お世話になった柔道整復師が転勤した話
「私、今月末で転勤することになりました」
ずっと通っていた整骨院の柔道整復師の先生(以下S先生)が、突然私に小さい声で告げた。
「え、そうなんですか!え、今月までですか?え?」
しばらく状況を理解できずにいた私。
びっくりして、全く言葉が出ないという漫画のような経験は人生初だった。
S先生の転勤の理由を書くと会社名や個人名を特定されかねないので伏せておくが、ご本人にとっても本当に急なことだったよう。別れはあまりにも突然であった。
私にとって、S先生はまさに「師匠」だった。
S先生は、自分より10歳ほど年下の女性。
初めて診てもらった時、ひと通り体に触れただけで的確に私の生活を言い当てた。
「ぎらす屋さん、歩く時かなり足の裏の外側に体重をかけてますね?」
「ぎらす屋さんって左利きですか?体の凝り方で大体わかります」
「スポーツされてますよね?バスケですか?」
全て大当たりだ。
「この人と共に健康な体づくりをしたい」
一瞬でS先生について行く決心をして、毎週欠かさず整骨院に通った。
S先生は5回ほど私を診た後、私の体に触れるだけでこの1週間どのように過ごしたか分かるようになったらしい。
残業が続いた時は必ず、
「最近お仕事お忙しいんですか?」
と聞かれた。
仕事が忙しい時ほど私は猫背がひどくなり、
さらに右の肩こりだけが悪化するのだそう。
私がセルフケアを頑張ったおかげで体の凝りがマシな時は、最初の頃は
「すごい!お家で頑張ったんですねぇ」
とたくさん褒めてくれた。褒めてもらうとこの歳になっても気分はいいもので、余計に家でのストレッチを入念に行った。
通い始めて数ヶ月経った頃、身体の凝りがいつもよりマシだった日
「え、肩凝ってない…。もしかして私以外の人に施術してもらったんですか⁈」
と、急に嫉妬したようなことを言われ、のちに我々が「ジェラシー茶番劇」と呼ぶお決まりのネタのようなものもできた。
S先生の骨盤矯正やマッサージの技術は相当なもので、私が診てもらった中で間違いなく最もレベルの高い柔道整復師だ。
「そう、そこです…いてててて」と私は何度も言った。S先生は毎回、ほぐすべき場所を的確に捉えて一気に楽にしてくれる。そのおかげで仕事も順調で、月に2度ほどの趣味のバスケもとても楽しく参加することができた。
私は、S先生のストレッチのコースも毎回予約しており、これがまたかなりの高等技術なのだ。
初回のストレッチでS先生に
「この身体でバスケしてて、今までよく大怪我しなかったですね…」
と言わしめた私のカッチカチの身体。
毎回悲鳴を上げる私の鋼のボディを伸ばしてくれるS先生は、私が痛そうにするとニヤニヤしながら「きついですか?もうちょいいけそうですか?」と話しかけてくる。痛そうにする顔が好きなのは、柔道整復師ならよくあることだし、あるべき姿だ。
そして、そんな話や世間話をしながら施術を受けていると、気持ちもどんどん明るくなる。私が整骨院に通う理由は、もしかするとS先生との他愛もない会話だったのかもしれない。
どうしても仕事と家の往復になりがちな生活。仕事は大好きだし、家族と過ごす時間も楽しい。ただ、会社と家族に不満がない人ほど、どうしても「同質ネットワーク」の中に留まってしまいがちだ。毎日のように同じ人と同じ種類の話をする。深い話はできるが、幅の広さに欠けてしまう。それが「同質ネットワーク」である。
そんな状況を打開してくれたのがS先生だったように思う。仕事の悩みや家族のこともたくさん話した。
印象的だったのが、実家に帰り姪っ子たちに会ってきた話をした時に、「ぎらす屋さんはお顔が綺麗なので、姪っ子ちゃんたちも可愛いんでしょうねえ」という、突然の私の顔面に対する賛辞。褒められたのでかなり気分はよかったが、話の展開が少々謎だった。そんな不思議な雰囲気も相まって、整骨院にいる時間は私の心身の癒しとなっていた。
そんなS先生を失うこととなり、私は途方にくれた。
これから私の身体の健康は誰がキープしてくれるのだろう。
S先生の転勤とほぼ同時期に私も転居することとなり、転居以来その整骨院には通っていない。
どうも他のスタッフも全て転勤したようで、久しぶりに店舗の前を通った時、私がお世話になっていた頃の面影は微塵も感じられなかった。
今私は、この記事をストレッチをしながら書いている。
かつてはS先生と共に行っていたストレッチを、独りで行いながら。あの頃ほど、前屈の距離は伸びない。