仏教について語るには
外国人のゲスト、特に西洋から来た方々に日本のお寺をご案内する場合、日本における仏教の在り方、または仏教とは何であるかについて訊かれることがしばしばあります。
お寺はとても身近なものですが、いざそれが何を意味するのか、どんな教義があるのかと訊かれると答えに詰まってしまうのではないでしょうか。ましてやそれが文化的、宗教的背景の全く違う人たちが理解するためにどう説明したらいいのか考えると戸惑うと思います。
私個人もそのような体験があります。それは奈良の東大寺でイギリス人の観光客をご案内した時のことでした。ただその時は僧侶がいました。
イギリス人が東大寺の僧侶に「なぜ境内にいくつも仏像があるのか」と訊いたので私が通訳すると僧侶はこう返しました。
「あなたの宗教と違って仏教においては誰もが修行をすれば仏となれるので一神教ではない」と。
さらに東大寺の大仏の左右にある二体の仏像が何であるかと訊かれたので
「それらは仏界において修行中の菩薩と呼ばれる御仏である。真ん中の大仏になるまでには達していない御仏である」とお答えになりました。
さすが僧侶です。私はそれまでよく分からず、お寺に仏像がたくさんあることに違和感など感じたことがありませんでした。なので僧侶の方がいらっしゃらなければ説明には苦慮したことでしょう。
このようなこともあり仏教の知識を深め、さらに他宗教についての知識も持つようにして、その違いと共通点について説明できるように心がけるようになりました。
因みに仏教でも宗派や国によっては考え方は異なり、誰もが修行により仏になれるという教義は東南アジアの仏教では相容れないものだそうなので注意しましょう。あくまで日本における仏教として説明しましょう。
ついでにいえば、キリスト教徒のゲストに対して仏教とキリスト教の共通点について説明をした経験もあります。説明するため聖書の逸話を引用し同じく仏典で語り継がれている逸話と比較をしました。どちらもストーリーが偶然とは思えないぐらい似通っています。
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