気持ちのバロメーター
わたしは自他ともに認める「心配性」だ
気持ちレベル「1」か「10」でしかない
単純に言えば、白か黒。だから心配するときも「大丈夫でしょ」と軽いものと「最悪な結末」の2択になる。たま~に「3」か「4」くらいでぐずぐずすることもないこともないけれど、O型だからね笑
「5」~「9」に留まることは絶対にない。この絶対ってところにも自信があるからまーた厄介。だって落ち込んだらとことんどん底だから
「1」か「10」の落ち込みって言ったらもうすごいよ
しかしなんだね、心配事っていうのはどうしてこうも次から次へとわいて出てくるものかね? まぁ大概自分のことじゃなかったりするよね。そして自分の経験値の中でしかそれを受け止めることができないからパニくるんだろうね。そこでその心配を払拭するために勉強してみたりとか、他人に意見を聞くとかして見聞を広げていくんだろうね。それが出来てすっきり出来たらまたそれが経験値としてレベルアップできるのかもしれないけれど、だいたいがそうすっきりとおさまることなく時間ばかりが過ぎていく、なんてことが多いよね。そうするとさ、その間にまた違う心配事が付随したりするよね。それだけならいいけれど、別な方向に話がすり替えられて膨大な心配だけが襲ってくるなんてことにもなりかねないね。そうなったらキャパオーバーだよね。パンクする・・・・負の連鎖というやつ?
そんなこと気にしてもしょうがないと思いつつも考えてしまうんだね。ひとは考える生き物とはよく言ったものだ。でもさ、これって考える生き物っていうより心配する生き物って言い換えてもおかしくないよね。てかわたしの場合は絶対に後者だと思うわけ
よく自分の周りには「心配はわたしの仕事」な~んて包容力がありそうな言動を吹聴していたけれど、本音は叫びたくなるほど不安で仕方がなかったよ。なんだったら、体力が持つならとめどなく走り続けるくらいの勢いだけは心の内にあったよ。でもさ、そんなこと表に出したら心配の感染症が広がってしまうから、いつでもなんでもなさそうな顔して偉そうにしていたさ
そもそも心配という行為自体がマイナスで、内向的な現象なのに対して叫ぶとか走るとかアクティブな表現になるのはなんだろうね? しかもなんでもない顔とか態度もデカく大柄に振舞うなんて矛盾してるしね。言葉の不思議がここにも出るね
ひとつ思うのは、心配性のひとは知りたがりも強いのかとも思うわけ
これはわたしだけなのかなとも思いつつ、なんでも知っておきたいからこそ余計な心配というのをするのかな~なんて、最近気づいたの。まぁ余計かどうかということは、感じるひとだけのものだからなんとも表しがたいところではあるけれど
余計な心配っていうのはさ、当事者にとってはまさに余計なことであって、結果要らぬお世話に結び付くこともあるわけで、ちょっと人間関係も絡んでくるね
あとね、心配性な自分に酔うこともあるのかな
得てしてそういう内省的なものというのは表に出ないだけであるいはナルシシズムの現れとも言えなくもないのかな、と。そしてそこに自覚はない場合が多い。これがいちばん厄介。悪気がないというだれ得か解らない、これもいらぬお世話というわけだ
ほらね、こうして話している間にも違う方向に向かいつつあるね。これは現実逃避の一種かな。落としどころも解らなくなってきたからこの辺でやめておきたいかな
「心配症」にもいろいろあるということで
で?
って、なるよね
お付き合いいただきありがとうございました