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トランスジェンダーというカルト12 女性らしさ
元夫のおかしな行動はホルモン治療開始後、更に拍車がかかった。まず初級レベルから始めると、突然スーパーで植木鉢に入った花を買ってきてキッチンに飾っていたことがある。花なんて今まで見向きもしなかったのに、何のつもりだと開いた口が塞がらなかった。こちらでは男性から女性への贈り物といえば花束だ。街に出れば、花束を抱えて何処かへ向かう男性が必ずいる。私も昔は彼から花束を貰うのが好きだったし、気が向いたら自分で買うほどだった。
イングランドはガーデニングの国なので、多くの人が中年になると男女問わず自宅の庭に凝り始める。夫婦で暮らしている家にお邪魔すると、大抵は男性は庭の芝刈りや木の剪定、女性は花壇のガーデニングを担当する傾向があるので、これもやはりジェンダーロールのひとつかもしれない。彼の中では花=女性のイメージなのだろう。
たいして綺麗でもない正体のわからないピンク色の花を置かれ、私は無性に腹が立った。長持ちするタイプの花なのか、最初から植木鉢に入っていたが、私は彼がこの後面倒を見ないであろうことが分かっていた。なぜなら花を買った時点で、レジの人に買うところを見せた時点で、彼は目的を果たしているからだ。案の定、水さえあげれば1ヶ月はもつであろうその花は、2週間もしないうちに枯れてきた。虫が湧いたら大変なので、私はその枯れかけた苗をゴミ箱に捨てた。しかし、翌朝にはその苗が戻っていることに気づく。面倒をみないくせに、私に捨てられるのは嫌だったらしい。結局その花は復活することなく、完全に枯れてから私が捨てた。
中級レベルに移ろう。元夫は付き合っていたときから、泣くことに対して異様な抵抗感をもっていた。「自分が泣いたのは人生で数えるほどだ」と豪語し、泣いたときにはいちいち事後報告してきた。私が彼に泣くなと言ったことは一度もない。むしろ「男が泣くなんて普通じゃない」と言う彼に、いつの時代の価値観だと返していた。交際時からこんな調子なので、私は不思議に思いながらも、特にそれに関して深く掘り下げることはなかった。
ホルモン治療を始めてから、彼は本当に自分が女になったと思い込んでいた。ある日、泣き腫らした目で自分の部屋から出てくると「今はもう女だから素直に泣けるようになった」と言う。ドラマか何かを観ていたらしい。「女は泣いていいけど男は泣いてはいけない」という固定観念は、この世の事実でもルールでもない。「男だから泣けない」と思うなら、まずはその考えを疑うべきなのに、この人にとっては自分の性別の方が問題らしい。そうか、「女はすぐ泣きやがる」と罵倒される世界を知らないから、こっち側を眩しく思うんだな。太陽には太陽なりの悩みがあるというのに。
思い返すと、彼は非常にルールに忠実な人間だった。学校や家庭で教えられたことや社会的風潮を疑わずにインプットしてきたのだろう。私は昔から反骨精神が強烈だったので、どうやって彼のように流れに逆らわないで生きていけるのか、羨ましく思っていた。良く言えば決めつけない、悪く言えば自分がない人。もっとも、それは女性を名乗り出す前の話で、彼が長年抱えていた「男として完全体になれない」フラストレーションは、まさにその社会への忠実さが仇となった結果だと思う。
さて、いよいよ上級レベル。元夫と一緒に暮らしていた期間の家事の大半は私が担当していた。家賃は彼が払い、そのほかは私の負担だったので、当然といえば当然だ。しかし、私は彼のあまりの片付けなさに毎日イライラしていた。家には常にネット通販で買った物のダンボールが山積みになっていて、家庭ゴミでは出せない大きいダンボールでリビングが埋め尽くされるほどだった。地域差はあるが、こちらでは2週間ごとにしかゴミ回収がこないところも多く、不燃ゴミや大きい可燃ゴミは車でゴミ集積所に行くしかない。私は免許をもっていないので彼しか行ける人いないのに、これがいつまで経っても捨てにいかない。
