要約 フーコー『監獄の誕生』
→権力の形態(処罰(形式・対象)・監獄・懲罰・試験・人間科学・監視)
〇処罰―行為から個人へ
〇監獄―規律社会の成立、操作・管理対象としての身体の形成
〇懲罰―規律の内面化
〇試験―内面化のテスト
〇人間科学―規律化された身体についての知→真理概念と権力との癒着
〇監視―パノプティコン、社会的視線の内面化―規律の内面化
〇権力はその規範性が忘却され、自動的かつ匿名のシステムとして機能し続ける。
フーコーは本書において「真理」が偽なるものを排除する際の暴力を問題とする。真理への意志は権力への意志として、権力と密接な関係をもつ。まず、権力形態の変遷に伴って処罰の形式と対象も変化する。「犯罪行為そのもの」から「犯罪をするような魂」へと処罰対象は移り、ここに「個人」を生み出す権力の制度が誕生している。また、監獄はあらゆる規律違反者を収容し、個人の身体を規律化する。規律とは、工場、学校などすべての集団において機能し、身体へと刻み込まれることで、操作可能な物体としての身体が成立する。この刻印は明確な権力主体というよりも、微視的な力の束によってなされる。規律技術の進化に伴い懲罰のあり方も変わる。規律違反者の身体は規範へと強制され、「正しい」ふるまいへと向かわされる。この規範―権力が内面化しているかどうかの検証が様々な「試験」である。規律的な身体形成のこうした過程において、「主体」の自己同一性が確立されていく。また、こうして出来上がった身体に関する知が人間科学であり、ゆえに科学は権力と共犯関係にある。権力はまた監視システムと不可分であり、例えばパノプティコンという技術によって、社会的視線は個人に内面化され、身体は権力に従属するようになる。以上のような権力のふるまいは、身体の主体化―従属化に伴い不可視のものとなり、忘却されていく。フーコーは権力のこうした遍在性を問題としている。哲学史的には、真理概念と権力の結びつきを示すという点でニーチェのキリスト教批判を現代的に継承したものだと言えよう。
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