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ぼつぼつ終わるわたしのキャリア

今回も、お題の趣旨とは反する書き方をさせていただく。

あと三か月もしないうちに還暦を迎える。残念ながら、死ぬまで禄を食んでいくには、現業界に頼ることしか選択肢はなくなったようだ。そして、いつまで続ければ良いのか、全く不透明な時代である。貨幣観の間違いによる被害者の一人だろう。

本題に入る。「どんな仕事をしたいか」で、高校卒業から七年かけて今の職を得る。給与は関係ない、高校野球に携わりたい、ただただそれだけで頑張ってきた。学力が若干足りない私は、どうアプローチすれば現職を得られるか、かなり考えた。それで、人が持っていないだろう免許状をひっさげることで現状打開を考えた。その結果が、「中国語」の免許状も併せ持って、教員採用試験を挑戦するというのが、自分にとっての最適解だった。そして、非常に幸運なことに、採用試験の受験は一度で済んだ。此処までは良かった。

平成からキャリアが始まったわけだが、私に「高校野球」のユニフォームを着せてみると言う人事は、微塵も取り上げられることはなかった。「中国語」と「高校野球」は相当相性が悪かったのだろう。あるいは、私に任せてみたいと思われるほどの人間力が足りなかったからだろう。腹膜炎の手術を経験してからは、もう高校野球への思いを断ち切り、公務員らしい生活を目指して頑張っていた。ところが、何度も何度も、業務過多のブラックな職場へ送られてきた。今も、激しい長時間勤務と向き合っているわけだが、それもあとわずかだ。

「教師のバトン」プロジェクトで、知ることとなった、この note。あれから、何の進展も見られない。得意技「その場凌ぎ」で、「働き改革」を乗り越えようとしている。もう、つける薬はない。「働き方改革」の最強の解決策は、分母を増やすこと。生徒数に対する教員数を、単純に増やすことでしか解決はなされないだろう。十分な国債発行をし、人件費予算を増やすことができるかどうかが鍵である。文部科学省は、部下である現場教員に鞭をふるうことではない。財務省に預金通貨を増やすことを実行させることが、「働き方改革」の一丁目一番地である。

#わたしのキャリア

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