キッチンや水まわりも一度だって掃除をしたことがなかった。掃除どころか、自分が汚したところを拭いたり、たまに掃除機をかけることすらしなかった。家計への貢献度は少ないとはいえ、私もフルタイムで働いていて、精神的・肉体的にも2人分の掃除をきちんとできる余裕はなかった。知らない人が見たら、家はゴミ屋敷のようだったと思う。彼の部屋はもっと酷かった。物をひたすら増やして収納もせず置きっぱなし、後で片付けると言って実際に片付けた姿は見たことがなかった。あまりの部屋の散らかり具合に、私は彼に片付けられない障害でもあるのかと疑ったほどだった。
彼は独身時代からずっとそんな調子だった。しかし、ホルモン治療が始まって2ヶ月ほど経ったある日、キッチンへ行くと、いそいそと拭き掃除をしている。「あ〜、ここも汚い」と言いながら拭いているので、何のつもりだと殴りかかりたい気持ちを抑えながら、「掃除してる姿なんて初めてみた」と私が言うと「女になったから綺麗好きになった」と彼は言う。妄言もここまでくると、返す言葉が見つからないので厄介だ。何か言い返してやりたいところだが、彼の狂った行動に疲れ切っていた当時の私は、表情を隠すために彼に背を向けることしかできなかった。綺麗好き?男性器がついたまま座って排尿をするせいで前側が汚れたトイレにすら見向きもしないに?言葉が喉を通らなかった。
私は昔から片付けや整理整頓が苦手で、母にいつも「女のくせに」と言われていた。今でも床に落とした物を拾ったり片付けるのに数日かかるくせに、部屋に物が増えるのが嫌なので収納家具は買わずに、物は床に放置で結果部屋が汚いという矛盾に満ちた生活をしている。それでも彼の部屋と比べると、私の部屋や共同スペースはまだマシだったと思う。彼と一緒に暮らしているなかで、「少しは片付けてよ」と口が酸っぱくなるほど言っていた時期がある。結局、「週末にやる」が続いて何を言っても変わらなかったので言うのをやめた。
女が綺麗好きなんて、一体何時代のステレオタイプなのか見当もつかないが、これも彼が何かしらの影響を受けた結果なのだろう。私が推測するに、彼の母親はとにかく世話好きで、息子は家事の手伝いすらすることがなかったのだろう。人生の大半を学校の寮で過ごして、たまに家に帰ってきたときに家事などするはずもない。
ホルモン治療のおかげで、さぞかし綺麗好きになったのだろうと思いたいところだが、彼の「女だから綺麗好き」という主張は2日すら続かなかった。その日にした「掃除」は布巾でキッチンの台を2分ほど拭いただけで終了し、以降二度と彼が掃除をする姿は見なかった。
彼は「言ってみただけ」かもしれない。言葉を覚えたての赤ん坊が目に入る物を何でも言うように、せっかく女になったのだから言ってみたかっただけかもしれない。しかし、同時に私はこの化石のような固定概念丸出しの発言を聞かされて、どう反応すればいいか分からなかったどころか、不快感を覚えた。LGBTQ+が全て同じではないように、女もまた個人の違いがある。女という性別は概念ではない。家事ができなくたって、ピンク色が嫌いだからといって、スカートを履かなくても、女という存在は不変なのに、私にとって彼の「女になったからこうする」発言は、「女はこういう生き物」と決めつける差別主義者の言葉と何ら変わりはなかった。それほど、女に対する偏見に私は苦しんできた。だからこそ、彼の女性に対する考え方は、軽蔑に値するものだと感じた。彼の女性に対する偏見が明るみになり、あたしゃこんな人間と結婚したのかと私は途方に暮れまくっていた。自分が情けなかった。
彼に女に対する「偏見」があるということは、女になってからの「願望」もあるということだ。
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