
トランスウィドウからみたトランスジェンダー⑤ 性暴力
私が『Behind Looking the Glass』を観て特に驚いたのは、トランスウィドウたちが元夫によって性暴力を経験している点だった。男性器のある状態で女性を名乗り、しかも女性として、レズビアンとしてセックスを経験したいがために、パートナーである妻に性行為を強いるという。もちろん、それを女性同士の性行為だと思っているのは本人の頭の中だけで、実際は異性としての性行為だ。ペニスのことをクリトリスと呼んだり、女性の自分とセックスをしたのだから、パートナーは同性もしくは両性愛者だと思い込ませようとする。元夫が自分の中の性別を切り替えるために、セックスの前に鎮痛剤を飲んでいたと証言するトランスウィドウもいる。ここまできたら薬物中毒者の幻覚と何も変わらない。
同意のない性行為はたとえ夫婦間であっても性暴力だ。これは常識であるにも関わらず、世間は「多様性」の圧力の前にトランスジェンダーたちによる性暴力の実態から目を背けている。たとえば、スコットランドのトランスジェンダー団体はトランスジェンダーたちへの「ミスジェンダリング」を家庭内暴力として認定しようとしている。つまり、ペニスを使った性行為を強制されたとしても、うっかり相手のことをheなどと呼んでしまったら、妻側に家庭内暴力の前科がつくかもしれないというとんでもない現象だ。
『Trans Crime UK』によると、イギリス国内のトランスジェンダー受刑者の数は2022年までに8割増加し、そのうち半分は性犯罪者だという。罪状に関わらず、逮捕されてからトランスジェンダーを名乗ればたとえ性犯罪者であっても女子刑務所に収監され、釈放後はまた性別を変更できる。実際に女子刑務所に収監されたトランスジェンダーが女子受刑者をレイプする事件は世界各地で起きている。
また、スペイン国内では性別変更が容易になったことで、性別に基づく暴力犯罪の条件が加害者とって有利になっているという。加害者が性別を変えてしまえば、被害者は性別に基づく暴力を訴えることが出来なくなり、接近禁止令などの保護も申請できない。
ではなぜトランスウィドウたちは性暴力の加害者からすぐに離れないのか、と思う人もいるだろう。覚えておいてほしいのは、彼女たちは夫によってマインドコントロール、支配されている側であって、その上、世間から社会的圧力も受けているということだ。夫から性行為に応じなければ自殺をすると脅されたり、カウンセリングに通っても、夫を理解して支えるように諭されることがあるという。
驚くことに、これは医療において長年、正しいとされてきた。1960年代に発表されたセクシュアリティ研究の先駆者の本によると「妻が夫の性的倒錯に気付いてしまったとき、精神科医が一番にすべきことは彼の妻が家庭に留まるように説得すること」で、「独身の患者の場合は前もって花嫁に性嗜好異常を話して結婚すること」が患者の精神状態の回復に最適だという。つまり、精神医学では長年、性嗜好異常に悩む男性にとっての一番の治療法は「結婚」とされていた。
今ではありえないような理論だが、この考え方は間違いなく現代の精神医学に影響を与えていて、さらに近年の偏った政治的思想が追い風となり、トランスウィドウはカウンセラーにすら理解を強いられるのが現状だ。
トランスジェンダリズムは「包括的」や「多様性」「自分らしさ」など姿を変えて私たちの生活に入り込んできたが、一方で精神医学における妻に対する見方は1960年代から何ら変わっていない。それは医学の外でも同じだと思う。たとえば誰かの家庭内で夫側の不倫が発覚したら、世間は女性に同情し、男性を糾弾するだろう。多くの人が離婚したほうがいいと勧め、たとえ妻側が夫婦関係の修復を望んでも、あの時別れた方がよかったんじゃないかと言われ続ける。しかし、夫に女性になりたいと言われた場合はどうだろうか?急に差別はよくないだの、個人の自由だの、政治的な正義感にかき立てられるひとは多いのではないだろうか。
この社会的圧力は紛れもなくトランスウィドウたちを苦しめている。トランスジェンダーは被害者というプロパガンダはもはや人々の潜在意識のなかに刷り込まれていて、彼らが性暴力の加害者である可能性を考慮する余地すら残されていない。婚姻中の不貞行為だって「個人の自由」だ。それなのに世間は夫側のセクシュアリティのことになると、女性たちに「良き妻」として道徳的配慮を求める。
私はこのアンバランスさが非常に恐ろしいと思う。いつかこのトランスジェンダーたちによる女性への家庭内暴力が世間に認知されるようになったら「全員がそうではない」とありふれた言い訳するのだろうが、それは違う。元々加害性の強い男性が女性になったケースも探せばあるのだろうが、トランスウィドウたちの元夫は異常性癖や人生にコンプレックスがあった場合がほとんどで、以前の結婚生活に暴力などの支配があったと証言する女性は少なくとも『Behind Looking the Glass』には登場しない。
つまり、この問題の根本は彼らの暴力を見過ごしている側にあり、暴力をふるってもペナルティーすらない社会の現状がトランスジェンダーたちを扇動しているのではないか。ずっと前からトランスジェンダリズムに警鐘を鳴らしている人たちはいたにも関わらず、その危険な思想を手放しで推進した社会全体、被害者の大半が女性だから見て見ぬフリをする世間のマジョリティに責任がある。既存の価値観からの開放などと謳い、もともと精神的に不安定だったひとを利用した人々に責任があると私は考える。
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