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トランスウィドウからみたトランスジェンダー④ 母親になりたい男たち

『元夫から「子供たちに彼らには母親が2人いると伝えなきゃいけない」と言われ、こう思ったんです。「じゃあ女になったんだから洗い物や掃除、夜泣きの対応、子供たちの送り迎えはあなたがするの?」彼はそんなこと気にも留めませんでした。彼が気にかけるのはセックスやネイルのことだけです。』

『妊娠出産や妻の病気など夫婦関係に大きな変化が起きて、夫自身が主役でなくなると、男性のなかの「内なる女性」が出てきます。元夫は母親になりたがりました。どれだけ私の存在を書き換えたら気が済むのだと思いました。私に何をして欲しいのか。私の子宮を渡せば満足するのかと。』

『Behind Looking the Glass』

母親になったパートナーが赤ん坊につきっきりになり自分が注目されないことへの嫉妬から、女性の妊娠中や出産後に暴力を振るう男性は多いという。よく母親と子供の絆は特別というが、出産妊娠のイベントは自分の体と健康を半永久的に犠牲にしているので、当たり前と言えば当たり前の話だが、その特別さに嫉妬し、母親になりたがるトランス女性は多い。

私の元夫もそうだった。彼は子供が大の苦手で、結婚する前から子供は欲しくないと言っていた。私も20代の頃は同じような感じだったので特に気にしていなかったが、彼からハロウィーンの日に子供が訪ねてこないように、リビングの電気を消して二階で過ごすように言われたときは、そこまでするのかと思った。ところが、別居をして数ヶ月後のハロウィーンの日、彼は「家に子供が訪ねてきてもいいようにお菓子を用意した」とメッセージをしてきた。これもどうせ「女になったから母性が湧いてきた」とでも言うのだろう。そんなこと知ったこっちゃないので私はそのメッセージを無視したが、あまりの気色の悪さにずっと私の脳裏に焼き付いている出来事だ。

『Behind Looking the Glass』を観て、こうもトランスウィドウたちの経験は共通するのかと驚いた。私の場合、子供がいないのでまだマシだ。自分に子供がいたらと想像するだけでも過酷すぎる。いずれ離婚するにしても、子供にはまず父親の変化について説明しなければいけない。その説明責任すら妻、子供の本当の母親に押し付けているのだろう。挙句の果てには妻から母親の肩書きを奪い、子供たちに「ママ」と呼ぶように強制する。私にはこれが親として分別のある行動とはとても思えない。

ドキュメンタリーの作中で、トランス女性を実の父親にもち、現在はトランスジェンダーの親をもつ子供を支援する女性はこう証言する。『幼い頃から父親や彼の仲間に関してネガティブなことは一切言えませんでした。売春をする女装した男性たちが部屋を出入りし、女装男性が集まるバーに連れてこられても、周りは理解のある母親がいて良かったねと言うんです。以前、トランス女性を父親にもつ有名人が父親のことをheと呼んだとき、ネットは大炎上しました。子供が父親のことを父親として話せないなんて、あまりにも馬鹿げていませんか。』

子供に父親と呼ばせないようにしているトランスジェンダーたちは、子供のことをどう思っているのだろうか。ドキュメンタリーの作中で、トランスウィドウたちは『元夫は子供が混乱することを分かっていました。でも彼にとって大事なのは自分だけです。自分以外のことなど、どうでもいいんです。』と語っている。

トランス女性を自認する男性は自己愛が異常に強く、女性を憎み、軽視する傾向にある。彼らにとって、女性とそれに関係する象徴的な物事のすべては「アクセサリー」であり、「女性とはなにか」など考えたこともない。彼らにとって、「女性」とは自分がより快適に生きるため、自分のフェチズムを満たしてくれるための道具で、都合が悪くなったり、いらないと思ったらすぐに捨てるだろう。もし男性が妊娠出産をして、母親より子供から愛される存在だったら?社会が男性より女性にとって有利だったら?自己愛と嫉妬心、被害者意識に苛まれる人間が、社会的弱者ではない側の性を欲しがるとは思えない。

トランスジェンダリズムは性別の問題ではなく、社会がジェンダーにまつわる固定概念や教育を怠り、より複雑なメンタルヘルスの課題と向き合おうとしていないことが原因なのではないだろうか。私はただただ彼らの自己愛に付き合わされているだけの今の社会が情けないし、非常に男性的だと思う。その背景には金銭的利益や政治的な目論みがあるのだろうが、それでも子供の健全な成長を無視し、しかも子供を人体改造の対象にしている現状が許せない。人間のすることではないとすら思う。

トランスウィドウとトランスジェンダーを親に持つ子供たちの存在は、まだ世の中から認知されていない。トランスジェンダーが主役である限り、彼らにとって都合の悪い存在が日の目を見ることはないだろう。ただひとつ言えるのは、トランスウィドウとトランスジェンダーの子供が元夫、父親のことをheと呼ぶことを世間が否定するのは人道的に正しいと呼べるだろうか?

トランスジェンダーが理解や配慮を求めるのと同様に、私たちにもそれぞれ感情があり、ストーリーがある。変化は当事者だけでなく、必ず周りにも影響を与える。誰かの親やパートナーであったら、それに伴う責任がある。その責任すら帳消しにし、「記憶の改ざん」を強いられているのがトランスウィドウとトランスジェンダーを親に持つ子供の現在の立場だ。

トランスジェンダリズムの異常性に注目が集まっているなかで、少しでも多くのひとがトランスウィドウとトランスジェンダーの子供の存在を認知し、理解することで彼らを間接的に支えてほしいと思う。

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