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ボケの特効薬

 先日からカミさんがナースの仕事を再開した。
「再開した」と言うと休職していたとか言うレベルで受け止める方もいらっしゃると思うが、30年以上のブランクがあっての仕事再開である。

 30年の間に医療技術は発達し、当時の医学知識を30年間維持していたとしても最先端の医療現場で仕事をするには厳しいものがあると言うのは当然である。 カミさんの場合は友人が勤める高齢者施設で非常勤の看護師を募集していると言うことで免許のあるカミさんに声が掛かったのである。

 高齢者施設での看護師の仕事は範囲が広く、介護士的な仕事も当然こなさなければならないのだが、最先端の高度医療技術が求められる現場ではないので30年のブランクのあるカミさんでも何とか務まるようなのである。

 その高齢者施設での出来事をカミさんから毎日色々と聞く。
私の両親は80歳を越えているがまだ健在で、自宅で公的介護のお世話にならずに過ごしているので、高齢者施設やそこで行われていることには今まであまり詳しくなく過ごしてきたので、介護業界で使われる独特の単語が何とも引っかかるのだ。たとえば「利用者」と言う言葉が一般的に使われているのだが、大変な違和感を覚えるのである。

 「利用者」と言う言葉の中には「お客様」と言うニュアンスが全く感じられないのである。当然保険の適用があって公的資金から費用の大半が支払われるのではあるが、利用する人はお金を払ってサービスを受けるのだから「お客様」で良いと思う。利用者を「お客様」と呼ぶことで、職員や施設も自分たちの給料がそこから出ていると自覚するであろうし、お客様をないがしろにすることがないようになると思うのである。他にもこの業界で違和感を感じる言葉は沢山あるのだが、それはまた別の機会にでも綴ろうと思う。

 さて、「小規模」と呼ばれるデイケア施設は老人版の保育所のようなものだ。近所にある同様の施設の前を通ると歌声や笑い声、手拍子などが聞こえて来て「お遊戯」やゲームなどのレクリエーションが日々行われていると言うのはうすうす感じていたが、要するに共働きなどで自宅で家族が四六時中面倒を見られない状況にある人や独り暮らしの老人を家族の代わりに風呂に入れ、飯を食わせ、運動させ、遊びの相手をするのである。

 施設に連れて来られる老人は2種類あって、ボケている人とそうでない人が居る。ボケていない人は施設に連れて来られると不機嫌で怒りっぽい人が多い、それはボケた老人達と一緒にされることと、ボケた老人向けのリクリエーションへの反発のように思える。ボケていない人は当然ながら子供じみた「お遊戯」などはやりたくない訳であるが、施設側としてはそのあたりの区分け、垣根は設けておらず十把一絡げでボケた人向けのリクリエーションを強要するのである。それでも我慢して施設に来る老人は風呂に入れてもらうのが大きな目的なのである。

 様々なボケ老人の様子を聞いていると共通しているのは「幼児化」と「エロ化」である。
 いずれも大人としての抑制部分が麻痺して欲求のままに行動したり発言したりする。そしてボケがひどい場合は妄想するのである。

 あるお婆さんの話である。外観はとても上品で小綺麗な人で、言葉もはっきりしているのでボケているようには見えないのだが、施設の近くのマンションまでそのお婆さんを車で送っていくと、毎回車の中で「ドアを開けたらお父さんが裸で立ってたらどうしましょ!キャ!」と言う話をするそうである。もちろん旦那さんは先に亡くなられているのだが、旦那さんの若かった頃のエロティックな思い出が頭の中にとても強烈に焼き付いてるのであろう。

 またあるお爺さんはおやつの時間に出されたシュークリームをお皿ごとカバンの中に入れて持って帰ろうとするのである。それを見つけた職員が「包んであげるのでお皿は返して」と言って皿を取り上げようとすると、老人の力とは思えないほどの怪力で皿をつかんで話さないのである。そしていつも「もういらん!」と怒り出すのである。どうして持って帰るのか尋ねると、持って帰って奥さんに食べさせたかったそうであるが、こちらの奥さんも先に亡くなられていて、亡くなった奥さんのことを未だに愛しているのだと言うことが感じられる話である。

 他にも他の人に配られたおやつをいきなり掴んで口の中いっぱいにほおばる人がいて、職員が気を付けていておやつをつかんだ時に取り上げようとすると、その人も老人離れした怪力で掴んで離さず訳のわからないことを口走って逃避する人など、食い物に関しては3~4歳児程度の争奪戦が日常的にあるそうである。

 まだまだ十人十色で老人の数とその人生の数だけ色々な逸話があるのだが、高齢者施設の中ではこのボケと妄想と狂気が日常に存在するのである。医療技術の発達によって確かに寿命は延びたのだが、まだまだボケを回避する決定打的薬はないのであるが、ボケと言うのは死への恐怖を回避する為の自己保存的なものなのかとも思うのである。これがボケずに死へ一歩一歩近づいていくと言うのはメンタル的に厳しいものがあるように思う。

さて、あなたが高齢者になる頃にはボケの特効薬が開発されているかもしれないが、あなたはその薬を受け入れて自分の死と向き合うか、それともボケることで死への恐怖から回避する道を選ぶか?どっちでしょう?



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