
トランスジェンダーというカルト16 異性愛
元夫に「女になったから男を好きになった」と言われて、私は妙に納得した。彼には同性愛に偏見があった。街で同性カップルを見かけるたびに「あ、ゲイがいるよ」と頼んでもいないのに私にいちいち知らせてきたし、ポルノを観る私のことをバイセクシュアル扱いした。女だってポルノを観ると言うと、彼は「恋愛対象が男なのに女の裸に興奮するのはおかしい」と主張した。当時私は「彼は田舎育ちで、恋愛経験がないからそう考えるのだろう」と思っていた。結婚したばかりで、性別がどうのという会話すらなかった頃だ。
英国ではずいぶん前に同性婚が解禁されたが、それでも同性カップルをしっかり見たくない人たちは一定層いる。職場や近所の人と話すと、表立って同性愛を差別することはないものの、「同性愛は自由だけど、わざわざテレビで見たくない」と思っている人は意外と多い。元夫もその類だったと思う。日本から同人誌を取り寄せて箱を開封していると、私の部屋にやってきて「なんでそんなものをわざわざ買うんだ」と嫌悪感丸出しの顔で言う。当時、私の部屋は寝室と兼用だったので、机の上に同人誌を置きっぱなしにしていると、「こんなもの見たくない」と言って裏返しにされたこともあった。
昔から彼にとって異性愛は正常で、同性愛は異常なものなのだろう。この世にいる女性全員が異性愛者であるはずがない。気持ちが男から女になったところで、恋愛対象が男になったことを説明するのには些か苦しい言い訳だと思った。彼が親友と付き合った理由は性別の変化ではなく、彼の変化に「理解」を示してくれる身近な存在がその親友しかいなかったからだ。元夫には仲の良い友達が数人いたが、カムアウト後、彼はそのほとんどの名前を口にしなくなった。父親とその後妻には距離を置かれ(→③)、親しかった母方の親戚もあからさまに態度を変えた(→④)。
彼は自分自身を女っぽく見せてくれるもののためなら、なりふり構わなかった。早く髪を伸ばしたいと馬用のシャンプーを使ったり、脚と脇が毛深いからと高い家庭用脱毛器を買ったり、持ち物のほとんどをピンク色に買い替えたりとそれはそれは必死だった。ここまでする彼にとって、「女として男性と付き合う」ということは、彼を女に近づけてくれる最高の手段だった。自分の性別を正当化するために私のことをレズビアン扱いしておいて(→⑨)、今度は異性愛者の肩書きが欲しくなったらしい。
世界初のトランスウィドウに関するドキュメンタリー『Behind Looking at the Glass』で証言者として登場する複数のトランスウィドウたちによると、彼女たちの元パートナーであるトランスジェンダーの主張は二転三転する。その中でも、トランス女性が自身たちをパートナーに女だと認めさせるために性行為を強制された、と証言しているトランスウィドウたちがいる。己の性別のために異性として女性に性行為を強制し、そして女として彼女たちと性行為をしたから自分は正真正銘のレズビアンだと主張する。ならばその股からぶら下がっているモノは何なんだとなるが、そんなトチ狂った考え方を彼らは暴力によって平気で正当化するのだ。
「自分は異性愛者だ」と言う彼を見て、私は違和感を覚えるのと同時に、単に私に愛想が尽きたのだろうと思った。彼の望む「サポート」どころか、私の言動はそれに反するものばかりだった。女としてちやほやするどころか、否定的な態度を取っていた。だったら親身になってくれる人を選ぶだろう。しかし、私は当時も今も、彼の主張に同調しなかったことを全く後悔していない。むしろ、その彼の望みすら自分勝手の極みだと考えている。
