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トランスジェンダーというカルト20 現在

私が元夫と過ごした期間は非常に短い。カムアウト後の2年弱を含めて、結婚生活自体は5年ほどだったと思う。一緒に暮らしていたと言っても、会話はほとんどなかったので、同じ家にいながら別々に生活していたようなものだ。なので、一緒に住んでいたときのエピソードは早くもネタ切れぎみだ。

元夫は男性として凄まじい劣等感と嫉妬に苛まれていた。では、「女性」になった元夫の人生は順風満帆になったかというと、そうではない。最近聞いた話だと、気分の落ち込みが激しく、自殺願望もあるのでセラピーに通っていると言う。一緒に住んでいた時はそんなの聞いたこともなかった。

何が原因でセラピーに通っているのかは聞かなかったが、私は当然の結果だと思っている。どうせ「ずっと悩んでいたけど、女になったから素直に口に出せるようになった」と彼は説明するのだろうが、言うまでもなく、ホルモンバランスの乱れは心の不調に繋がる。風邪にかかるとウイルスを追い出そうと発熱するのと同じで、男性の体に女性ホルモンを無理やり注入して、男性ホルモンの生成を抑制していて不調がないはずがない。私に言わせてみれば彼の精神的不調はホルモン治療以前の問題だが。

少し前にイギリスでは思春期ブロッカーの禁止の有無が話題になった。その際に懸念されたのは10代の自殺率の増加だった。性別違和がある子供が性的特徴が大きく成長する時期を耐えられないかもしれないと言われていたが、かの有名なキャスレポートは、その自殺率のリスクは増えないと結論付けた。トランスジェンダーの団体は性別に関する話題になると、必ず生死の話を持ち出す。オンライン上ではトランジションの開始が遅れた友人が自殺したとか、センセーショナルな話がそこら中に転がっているが、これは社会に対する脅し以外の何物でもない。

キリスト教の国で自殺願望は非常に深刻なことを意味する。イギリスでは少しでも自殺願望が出てきたなら、迷わず緊急外来(A&E)へ行くように指示される。私は一度GPの指示でA&Eへ行ったことがある。そこで私はNHSの緊急外来は緊急の意味を成していないことを学んだ。待合室には血まみれの老人や今にも意識が飛びそうな病人がが何時間も座ったまま待機させられている。悲惨な状況を目の当たりにした私は、こんなことでA&Eに来るなと言われるのではと内心ヒヤヒヤしていたが、看護師は私に来てくれてありがとうと言ってくれた。自死はそれほど悲惨で、避けなければいけない。

誰かが自死したとき、世間は憶測をしたがる。孤独だったのだろう、悩んでいたんだろう、と。だが、そんなこと本人にすら分からないというのが私の持論だ。私は医者に身体的・精神的不調の原因はPTSDが原因と言われたが、本当のところは分からないと思っている。なぜなら、トラウマや悩みが自死の大きな要因だったとしても、それが決め手ではなく、その後に発症した精神疾患のせいかもしれない。それどころか、家族や友人に恵まれても自死を選ぶ人もいる。結局、何が彼らを自死に追いやったかなど誰にも分からない。どんなに素晴らしい人生を送ろうと、自殺という選択肢がある以上、一部の人間にとっては避けられない出来事なのだと思う。

しかし、トランスジェンダリズムの支持者は、彼らの思想と生存権を結びつけたがる。トランスジェンダーの自殺者が出る度に、トランジション前であれば迅速な治療を受けられなかったから、トランジション後なら世間の差別と偏見のせいと声高に主張するが、自殺の原因がそうである根拠はあるだろうか?性別違和を自覚するきっかけは様々だと思うが、自分の体は自分に属していないと思うこと自体、私には「自由な生き方」ではなく、解離症状、立派なメンタルの不調に見える。

私は長年メンタルヘルスに悩んできた張本人なので、肉体的に健康でも、精神面が優れなければどれほど辛いか分かっているつもりだ。日本にいるときは心療内科にずっと通っていたし、セラピーや薬物治療も5年以上続けた。しかし、回復しないものは回復しない。すごく苦しくて、出口が見えない毎日だったことを鮮明に覚えている。だからこそ、元々メンタルの不調を抱えている状態でホルモンバランスを崩したら、とてもじゃないが健康体の人間でも耐えられないだろうと考える。

性別肯定治療を推進する医療関係者は、ホルモン治療によるメンタルの不調は数年で落ち着くと主張するが、果たして本当にそうだろうか?私が疑問に思うのは、これほど市民権を得たトランスジェンダーたちの「その後」の話がなかなか出てこない点だ。彼らのいう「本来の性別」に戻ったなら、幸せいっぱいのはずが、彼らは常に女性たちやディトランジショナーたち(性転換をやめた人たち)を攻撃している。

トランスジェンダー団体、その医療関係者、それらを支持する人々は、トランジションを推奨する上で耳障りの良いことしか言わない。本当の自分になる、今ある憂鬱な気持ちから解放されると吹聴し、理解のある私たちがサポートするから反対意見は聞かなくていいと患者を孤立させておきながら、道を違った途端に黙って離れていくどころか悪態をつく。このカルト教団のような実態のどこが包括的で多様的なのだろうか?元夫も引きこもり気味だったのは性別のせいで、本当の自分を取り戻してからは活発になると言っていたが、彼には今自殺願望があり、セラピーに通っている。これも紛れもなく「肯定的な医療の結果」だ。

性別を肯定する治療の対象は、第二次性徴を完全に終えていないような年齢の子供達も含まれる。性別はアイデンティティの一部で、成長過程で自分の性別に疑問を抱いたり、悩むのは当然だ。なかには思い詰めてしまう子供もいるだろう。現代のトランスジェンダリズムは、健康な子供たちの体を物理的に切り刻むことで悩みを解決したように見せかけて、それを「肯定的」だと主張する。

ここ数年でトランスジェンダーの数は世界中で5000%増加したという。しかし、トランスウィドウと同様、トランスジェンダーの子供たちへのサポートが表立って議論されたことは一度もない。「家庭の事情」「プライバシーの尊重」など様々な言い訳が思い浮かぶが、結局は圧倒的社会的弱者として立ち振る舞いたいトランスジェンダーにとって、女性と子供は都合の悪い存在ということなのだろう。

女性という定義、存在を都合良く書き換えるトランスジェンダリズムの行為は、女性への暴力だ。彼らは社会に存在するジェンダーロールを放置しながら、既に女性を「生理があるひと」、母親を「授乳するひと」と表現し直し、女性という性別があたかも代用可能であるかのように語っている。これは紛れもなく「男性的な価値観」に基づく侮辱であり、女性嫌悪の何物でもない。そして、子供たちに性別に関しての事実を教えないことは、紛れもない社会による子供たちへの虐待行為だ。

私は実体験として、トランスジェンダリズムがいかに暴力的で根拠に基づくものではないということを伝え続けたいと思っている。トランスウィドウとしての体験談のみで構成した連載はこれで一区切りつけ、以降はトランスジェンダーに関するニュースや記事、出版物がテーマの中心になる予定。(といいつつ、また自分の話ばかりになってしまう予感)

5回くらいに分けて書くつもりが20回になってしまい、ここまで長々と読んでくださった方々に感謝します。初回記事のいいねは2000以上、現時点で全体閲覧数は8万を超えました。今までブログを書いたことがなかったこともあり、どうやったら読みやすいかをいまだに試行錯誤しています。レイアウトやnoteの使い方はもちろん、この話は面白いぞ〜!と鼻息荒く書いた記事が案外伸びなかったり、わからないものですね。

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バター鮭子