トランスジェンダーというカルト⑤ 理解とは
私は元夫の言う「女になる」の意味がよく分かっていなかった。今でもよく分かっていない。私が生まれたときには既にMtFのトランスジェンダータレント、女装家のゲイタレントやドラァグクイーンはテレビに多く出ていたが、ゲイの場合、性別違和はないはずで、彼らのジェンダーは女装とは関係ない。今はどうか分からないが、私が日本にいたころはよくトランスジェンダータレントの人生を紹介する番組が放送されていた。昔からノンフィクションが好きな私にとって、彼らの人生は非常に興味深くて、今でもその内容をよく覚えている。大抵は小さい頃から母や姉の洋服やお化粧をこっそり使って女装をしたり、ヒーローごっこよりお人形遊びが好きな人が多かったので、やはりADHDなどの障害と似ていて、子供の頃から症状が顕著なことが多いと感じた。一方で、元夫にはそんな傾向はもちろん一切なかった。本人曰く「生まれた時から性別違和があった」というが、それを証明できる人は彼自身しかいない。
そういう背景があったので、私は彼が女装をしたくて悩んでいるのだと最初は思っていた。なんといっても事の発端はくだらないコスプレだ。私は震える声を抑えて彼に「女性用の服でも買いに行こうか?」と聞いたが、行きたくないと言う。カムアウト後の二日間くらいはこんな調子で、何を言っても無駄だった。だが、両親や友人にトランスジェンダーであることを伝えて、その場ですぐに拒絶されないことが分かってから、事態は私だけを置き去りにして瞬く間に変わっていった。
悪夢の週末が終わり、仕事に戻らなくてはいけなかった。家にいない時、私は彼にもう一度、テクストメッセージで「女になりたいってどういうこと?女装がしたいなら、日本のテレビでそういう人たちは見慣れてるから私は大丈夫だよ。」と言った。彼は女装ではなく、性別を変えなければいけないという。性別を変える?そんな兆候は一度もなかったのに?狐に包まれた気分だった。そのときはちょうど仕事のストレスでセラピーに通っていたので、このことを話せる相手といったらカウンセラーしかいなかった。カウンセラーに何が起こったか話した時、私は初めて泣いた。人に話すと、事の重大さがより分かった。もう引き返せないというか、夢ではなかったことを突きつけられた気がした。
日本にいた頃よりPTSDの症状はだいぶ減っていたが、経済的に安定しない状況が続いていた上に慣れない仕事のストレスで、私は睡眠障害やパニック発作、過食、原因不明の体調不良に悩まされていた。自殺願望も常に頭のどこかにある状態で、電車に轢かれようか、首を吊ろうか、オーバードーズをしようか、自殺方法を1日に何回も考えていた。元夫にも仕事がうまくいっていないことは話していたが、詳しくは伝えていなかった。結婚して海外移住したことで少しは良くなったものの、PTSDが原因ということもあり、私のメンタルの状態はずっと低空飛行だった。その上、私は夫がいれば幸せだと思っていたので、友達を作ろうともしていなかった。その頼みの綱が断たれようとしていたのだ。カウンセラーは一通り話を聞くと、もしものとき用にセーフティープランを作成して私に渡した。
帰り道に私は「こんなものあって何になるんだ」と考えていた。突然、何の予兆もなく自死を選ぶ人もいるだろうけど、実際の自殺に至るまでに自殺未遂や自傷行為を繰り返している人もいる。私は後者のタイプで、10代の頃から何度も繰り返し想像しては辞めの繰り返しだった。実際私は数ヶ月後に自殺未遂を図るのだが、その時はセーフティープランなど頭をよぎりもしなかった。家に帰って、私はカウンターに貰った紙を捨てた。心底全てがどうでもよくなった。その夜、私は自分の人生を思い返していた。家族とはうまくいかず、かといって家の外で友好な人間関係を築けることもなく、やっと運命の人と出会えたと思ったらその人は正気を失ってしまった。私への愛情は変わらないと言っていたが、これからどうなるかは誰にも分からないし、女装した夫と外を歩ける自信はない。本当にろくなことがない人生だし、今後好転することもないだろう。
それから数週間も経たないうちに、私は会社をクビになった。一緒に働いている中年女性との相性が悪いとか、結果を残していないとか色々罵倒された記憶があるが、そこは2年間のあいだに15人以上が出たり入ったりを繰りかえしている悪評高いところで、特に私が一緒に働いていた女性はお局として有名だった。リクルートエージェントや同業界隈ですら、その評判は広まっていた。健康状態がかなり悪化していたし、転職活動もすでに始めていたので、もうどうでもいいと思いながらも、お金の心配が重くのしかかった。その日は元夫に迎えに来てもらい、一緒に帰宅した。カムアウト後だったが、彼が外で女装をする勇気はまだなかった時期で、普段通りの姿で私の心配をしていた。
馬鹿馬鹿しいが、私はこれがずっと続いていくと思っていた。多少の女装癖があったくらいでいいじゃないか、と。あの両親に育てられて、彼の人生は順調そうにみえる反面、すごく孤独だったに違いない。少なくとも私が話を聞いて想像する範囲では、ずっと満たされない気持ちがあったと感じた。少しくらい変なところがあったとしても、それは私が関係のないところで起きた話で、私が愛して愛される人はずっとこの人だと思っていた。休日に女装をするくらいで、私の愛が変わるものか、と。それほど私は彼に感謝していたし、愛していた。
私が職を失った日から2週間も経たないうちに、とうとうコロナが英国内で猛威を奮い、全国規模のロックダウンが始まった。医療以外のビジネスはすべてストップし、中小企業に勤める多くの人が強制的な休暇を取らされた。もちろん人を雇うどころではなく、求人は文字通りゼロになった。元夫は運良く大企業に勤めていたので、仕事はいつも通りだった。ロックダウンが始まり、女装のことも少しは忘れてくれたかもしれないと期待したが、彼はAmazonで女物の服や化粧品を買い漁っていた。一目で安物だと分かるものばかりだったが、こんなに買ってどうするのかと私は途方に暮れた。いつ私が再就職できるか分からないのに、なぜこんな無駄なものを買うんだと怒りを抑えながら聞いたが、すぐに返品するの一点張りだった。たしかにこちらのAmazonではたとえ使った後でも簡単に返品出来るが、私は彼を信用していなかった。返品といっても限度がある。返品前提で買えばブラックリストに載るだろう。部屋中が段ボールで埋まるほど大量の物を、どう理由をつけて返品するのか。元夫は昔から後先考えないで行動をし、最終的に人のせいにする傾向があった。私はこの衝動買いも、私が働いていないせいにされるだろう。スラム街の子供が着ていそうな薄っぺらいワンピースが山積みになっている彼の部屋を見ながら、そう思った。
私が元夫と一緒の部屋で寝ることが耐えられなくなったのは、彼が女物のパジャマを着始めた頃だった。
(次の記事に続く↓)