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トランスジェンダーというカルト④ 娘が欲しかった

では元夫の母親はどうだったかというと、平凡な部類ではなかったと思う。初めて母親に直接会いに行ったとき、一人暮らしの割にはあまりにも立派な家に住んでいたことに度肝を抜かれた。屋外のプールに、プロが管理しているであろう綺麗な庭、大理石の床、部屋の数は少なくとも五つはあるだろう。思わず元夫に彼女の収入源を聞いたが、彼も知らないらしい。のちに母親本人から聞いた話では、離婚する前は一緒にブティックホテルを運営していて、彼女の元夫の現妻は彼らの従業員だったという。それが直接の原因で離婚に至ったのかは不明だが、財産分与の条件的にそれも有利に働いたのだろう。こちらの離婚は日本の慰謝料のような概念はなく、普通は財産分与になる。そこで息子の父親から家や車を揃えた上に生活費となるお金をたんまり貰ったとしても、長年余裕のある暮らしが出来るほどなのか。自動車事故と似ていて、離婚においても10:0になる可能性は極めて低い。一体どんな裁判をしたら、そんな結果になるのか。今でも全貌は謎に包まれている。

彼女の執念は凄まじい。英国の離婚裁判には揉め事がある場合は特に長い時間と多額の金がかかる。知り合いに聞いた話だと、離婚したい意志が双方合致していても、離婚原因や財産分与で揉めれば、喧嘩両成敗的な判決を食らうこともあり、その場合はお互い慰謝料を払いあうことになる。なんとも馬鹿馬鹿しい話だが、たしかにそれくらいしか妥協点がないと納得もできる。離婚となると、子供がいる家庭は大変な思いをするだろう。しかし、元夫は寄宿制の一貫校に通っていて、彼の父親も「元妻憎けりゃ子供も憎い」と学費の援助を打ち切るようなタイプではなかったので、母親は息子の生活の心配をする必要はなかった。

離婚にかける思いもさることながら、その執念深さは彼女の性格ゆえだと私は思っている。普段は息子に特別な関心はなく、愛犬の世話とご近所付き合いに夢中らしいが、一度気になったことはとことん執着して離さない。私に会うために元夫が日本に来たときは、それまで恋人が出来たことのない息子を心配して、日本に着いたらまず私と一緒にビデオ電話をするように言っていた。当時まだ学生だった私に、まずは学業に専念するようにと初対面でお節介を焼かれたときは、その図々しさに苦笑いしか出なかった。何かを思いつくと、それを何回も繰り返し言わなければ気が済まないらしく、私が大学を卒業するまで、その「心配」は続いた。結婚したばかりのときも、彼女は息子に「賃貸に住んでいるなんて家賃が勿体ない。父親にフラットを買ってもらえ。」と言い続けていた。あの自分の懐を肥やすことしか考えていない父親が、家なんてプレゼントしてくれる訳ないことは誰よりも分かっているはずなのに、彼女は黙ることを知らなかった。自分の言ったことを忘れてしまう痴呆症ではないか、と本気で心配したこともあるくらいだ。元夫も彼女の無関心さとしつこさの繰り返しにうんざりしていた様子だった。はっきりとした言葉はなくても、私は彼が父親を優先する理由をなんとなくわかっていた。母親が口うるさいと、男同士に絆が生まれるのは世界共通らしい。

元夫は母親に手紙を書いたあと、母親からの電話攻撃をくらっていた。パニックになるのは当然だろう。息子の性別が変わったなど、ご近所や友人にも言えないだろうし、それはおしゃべりな彼女にとって拷問だ。私は一回だけ、元夫が電話越しに大声で「もう息子じゃないんだ!」と言っているのを聞いた。それから数週間経ち、彼は女装をして母親に直接会いに行った。そのときようやく、彼女もこれは何かの間違いではないと腹を括ったらしい。のちに母親本人から聞いた話によると、元夫は「母さんはずっと娘を欲しがっていたじゃないか」と彼女を説得したという。

