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トランスジェンダーというカルト⑦ 化粧

元夫はカムアウトからすぐに女装をして外出することはなく、最初は休日に家に籠もってひたすらメイクの練習をして自撮りをしていた。メイクは特にアイラインにこだわりがあったらしく、描いては落として、自分が納得するまで描き続けていた。こちらでは日本のナチュラル風メイクはあまり見かけず、アイラインをばっちり決めてファンデーションで陶器のようなマット肌にして、唇をぷっくり強調するしっかりメイクか、ファンデはしないでマスカラとリップだけの最小限のメイクのどちらかに二分されているような印象だ。彼にとって「女のメイク」といえば前者の方だったのだろうか。ネットで購入した化粧品のガラクタの山に囲まれながら、何かに取り憑かれたように練習するその姿は恐ろしかった。

私は生まれてこの方、きちんとメイクをしたことが一度もない。一時期は母の「大学生にもなって化粧をしないなんてみっともない」という言葉を真に受け、強迫観念としてどこへ行くにも家を出る前にヘタクソなメイクを必ずしていたが、化粧をしてもしなくても変化が起きない顔だと分かってからは、ずっとノーメイクだ。高校生までは「色気付くな」と眉毛を整えることや色付きのリップすら禁止されているのに、大学生、社会人になると急に世間は女に「身嗜み」だとメイクを強要し始める。私は子供の時から、この理不尽さが心底許せなかった。それまで一度も誰も教えてくれなかったことを強制的に挑戦させられ、メイクが下手だった場合は笑われなければいけない。私は昔から肌は頑丈なほうだったので、まだいい。肌が弱い女性はどうか。月に何万円もかけて児童労働の賜物の鉱物を皮膚に塗り、肌を痛めつけてはそれを隠すためにまた塗りたくる、この行為のどこが「社会的」なのか。メイクが好きな人はそれでいい。問題は世間がこのマナーを、女性が疑問を感じる隙もないほど彼女たちの成長過程に潜り込ませている現状だ。

元夫はずっと、私は化粧をしないほうが綺麗だと言っていた。彼はもともと化粧が濃い女性が好きではなかった。私が女性アーティストの写真を指差して、「あの子かわいいね」と言うと化粧が濃すぎると文句を言うくらいだった。化粧だけではなく、人工的なものが苦手だったようで、たとえば私は毛深い体質なので、少し放っておくと腕や足はすぐ大草原になる。彼は上半身に全く毛が生えないタイプなので、女なのに毛深い私をいつも不思議がっていた。もっとも、気持ち悪がるとか、そういうネガティブな考え方は一切もたず、人間だから毛はあるけど不思議だね、くらいだった。だからこそ、毛穴が見えないほどファンデーションを塗ったりする人間らしさをなくすメイクは嫌いだった。

そんなことをずっと言っていた人が、一日中鏡の前でメイクをしている。「メイクは苦手じゃなかったっけ?」と私が言うと、彼は「ずっとやってみたかった」と答えた。ずっとやってみたかったなら、なぜ化粧の濃い女性を非難していたのか?詳しく追求したところで無駄だろうと、それ以上は聞かなかった。それからしばらくは、メイクをするために朝5時に起きて仕事に出かける日々を過ごしていた。ロックダウン中でオフィスには人っ子ひとりいないのに、着飾って何の意味があるのかと思っていたが、今振り返ると、彼は自分自身を試していたのかもしれない。女の「象徴」の一つであるメイクをすることで、周囲は受け入れてくれるのか、自分は「十分に女らしい」のか、確認行為だったのだろう。

「それほどこだわりのある化粧なんだから、今も好きでやっているのだろう」ここまで読んでくれた人はそう思うだろう。しかし、彼は半年ほど経つと一切の化粧をやめる。今ではマスカラのひとつもしない。理由を聞くと、「自分に自信がついたからメイクをする理由がなくなった」と言う。なるほど、この人はもっともらしい理由を思いつくのが上手いなと感心した。一緒に暮らしていれば分かることだが、元夫はいつも口だけの人間だった。ヴィーガンになる、読書をする、配信者になる、ゲームをやめる・・・今まで散々目標を立てては1ヶ月も続いたことはなかった。メイクだって最初は周りに褒められたのだろう。しかし、周りも徐々に慣れてきてチヤホヤされなくなり、自撮りにも飽きて、朝5時に起きてせっせとメイクをすることが馬鹿らしくなったに違いない。実際、彼は仕事から帰ってくると、化粧も落とさずに自分の部屋で昼寝をする毎日だった。生まれてからずっとメリハリのない生活をしていた人間が急に変われるはずもなく、彼はなにかと理由を見つけては自分を正当化する。

化粧に飽きただけ、続ける根性がないだけだったら取るに足りない。しかし、私はもう一つ理由があると考えている。ジェンダークリニックの存在だ。

(次の記事に続く↓)


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