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トランスジェンダーというカルト⑨ 性別変更

英国で性別を変更するのに、性別適合手術は必要ない。診断書さえ貰ってしまえば、その先は自由だ。逆に手術をすることは書類上で性別を変えるよりも大変で、診断書の種類によっては性別適合手術を受けられないこともある。医師の診断といってもお粗末なもので、2回ほど医師と話すだけで、何年もかかるような慎重なプロセスは踏まない。体がホルモン治療に耐えうるかを判断するための血液検査は必須だが、もちろん本人の気持ち以外の根拠はない。

英国の性別変更には2種類あって、公的書類上の性別を変える「表面的な」ものと、『Gender Recognition Certificate』(GRC)と呼ばれる出生証明書上の性別を変える「根本的な」ものがある。当然、GRCの方が条件は厳しく、自認の性で2年以上生活しているという証拠を提出しなければいけない。申請者が結婚している場合は、配偶者の同意を得る必要がある。同意を得られない場合、離婚しない限りはGRCの取得は仮のものとなり、出生証明書の変更はできない。私はこのGRCを巡って、後に元夫と争うことになる。

元夫は診断書を貰った後、すぐに名前と性別変更の手続きを始めた。それは驚くほど簡単に出来てしまう。パスポート上の性別変更にはまず『Deep Poll』と呼ばれる名前の変更を証明する書類が必要で、これは金さえ払えば誰でも出来る。それに診断書を添えれば、パスポートや運転免許証も新しい性別ですぐに発行される。元夫の場合は全ての変更に1ヶ月もかかっていなかったと思う。このあまりの簡易さには違和感しかなかった。性別という事実に対する重みもそうだが、こんなに簡単なら事の重大さも理解できないのではないか?少なくとも彼の様子を見ていると、そう思った。

私は彼に名前や性別変更は、私が永住権を取得してからにして欲しいと頼んだ。日本に生活の基盤や頼れる人がいない私は、移住前からずっとこちらで暮らしていくつもりだった。配偶者ルートによる永住権申請は、当然ながら夫婦関係に頼っているので、もし彼のくだらない諸々の変更が自分のビザにちょっとでも影響したら大変なことになる。だが、彼は耳を貸さなかった。そんなの悪影響になる訳がない。名前を変える人なんて沢山いるし、同性カップルだって山ほどいる、と。

そこで私は初めて自分が「同性愛者」に分類されるかもしれないことに気がついた。彼が性別変更をすることで、私の配偶者は女性ということになる。書類だけ見たら、他人はもちろん私がレズビアンであると思うだろう。英語では第三者の誰かを呼ぶとき、He(彼)またはShe(彼女)と必然的に性別を明らかにする。そこで見た目の性別が曖昧なときはMisgendering(ミスジェンダリング)、本来の性別では呼ばれない現象が起こる。

私はどうしても元夫を「She」と呼ぶことが出来なかった。そもそも呼ぶつもりもなかったのだが、女という性別が背負うものの重さはもちろん、その重みはなにかと交換可能な代物ではないという自分の確固たる信念のせいだと思う。どちらの性別にも背負わされているものはある。それはある種、人間が生まれたときの「原罪」と似ていて、生まれた場所、家庭、環境と同じように、ひとりひとりの宿命だ。自分とは違う性別が、それぞれの苦労を代弁することは不可能だと私は考える。だからこそお互いに支え合わなければいけない。性別という事実やその宿命は変えられないが、性別に基づいた社会的役割の偏りや偏見による不当な行動や言動は変えられる。しかし、現代社会は性別自体をなくす方向に進んでいる。前頭葉さえ破壊すれば精神病はなくなると考えていた時代のように、性別さえなければ性差別も存在しないと。

元夫は私が彼を「She」や新しい女性風の名前で呼ばないことに不満を募らせていた。彼に「ミスジェンダリングをするな」と言われるたびに、私はあなたのことを女性とは思っていないし、私はレズビアンでもないと伝えていた。しかし、彼にとっては自分が望む性別で呼ばれることが一番大事で、私や周囲の気持ちはどうでもいいことだった。それどころか、自分の要求に従わない人たちは片っ端から「理解がない差別主義者」と切り離していった。