私が母親が娘を欲しがっていたと聞いたのはこれが初めてだった。養子を引き取るときに子供の性別は選べたはずで、アジア人ママらしく、一人息子を誇りに思っているように私には見えていた。元夫の記憶に残っているということは、物心ついたときから繰り返し言い聞かせているか、もしくは一回しか言われなかったとしても、その言葉が彼の心によほどのインパクトを与えたかのどちらかだろう。私はどちらの可能性もあると考えている。あの母親なら息子にむかって「娘が欲しかった」と言っている様子は、お釣りが返ってくるほど余裕で想像できる。ましてや彼女のことだから、一度や二度口にした程度ではないだろう。

元夫は私に宛てた手紙で、生まれてからずっと性別違和を感じていたと言っていたが、私はこの言葉の真意が今でも分からない。彼は「娘がよかった」と聞いたとき、「自分は本当は女なのに、母親はおかしなことを言っている」と思っていたのだろうか?「母親が望む性別になれたら」と思ったのだろうか?「娘になったら」と考えたことはあったのだろうか?自分の本心に気づきつつも、息子にこだわった強い父親の前では、本当の自分を隠さなければいけなかったのか?昨今のトランスジェンダリズムに懐疑的な小児専門家たちの多くは、トランスジェンダーを自認する子供たちの多くは性同一性障害ではなく、自閉症と同性愛の傾向があると主張する。同じ性別の子に惹かれることはおかしいから、自分の性別は違うと思ったり、社会的にうまく振る舞えないことから自分のアイデンティティに懐疑的になる子供が、トランスジェンダリズムに傾倒しやすいという。元夫は普通に社会生活が送れているので、そういった障害はもっていないと思うが、母親曰く、彼は幼いころから積極的に自分のことを話さず、嫌なことがあると黙り込んで、聞いても絶対に話さなかったらしい。

元夫は保守的な父親のもとで息子として教育をうけたものの、いわゆるマッチョな男性には育たず、結果的に理想像を追いかけて「男性らしさ」にこだわる一種の脅迫概念を抱えていた。その一方で、母親には大人になっても記憶に残るくらい性別の文句を言われ、それは後を引いていた。元夫がトランス女性を自認するに至った原因がすべて両親にあるとは思わない。しかし、母親にカムアウトする際に「ずっと娘を欲しがっていただろ」と真っ先に告げたことは、彼にとって大きな意味があったと私は感じる。

母親はカムアウト後、以前にも増して元夫に世話を焼いているようだ。もっとも、想像するようなトランジションに対する親身なサポートではなく、教師の入れ知恵のせいで自分がトランスジェンダーだと思い込んだ生徒の新聞記事の切り抜きを送ってみたり、性自認が変わっても趣味は変わっていない息子に「男らしい」中古車を与えたりと、彼女がいつか息子が正気に戻ってくれることを望んでいるとしか思えないような行動だ。ときどき一緒に買い物に行って、女物の服や化粧品を買い与えているようだが、私には母親が息子の障害を本当に理解した上での行動ではなく、夜中に徘徊する認知症患者を刺激しないよう宥める家族のように見える。

元夫にとって身内と呼べるくらい交流のある親戚は母方の家族だけだったが、彼らの態度もよそよそしくなったという。本人は母親が彼らに何か余計なことを言ったに違いないと信じていた。しかし、父親とは継母が原因で距離ができて、もともと少なかった友達も更に減って、彼に残された人間関係は母親だけだ。いくら母親の本心に気付いていたとしても、彼女と揉めることは彼にはできないだろう。

このように元夫は、徐々に時間をかけて孤立していった。彼はその原因を「周囲の理解力が足りなかったから」と信じているが、離れていった一人として断言できる。彼が孤立した理由は「トランスジェンダーになったから」ではない。カムアウトなど狂気の序の口でしかなく、己のコンプレックスとそれをないものにしようとする欲望に焚き付けられた人間は、ここまで醜くなるのかと慄く出来事がその後、次々と起こり始める。

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