私にとって、女という性別は何よりも憎く、そして誇りに思う現実だ。女の人生は過酷で、孤独だ。私自身、女であることをやめれたらいいのにと何度も思ったことがある。女でなければ性被害は受けなかったかもしれない、女でなければ嫌な思いをせずに済んだかもしれない、と。男性の人生のほうが楽と考えていた訳ではなく、性別について「もしも」の空想をし続けるほど現実に嫌気が差していた。自分につきまとう事実にウンザリしていた末の現実逃避だった。だからこそ、トランスウィドウとしての本題に入る前置きとして自分について長々と語ったし、このシリーズが一段落したら自分の経験をまた記事にする予定だ。
私は散々恨んだ女という性別を嫌いにはなれなかった。大人になって知識を取り入れると尚更だ。結局、性別は誕生日や血筋と同じで、不変的な乾き切った事実でしかなく、私たちが不快に思う出来事の問題はそれに付随する社会的役割、偏見、差別だからだ。性別自体には何の因果もない。私は女性の共感力、団結力が好きで、それを主観的に共感できる性別に生まれてよかったと思う。
しかし、元夫のような「弱者男性」にとって、社会で女性が差別されている現実は面白くない。自分だってこんなに頑張っているというのに、なんの注目もされない。男というだけで努力、我慢は当たり前になる、と。もちろん、それは社会が主体とする男性の意見であって、彼らは既存の男性社会のために女性が生まれながらにハンディキャップを背負っていることを知らない。話題になっているドラマや映画、音楽などのカルチャーで女性が注目されている理由も、彼らの目には「優遇」「贔屓」としてしか映らない。
大学の授業で、なぜフィクションは白人と黒人の友情を描きたがるかという話になったことがある。結論として「フィクションはいつだって実現されていないことについて語りたがるから」の説で落ち着いたのだが、それが本当なら、今世の中に溢れている「強い女」コンセプトのポップソングも、実際に女が支配する社会をまだ誰も見たことがないから売れているのかもしれない。そんな世の中の二重構造を元夫は理解せずに、ただただ主張する女を嫌っていた。理解しよう、裏を読み取ろうともしていなかった。男性であることで「損をしている」と思い込んでいる彼にとっては、そんなことどうでもいいのだろう。
当たり前のように私を脅した挙句、自分の権利を振りかざし、私のプライバシーまで尊重する様子のない元夫に当然怒りが湧いた。あの友人にはたしか長年付き合っている彼女がいたことを思い出し、彼に聞いてみると、ずいぶん前に別れたと言う。なるほど、高校時代から10数年付き合って結婚まで考えていた彼女と別れたら、怖いものはないかもしれない。ほぼ同時期に、私は彼の部屋で大量のアダルトグッズを見つけた。キツネの尻尾がついたアナルプラグを見ながら、こんなものを使いながら自分のことを本気で女だと思っているのかと考えた。それどころか、私の持っているアダルトグッズを真似して買ったくせに「自分も同じものを持っている」と偶然を装って報告してきたこともあった。
一般的に、男性ホルモンは女性ホルモンより強いとされる。FtMのホルモン治療の場合、男性ホルモンを投与するだけでいいが、MtFの場合は女性ホルモンの投与と一緒に男性ホルモンを抑える必要もある。これは生涯にわたって継続しなければいけない。それほど男性ホルモンとその特徴は強く、完全にコントロールすることは難しい。ちょっとやそっとの女性ホルモンだけで、性欲の増加や体毛が濃いなどの男性的特徴をなくすことは不可能ということだ。トランス女性による性犯罪が多いのは、テストステロンを無理やり抑えている影響もあるのではないかと私は考えている。
彼らの関係を変態同士でお似合いじゃないかと思いながら、それでも元夫が我が物顔で主張する様子に腹が立ったし、相手にはどう説明するのだろうと思った。許可取ったからもう大丈夫だよ、とでも言うのだろうか。そんな説明で納得する方も狂っているし、常識がない。どちらにしても、関わらないようにしよう。
私はなるべく深く考えないことで自分の心を守ろうとした。
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