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夢のタネ

夢の中で日記を書いていた
日付けがどうしても思い出せないのだが、○月‪✕‬日(△)◇日目のさくの日…と、なにやら訳の分からないカウントまで書いていた
なんだろうな〜あれ
せめて日付だけでも思い出したいのだが、どうやら、日記なんか書き始めちゃってはいるものの、場所が家ではない。どうも友人の結婚式のための会場にいるらしいのだ。隠れてたみたいだけど…壁の陰に笑
夢って、とんでもないところで、たいしたことないことしてたりするよね

でも、夢の中で数字が出てくるとものすご~く気にかかる。数字はダメよ、あとをひくもの
例えば、現実には幼児であるはずの子どもが丸坊主の中学生に成長していたり、身長が何センチで「15歳です」とか言われると、起きてから「15歳の時になんかあるの!?」なんて、ず~っと頭の隅っこに引っかかっちゃって、どうにも心がざわついたりするものだ

思えばわたし、父が最初に入院した時期にも数字の夢を見ているんです。父の葬儀の夢。余命宣告もされていたし、そんな夢を見たものだから、ものすごく気にしていたのに、実際にその日が近づいた頃に気付けなかった…ということがあり、だから数字が夢に出てくるとハラハラしてしまう
なぜ気づけなかったのか…?
夢に出て来たのは日付と曜日だった。でもその日付と曜日は数日前に過ぎていて、翌年まで照らし合わせてみたけれど、当てはまる日はなかった。でも見るべきところは日付と曜日ではなく、月だったんです。その過ぎてしまった数日前があった月。翌年の同じ月、夢に見た日付に近いところで父は亡くなった。わたしは危篤の知らせを聞いてから実家に向かう車の中で、激しく後悔したことを覚えている。もっと用心して、父の傍にいるべきだった…と!

「正夢」だとか「予知夢」なんて言葉もありますが、それがそうだと気づくのはいつも過ぎてから・・・・後付けです。後付けなら、なんだってこじつけられる。過ぎてからではただの「偶然」。「必然」である必要すらなくなってしまう
夢の「お告げ」「知らせ」というなら、もっと確実に「そうである」という確信が持てないものかと、常々思っているわたしです。まぁ夢に左右されている時点で、ダメなんでしょうけれど
だからきっと、父のことも偶然かもしれません。だから、後悔してしまうのは、充分ではなかった自分に対する戒めなのです


みなさんは、夢の中で「夢を見ていること」を意識しながら、コントロールしようとしたことはありますか?
わたしは、隙あらばいい方向にもっていこうと意識を働かせることが多々あります。うまくいくこともあれば、ダメなこともある。たとえば、イケメンに出てきて欲しいのに、そうじゃない出会いたくない相手になって出てくることもあれば、気まずい思いをすることもある。でもそんなときは、必死に「違う、おまえじゃない!」と、夢を書き換えようと悪あがきする。これって、もしかしたらものすごくからだに悪いことなのかもしれないけれど、どうせ夢を見るなら、しあわせな夢を見たい、しあわせな気分で目覚めたいと願うのはわたしだけではないはず…

空を飛ぶ夢はいい。吉夢だから
だからあえて、夢の中で飛べそうなときは、一生懸命からだを浮かせて飛んでみようとする。すっす、すっすと上昇するときもあれば、なかなか浮かび上がれないこともある。面白いけど、もどかしい

怖い夢を見るときは、だいたい苦しい恰好をしていたりします
うつぶせになって心臓の下に腕を置いていたり、首が変な方向に曲がっていたり、仰向けで腕が口を塞いでいたりするときなんかがそれです。そんな風に寝相が苦しい状態の時は、案外と怖い夢を見がちです。とはいえ、眠っているので、寝相まではコントロールできませんから、そんな時は仕方なく、心臓をバクバクさせながら起きるのです

いい夢みたいですよねぇ・・・・
安眠て大事ですよね

年明け最初に見る夢を「初夢」といいますが、正しくはいつなのかと、不思議に思ったことはありませんか? 元旦なのか、2日なのか・・・・
新年の朝に見た夢という説もあれば、元旦の朝に見る夢は前日の眠りだから、元旦に寝て2日目の夢が初夢…という説もある。調べてみると、どちらもありみたいなのですが(なんだったら大みそかという説もある)、元旦から2日にかけてみる夢が、いちばん濃厚なようです。でも、中には「夢を見なかった」というひともいると思います。が、とにかく新年になって「初めて見た夢」を初夢とカウントすればいいみたいです

初夢で見ると良いとされているのが「一富士いちふじ二鷹にたか三茄子さんなすび」ですが、これ続きがあるみたいです。昔、調べたときは「四葬礼しそうれい」までだったのですが、どうも6つあるらしく・・・・
四扇しおうぎ五煙草ごたばこ六座頭ろくざとう」というそうです。一富士と四扇は子孫繁栄や商売繁盛、二鷹と五煙草は運気上昇、三茄子と六座頭は怪我毛がないということで縁起が良いということらしいです。でも今の時代、あまり馴染みのない「座頭」は夢に見ることは難しいですよね。イメージが湧かない

ここでお気づきでしょうか?「四葬礼」どこにもない
いえいえ、別な解釈があるようで「四葬礼しそうれい五雪隠ごせっちん」または「四葬礼しそうれい五火事ごかじ」というものもあるらしいのです
葬礼は字のごとく冠婚葬祭ですよね。雪隠はトイレです。トイレの夢は汚ければ汚いほど、金運が上がるらしいと何かで読みました。火事も同様に、くすぶっているよりは真っ赤な大火事が金運上昇と言われていますが、どちらも「言葉遊び」の延長だという説もあるようです
なんにしても、これらの夢が見れたらよいことがある…ということでしょう

むかしのひとは、これらの夢を見るために枕の下に回文を挟んで寝ていたようです

なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな
(長き夜の 遠の睡ねむりの 皆目醒め 波乗り船の 音の良きかな)

これが姿を変えて簡略化され、宝船の絵を枕の下に置いて寝ると良いとなったようです

どうですか?
新年はちょっと、そんな迷信にのっかってみるのもいいかもしれませんよ



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