教育と育児が研究の中でクロスするとき
明日香村と橿原市の古代文化をまとめて「飛鳥」と呼ぶと、なんとなく橿原が抜けているような感覚がある。それゆえ「飛鳥・橿原」という呼び方にしているが、よく考えると「飛鳥」でいいのかもしれない。
飛鳥は自分の研究に関係している。
そもそも僕はマルセル・プルーストの研究からキャリアをスタートしており、今なおプルースト研究者だと自覚している。それは言い換えると「フランス文学研究」となるかもしれないが、別の尺度から見ると「文学研究」であり、あるいは「文化研究」である。自分自身を日本の文化圏に居住するものと見なすならば、プルーストは海外の文化であり、両者の関係は国際的だ。それゆえにプルースト研究は国際文化研究でもあり得る。
堀辰雄との出会いは国際文化学的アプローチの過程でもたらされた。プルースト読者・堀辰雄の視点は『麦藁帽子』『美しい村』といった西洋的な作風に感じ取れるが、日本人がプルーストにかぶれた人間が青森に生息しているように、プルーストの世界を引きずった作家が大和や信濃を眺めることもある。堀辰雄の『大和路・信濃路』において飛鳥は一つの重要な空間として描かれる。このときにプルースト研究者の視点は飛鳥とクロスする。
さて、国際文化研究は日本国際文化学会の中で深められる。その全国大会を近畿大学で開催するという夢は、Covid-19のために叶うことがなかった。だがZOOMで行われる全国大会は、近畿大学を拠点として開催される。
実は大会の付属イベントとして、飛鳥遠足を企てていた。それが頓挫してしまいそうな中、数名の会員と学生スタッフが飛鳥でのYouTube撮影に協力してくれることとなった。かくして研究と教育が飛鳥でクロスオーバーしていく。学生を巻き込み、学生に協力してもらいながら、自分の研究対象である飛鳥をプルーストの視点で回っていく。そこには「日本」だけではなく、百済・高句麗・唐といった国際交流の痕跡が残っており、飛鳥が他の文化とダイナミックな接触と変容を繰り返していたことが見て取れる。
文化のダイナミズムというキーワードから、自分の身体に刻まれた疲労と日焼けに目を向ける。古代文化を「体験」することは、その文化と身体が接触したことを示す。古墳との接触は日焼けを残し、観覧は筋肉痛を刻む。古代文明は同時に自分の身体に影響を与える生きたものであるという事実を忘れてはならない。
そこに、同伴した自分の子供を遊ばせる。古墳の上に登り、坂を駆け下り、草に埋もれながら子供は文化と戯れる。研究が連れてきた飛鳥の地で、古代の文化が教育的素材となり、いまを生きる子供の身体に刻まれる。異なる様々な極が飛鳥の中で混淆していく様が、古代飛鳥における文化の混淆を想起させる。
Covid-19が終わったら、また児童教育プロジェクトを動かしていく。