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トランスジェンダーというカルト⑥ 着飾る

私は夫婦の形というものを、少々楽観的に考えすぎていた。今振り返ると、どう考えても楽観的になれる状況ではないにも関わらず、それでも私はなんとか少しでもポジティブに考えようとガムシャラに脳みそを動かしていた。精神的に追い詰められると、それこそ心は火事場の馬鹿力的な働きをするのだろう。しかし、元夫が女性物のパジャマを着て寝室に入ってきた時、私は決定的に彼の女装を受け入れることは無理だと確信した。

テレビでトランスジェンダータレントが親に縁を切られたと話すたびに、私はそれほどのことなのかと心のどこかで思っていた。子供の性別にこだわるのは親の気持ちであって、子供がどうであれ、元気でいてくれたらそれでいいじゃないか、と。だが、それも部外者の私の「エゴ」「妄想」であって、私はカムアウトされる側のことを何ひとつ考えていなかった。息子、娘であることは現実の一部であって、人の記憶を支える。それが違っていたのだと言われたとき、今までの思い出が嘘のように思える。一緒に過ごした時間は何だったのか?自分が幸せだと感じていたとき、相手は実はそうではなかったのか?すべてが幻にみえて、信じられなくなる。

元夫はAmazonで購入した安っぽい偽ジェラピケ風パジャマを着ていた。女性物というより、いかにも10代の女の子が好みそうな代物だった。薄っぺらい生地の下に透けて見える下着も、もちろん女物だ。いったいどうやって男性器を押し込めているのか。着心地の悪さより女らしさを取ったらしい。私は思ったことがすぐ顔に出てしまうタイプなので、彼は私がドン引きしていることに気付いたに違いない。下着まで女物を履くなんて、やはり女装だけでは満足しないのか。家の中だけではなく、外でも同じことをする気なのか。嫌悪感よりも、焦燥感のほうが強かった。この先どうなってしまうのか、誰にも分からない。だが、私はとても受け入れられないと思った。私が好きだった人ではなくなったのだと、この時はっきり感じた。

元夫はパジャマだけではなく、ネットで女物の服を買い漁っていた。当時の家には全身鏡はバスルームにしかなかったので、彼は自分の部屋と浴室を行き来していた。そこで私はやけに服のサイズが小さいことに気づいた。私がサイズが小さすぎることを指摘した。すると彼はちゃんとメジャーで測ったから、UK8が自分のサイズだと言う。元夫は男性にしては華奢な体型をしていたが、身長は180cmちかい。UKの洋服のサイズはだいたい6から始まり、8、10、12と偶数ごとにサイズアップする。6や8は身長が160cmにも満たない小柄な痩せ型の女性が着ることが多く、だいたいの女性は標準体型でも身長の都合で12や14を着ている印象だ。メーカーによっては10からサイズがないところもある。UK8は日本のサイズでいうとSとXSのあいだだと思う。痩せ型の男性が女性物のSサイズの洋服に体を押し込めている状態に、私は違和感しか覚えなかった。そして、私は彼が買い漁っているほとんどの服が、丈が短いワンピースやスカートだと気づいた。180cmちかい男性がSサイズの膝上のワンピースを着ている。服の丈は膝どころか、太腿上部までくることになる。

私は昔から服が好きで、元夫を連れてよくショッピングモールに行っていた。そのときによくサイズがないと嘆いていた。当時、私の服のサイズは上UK8、下は8か10なことが多く、気に入ったデザインの服を見つけても、サイズがないので諦めることが多かった。もともと生産される数も少ない上に、良いデザインだとすぐ売り切れるのだろう。日本で自分が小柄だと思ったことは一度もなかったのに、もっと身長が欲しいとよく元夫に話していたことを覚えている。日本にいたときから洋梨体型だった私は、スボンを履いて下半身がより強調されることを恐れて、ほぼほぼスカートしか履かなかった。足にまとわりつく感覚が苦手でロングスカートも嫌いだったので、膝上が多かったと思う。その習慣はこちらに来ても変わることはなく、外出するときは必ずと言っていいほどスカートを履いていた。身長が160cm以上あっても、こちらのロング丈の服は引きずってしまうので、マキシワンピなど選択肢にも入らなかったが。

まさか、彼は私の真似をしている?でなければ、この状況をどう説明するのだろう。わざわざどう見ても合っていないサイズの服を着る意味はなんだろうと考えたとき、私は彼が女の私より大きいサイズを着たら、女らしさが薄まると思い込んでいるとしか考えられなかった。それか、服のサイズが小さければ小さいほど、丈が短いほど「女らしい」と思っているか。すべてを偶然の一致だとしてみよう。私のサイズや好みのスタイルはまったくの偶然で、たまたま一緒だったのだと。それでも私は気味が悪くて仕方がなかった。彼にとって身近な女性は私しかいなかった。母親と一緒に過ごした時間は少ないし、きょうだいも近しい親戚もいない。理性では私を真似してもしょうがないと考えられたが、感情はまた別で、同じクラスの子に持ち物を真似されるよりも、もっと根底的な嫌悪感が押し寄せてきた。

それでも、私はその嫌悪感を口に出してはいけない、言葉にしてはいけないと必死に自分の中で抵抗していた。なんだって彼の精神状態は良くない。これ以上、悪化させて何の得にもならないんだから、この感情を言語化してはいけないと本能的に思った。今となっては、おそらく、この私の配慮が彼を調子に乗らせたのだろう。はっきりと言ったところで、もっともらしい理由をつけて言い逃れるのだろうけれど、釘を刺しておくべきだったとも思う。

私にとって、彼とパジャマで過ごす時間は特別だった。もともと極度のインドア夫婦だったので、週末は私が出かけようと提案しなければ、パジャマのまま家で過ごした。一緒に映画を観たり、なにかをするというわけではないが、それぞれの部屋で過ごして、たまに会話をする。なんともだらしない感じだが、その距離感が私にはちょうどよかった。私の記憶にいる元夫はいつものパジャマ姿だ。それも偽りだったと知ったとき、私は彼への気持ちをどう整理するか悩んだ。本当の気持ちを偽っていたのだ。どう彼を信じろと言うのか。今彼を信じたとしても、もう嘘をついていないとは限らない。

私はこの頃、届いた服を着てどう?と彼に聞かれても、本音をぐっと堪えて言葉を選んでいた。サイズが合っていない薄っぺらいちんちくりんな服を着て喜んでいる彼の姿を見ても、「デザインは素敵だけど、もっと大きめのサイズがいいと思う」などと濁していた。こんな格好の人と外を歩ける訳がないと思いつつ、嘘に嘘を重ねた言葉を発することはつらかった。自分でも気づかないうちに、心を消耗していたのだと思う。そもそも試着をして感想を聞くのも、私がやっていたことだ。私の真似をしたところで、女にはなれないのに。生まれたときに決まってしまっているんだよ、と本当は思っていた。
しかし、この時はまだ自分の中で憎しみより哀れみのほうが大きかったので、本音を口にすることはなかった。

哀れみが憎しみに変わるのに時間はさほどかからなかった。私の配慮に味をしめた元夫はさらに本性を露わにしていくことになる。

(次の記事に続く↓)


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