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『今日のアナタは他人のフリ』

ある朝目が覚めたら、置き去りにされていた。
わたしの。わたしの専用の飲料水のボトルが、冷蔵庫から出され、シンクの上で汗をかいていたのだ。

考えるに、夜中に目覚めた夫が、冷蔵庫の奥に重ねられている小さめの清涼飲料水をとるため、手前にあったわたしのボトルを取り出してシンクに置いたのだろう。喉を潤し、渇きを満たした夫の脳はさぞ満足したことだろう。それゆえ、シンクの上に取り置いたわたしのボトルの存在など、脳裏からかき消され、ひょっとしたら急激に冷やされた食道以下腹部あたりに刺激が走り、尿意を催していたのかもしれない。

冷蔵庫に戻すのを忘れた。ただそれだけのこと。
想像に足る簡単なことではあるが、置き去りにされ汗をかいて、すっかりと生ぬるくなってしまっている自分のボトルを掴んだ時、なぜだか涙がこぼれた。

普段からやさしい夫の、うっかり行動がその日の朝は許せなかった。

汗をかいたわたしのボトルは、まな板の上に置かれていた。
ただボトルをしまえばいいだけでなく、まな板も洗わないといけない。そもそもなぜ、まな板まででていたのか・・・・。

最近そんなことが増えた。

共働きが当たり前の昨今、家事も妻だけの仕事ではなくなりつつある世の中で、わたしの思考は時代について行けてないのかもしれないが、台所は主婦の部屋と言ってもいい。少なくともわたしは、あらされたくないと思っている。
なにもしてくれるな…とは言わない。ふたりの家だし、台所だって、お風呂や洗面台同様、実質共有スペースには変わりないのだ。しかし、使いっぱなしでいい場所ではない。
お風呂だって済めば蓋をし、泡だらけのまま放置することはないし、トイレもまた水を流し、次のひとのことを考えるだろう。なのになぜ、台所は食器や鍋がそのままになっているのか、そこにお風呂やトイレのような思いやる行動に至らないのかが不思議でならない。

ひとつ疑問がわくと、次から次へと問題が出てくる。わたしは心が狭いのだろうか。だが、こんな積み重ねが亀裂となるのだ。


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たゆ・たうひと
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