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あかちゃんの記憶

みんな、赤ちゃんだったことは知っていても、その時なにを考え、なにを思っていたのかなんて憶えていない。知りたくても赤ちゃんは言葉を話せないし、誰に聞けるわけでもない。赤ちゃんは不思議。まだ目が見えていないうちからなにかを見ているようなしぐさをするし、言葉が話せないはずなのになにかを訴えているような表情をする。そんな赤ちゃんの記憶はどこに行くのだろう。誰が憶えているんだろう。
                   ′97,8,6 『ひまわりによせて』

最初はみんな、穢れない真っ白な記憶の夢。お腹の中で少しずつ、母親の声を受け取りながら生きるすべを探している。生まれてからは皆それぞれの誰のものでもないたった一つの自分だけの人生を生きるために様々な色にその記憶を染めて行く。なにひとつ重ならない一色しかない自分の色に・・・。平等なのは最初のほんの一瞬の白い記憶。 
             ′98,10,10 『Pretty wonderful boy』

 

これは我が子が生まれた時に、「BIRTHDAY BOOK」に書いた寄せ書きです
子どもの話をすると自慢になってしまうので、はばかられていたのですが、今回「 #熟成下書き 」なる投稿企画を期に、出しそびれていた文章を掘り返してみました

大きい声でいっちゃいけないんだけど、わたし6人の名付け親なんです!

ひとり目はおバカでかわいい我が妹。3歳の時だったけど、わたしの両親はわたしの意見を尊重してくれたみたいです⊂⌒~⊃。Д。)⊃{ひゃっは~♪
皮肉なことに、わたしの付けた名前は、もしかしたら彼女にとってはあまり良い影響を与えてはいないのかもしれないのだけれど、小さい頃からたくさんの方に名前を呼ばれて、おかげさまで妹は気に入ってるみたい(*´ω`*)

妹が生まれた当時、山口百恵さんの『赤いシリーズ』が全盛期でして、そのヒロイン名を妹につけたのです。当時若干3歳ではありましたが、確かに、記憶がある。でも、そうしてつけられた記憶はない。駄々こねただけか?
にしても、「ひとの名前を考える(つけたい)」衝動はこんなに齢自分からあったんですねぇ。自分でもびっくり

2人目、3人目は我が子、ここまでは別に言っちゃってもいいところ。でも4、5、6人目は、妹の子どもたちです。なので、な、い、しょ(^_-)-☆
こうなると、子どもたちのその子どもの名前も付けてやりたい勢いですが、それは我が子に頑なに拒否られているので、叶わないかもしれません。が、諦めてはいないっ! ⊂⌒~⊃。Д。)⊃{ひらきなおり~♪

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たゆ・たうひと
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