私がミスジェンダリングをするたびに、元夫は彼のいう「理解のある」人々、職場の同僚や上司はとっくに彼を女として扱っていると嬉しそうに話していた。例えば、一緒に働いている男性の同僚が重いものを持ってくれたとか、ドアを開けてくれたという。それはそのはず、今までと同じように彼に接すれば下手をすると「差別をうけた」と言われるかもしれない。自分の職場に同じような人がいたら、私だってそうする。何しろ職場なんて「外」の空間であって、当然ながらみんな仮面を被っている。内側でつながることなんてない。

その証拠に、元夫を昔から知る人たちはどうだったかというと、カムアウトの直後はみな受け入れるふりをしていたが、時間が経つにつれて離れていった。以前の記事に彼が家族と距離ができたことを書いたが、古い付き合いの友人達もほとんど離れていった。高校時代から付き合いのある友人たち数人にも自慢げにカムアウトしていたものの、反応は薄かった。きっと彼は「性別が変わっても俺たちは何も変わらない」的な展開を期待していたのだろう。落ち込んでいたようだった。もっとも、しおらしい態度はこのとき限りで、彼の中では離れていった人たちへの怒りと憎悪が増していった。

彼には以前、親友がいた。職場が同じで趣味も似ていたので、仕事帰りに飲みに行ったり、休みの日もチャットで話す仲で、私もその人と彼女の家に何度も元夫と一緒にお邪魔したことがあった。引っ越し・転職を経ても、その関係が変わることはなかった。しかし、元夫はカムアウトから数ヶ月するとその親友の話を全くしなくなった。最近どうしているのかを聞くと、「無視されているから分からないけれど、元同僚に聞く限りは元気にしているらしい」と言う。そこで私は初めて、彼らの関係が拗れたことを知った。元夫はそのとき「あいつにはがっかりした。きっとトランスジェンダーが嫌いなんだ。」と怒りをあらわにしていた。

その落胆は、受け入れられることが当然だと思っている自惚れからきている。彼にとって、自分が女であるという認識は、本当の自分を見つけたような感覚なのだろう。実際に彼はカムアウトから性別変更の数ヶ月間、水を得た魚のように行動していた。だからこそ、彼の目には自分の感じる幸せを邪魔する人たちはすべて「アンチ」として写っていた。長年彼を知っている人が彼をSheと呼んだり、女性として扱うことが、彼らにとってどういうことなのか、配慮しようとすらしない姿は利己的でしかなかった。

結局、いくら自分で主張しても、身体という現実は彼が女ではないことを物語っている。彼が自分を女だと感じられるのは周囲の反応しかない。だからこそトランスジェンダーたちは、悪意のないミスジェンダリングされるたびに、烈火の如くSNSに怒りのポスティングをするのだ。こんなことがあった。「同性愛者ではない」と言う私に、彼は「自分と結婚しているんだから、レズビアンになったんだよ」と言った。この人は女になりたいがために私のアイデンティティをねじ曲げるのか。吐き気がした。彼は性別が変わっても私のことを愛していると言っていたが、これが愛している人に対してすることか?彼のあまりの利己的さに、私は加害性を感じた。もちろん、私は同性愛自体に何の恨みも抱いていない。事実ではないことを自分にラベリングされる感覚が気持ち悪いのだ。

こんな風に自分のことしか考えていない彼の姿など、外の人たちには見えもしないのだろう。自分には相談できる人もいないけれど、もし相談できたら、周囲は彼をサポートするように促すように違いない。夏になればレインボーフラグが街中に出現し、オンライン上でも企業のロゴが虹色になる。この状況で、誰がどう自分に同情してくれると言うんだ。そう思うと、私はさらに絶望した。

(次の記事へ続く↓)


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