪いことに今日は妻の誕生日だ。ケーキも予約したのに。妻からしたらとんだバースデープレゼントだったろう。

妻を車椅子に乗せ、あちこちの検査室をジプシーすること1時間。検査と診察が終わると、医者から「持病の悪化の懸念もあるのと、発作の再発の可能性が払拭されるまで管理入院しましょう」と話を受けた。私は日帰りできると期待していたため、残念で仕方なかった。妻もきっと同じ気持ちだったろう。

入院病棟に通される頃には痛みもマシになったようで、先程と比べて余裕があるように見えた。顔色も随分良くなった。時刻は16時前。昼食を食べていなかったことを思い出して私は売店へ駆け込み、おにぎりを頬張りながらこれからの段取りを考えていた。

夫は入院用品ハンター

急な入院だったため、なんの準備もできていない。入院中はスニーカー必須だったり、給水用の紙コップやストローが必要だったり色々と入用だった。会社から救急搬送されたこともあり、化粧落としやコンタクトレンズのケア用品から何から何まで調達を迫られていた。

普通なら家に戻って持ってくるのだろうが、あいにく病院から家まで片道1時間以上かかる。面会時間は20時までなのと、そろそろ帰宅ラッシュが始まることを懸念して現地調達することにした。

幸い、4年ほど前まで住んでいた街だ。どこに何があるか大体把握している。必要なものは簡単に揃えられる。そう高を括っていた。

しかしそれは甘かった。4年の歳月であらゆる店が変わっていた。同じ店でも取り扱う商品が変わっていたりして当てにしていたものが手に入らなかったりと散々な目にあった。

結局3件のショッピングセンターを行き来してようやく品物を揃えて病室に戻ったのが18時。実に2時間もかかってしまった。

病室に帰ると妻は寝入っていた。私が帰ると寝ぼけ眼で顔をこちらに向けた。入院用品を取り出しやすい位置にセッティングし、時間いっぱいまで妻の看病をした。

面会時間が終わり、帰宅する。ラッシュにぶつかりながら家路へと就く。途中下車をして妻の誕生日ケーキを引き取りにケーキ屋へ向かった。主役不在のバースデー。寂しさだけが募る。

夫に異変

翌日、入院手続きの続きや家から持っていくものを届ける必要があり、会社を休んだ。妻から随時メッセージをもらっていたが、どうやら明日退院になりそうだという。

午前中は入院費用の工面に銀行を周り、お昼を済ませて病院へと足を運んだ。妻は既に元気そうだった。この様子をみて、医者も大丈夫だと判断したのだろう。急な入院だったが、期間が短く済んで何よりだ。

二日目は面会時間いっぱいまで使ってそばにいた。妻もやることが無くて暇そうだったので、一緒にテレビを見ながらくつろいだ。病室には妻しか入院患者は居なかったため、貸し切りで悠々自適に過ごせた。

しかし夕方くらいになると今度は私に異変がで始めた。具体的に何が不調か、言い表すことが難しいが身体が重いような、吐き気がするような、酷く疲れたような心地がする。

その日はきっと看病で張り詰めていた気が緩んだのだろうと思い、早めに眠ることにした。妻の居ないベッドを広々と使って熟睡した。

退院の日

しかし翌日になっても重いような、気が焦っているような心地が晴れなかった。10時に退院予定だったため9時前には家を出た。

妻は元気そうにしていた。入院でベッドに縛り付けられていたため体力は落ちているが、直に良くなるだろう。この3日間は非常に濃い時間を過ごしたな、と夫婦共々実感していた。

本来ならどこかで昼食を済ませて帰ろうと思ったが、私の調子が優れないため家へまっすぐ帰った。2日経ってしまったが、消費期限ギリギリのケーキを妻に切り分けて食べさせているうちに私はあまりの身体の重さに耐えかねてベッドにうつ伏せになって気を失ってしまった。

目が覚めると夕方になっていた。私は尋常じゃない疲れにGoogle検索を駆使してこの不調の原因を探し始めた。

すると、いくつか興味深い話題を見つけた。私と同じような症状に悩まされた人のブログだった。その方は「病院の日陰った雰囲気に飲まれて気持ちがすり減った」と表現していた。

なるほど、たしかに病院は不健康な人が集まり、看護する側も忙しそうにしている。正負のエネルギーが入り交じる空間に気疲れを起こしたと見て大枠は間違いなさそうだ。

入院した後は神社に行くべきたった一つの理由

ようやく本題。

病院の雰囲気に疲れた後は、積極的に心を癒やす必要がある。私が落ち着く場所といえば、海・川・噴水のある公園などの「水辺」、そして「神社」だ。

近くの神社には不定期だが折に触れて参拝している。困ったときは神頼みではないが、すり減った心を癒やしにいくことにした。

神社に訪れるとそこは凛とした涼しさを感じた。土や草木の匂いと虫の声が心地よい。いつもどおりお参りをする。心のなかで、この数日で起きたことを報告した。

「(いつもお世話になっております。◯◯に住む△△です。実は妻が3日間入院しまして、付き添っているうちに悪い気を吸ったのか、良い気が吸われたのか分かりませんが消耗してしまいました。しばしの間、お膝元にて休ませていただきたく、今日は参じました。勝手なお願いですが何卒ご容赦ください)」

と丁寧にお願いをし、木陰で休ませていただくことにした。折角だから、とお守りを新調したり、おみくじを引いて遊ばせてもらった。

私も妻も大吉を引き、珍しいこともあるものだと妙に関心した。

8月の終わり、微かに秋の気配を匂わせる乾いた風が頬を撫でる。お参りを終えてしばらくそうしていると、少し身体が軽くなったような気がした。

気の所為と言われればそれまでだが、私にとってこの癒やしが必要だったのかもしれない。

その日の夜、家に帰ると激しい目眩に襲われた。以前、良性発作性頭位目眩症の発作が出た時に似た症状が出た。私は用心をしてその日はいつもより3時間も早くに眠りについた。

すると翌日、私はいつも以上にスッキリとした朝を迎えられた。

お参りの効果かもしれないな、と独りごちる。目眩がしたのは
「疲れているなら早く寝なさい」という心遣いをいただいたのかな?と思ったり思わなかったり。その日はぐっすり眠れて調子が良かった。


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