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伝授

実家では今の時期になると必ず食卓になすの漬物がありました

我が家は好き嫌いの問題でぬか漬けはなかったのですが、食卓には必ずと言っていいほど季節ごとの漬物があり、それは母が嫁いでからに教わったものだといいます

はい、ではなく、わたしのおじいちゃんですね

祖父はとても器用なひとだったようで、ちょっとした大工仕事や料理その他をこなし、ひとり娘のおさげも結っていたという逸話があります
その間祖母はなにをしていたかというと、なにもしてなかったのじゃないかしら?

祖母はまったく料理家事が出来ないひとでした
ただ、彼女はきれい好きでしたので掃除らしいことはしていたかもしれません。でもそれは、四角いところを丸く掃く、ものを動かさずに見えるところしかやらない、子どもの目から見ても「それでいいの?」って感じのものでした
祖母の母、つまりはわたしのひいおばあちゃんですが、彼女曰く「甘やかしすぎた」とのことでしたが、祖母はじっとしていられないひとだったので仕事はしていました。ただ、四角いところを丸く掃くひとの仕事なので、できるひとだったかは定かではありません
とにかく、わたしが物心着く頃の祖母は働きに出ており、休日になると旅行に出かけ、自分のやりたいことだけをする親父のような祖母ひとだったということです

父と結婚してからの家事一切はすべて、母が仕切ってました。それどころか母は30代という若さで祖父の介護も担っていたのです。だって祖母は旅行三昧であまり家にいつかなかったので・・・・

「ちゅうき」という言葉をご存知でしょうか?
漢字で書くと「中気」ですが、脳卒中の後遺症のようなものです。でもわたしの記憶の中に祖父が倒れた光景がないので、もしかしたら祖父はお酒の飲み過ぎからの症状だったかも知れません
中気は半身不随や言語障害などにある状態を言いますが、わたしの祖父も寝たきりではありませんでしたが、手足が利かず人の手を借りなければ歩行が出来ない状態でしたし、言葉も擬音を発する程度で、油断すると赤ちゃんのように口の周りがヨダレだらけになっていました
でも、頭はハッキリしているのでこちらの言っていることは理解出来るし、感情表現もありました。ですが幼少の頃のわたしは、大人なのに歩けないことや言葉がはっきりしないその異様さが怖くて、あまり近づけませんでした

だから、そんな祖父が母に漬物の漬け方や魚の捌き方を教えていたなど、とても信じられませんで、中気になる前の祖父はなかなかな人物だったようです

わたしの父は自営業で、精密機器の部品加工などを生業にしていたので、家の隣の小さな工場こうばはいつも油臭くキトキトしていて、鉄板やらアルミ、真鍮などのプレートや長い棒が豊富にありました

そこでなすの漬物ですが、塩で揉み込んだあと重しを乗せますね。その重し、昔から「漬物石」なんて呼ばれる形のいい石だったりしました。今でこそキレイに加工されたものが売っておりますが、わたしの家では厚さ5cm強、直径20cmくらいのドーナツ状に研磨研削加工された鉄の塊を使っておりました
ほらよく、色の変わりやすい野菜を漬けるときは釘なんかを入れたりするでしょう? それと重しを一石二鳥にした感じなのかな? なにせうちには鉄がたくさんありましたから (^<^)

鉄板が家にある利点とでもいうのか、生活の知恵か、このなすの漬物のためのドーナツ型の鉄の重しは、望まれればご近所や親戚などに配られていました。更に父は、丁度いい鉄のプレートを溶接したりしてBBQ用の鉄板も作っていて、よく貸し出していました。それが本業ではなかったのですが、懐かしい思い出です

そういうわけで、おかげさまでわたしは青々とした色つやのいいなすの漬物がいただけたというわけです
ちなみに、わたしはまだ漬かり切っていない「生漬かり」と呼ばれるなすの漬物が好きです。そして漬かり過ぎて酸っぱくなってしまったなすの漬物も好きで、丁度良いものはあまり口にしませんでした

いただきました ↓ ↓ ↓

ありがとうございます(^^)/

なすひとつとっても、いろんな思い出があるものですね




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たゆ・たうひと
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