シドニーマラソン① マラソンの準備は難しい
マラソンは難しい。改めてそう感じた9回目のフルマラソン。
シドニーマラソン出場を決めたのは4月初旬。シドニーを選んだ理由は今年もシドニー旅行を考えていたのでせっかくならマラソンも一緒にできればというもの。
2020年から頻繁に起きる左アキレス腱のトラブルやコーチングの仕事を本格化していく中で生活の変化もあり、マラソンを走ろうという気力が沸かないまま気がつけば前回のフルマラソンからは5年半が経つ。
指導するランナーの人たちが目標に向けて頑張る姿を見ているうちに2025年にもう一度、しっかり目標を立ててマラソンに挑戦しようと考えたのは今年の1月。そこからは再びトレーニングを続けてきた。
シドニーマラソンでは特定の記録を狙うというよりは来年のマラソンに向けて一度マラソンの苦しさを感じておくことを目標にしていた。なので直前の練習の感じで目標のペースは考えればいい程度にしておいた。
マラソンは難しいと感じたのはマラソンのレースそのものもだけでなく、いやむしろと言うべきか、それまでの準備の方だ。
その日の頑張りだけで目標を達成することはできないため、これは何事もだが、目標の高さに応じてしっかり準備をしなければいけない。その点を考えればマラソンはエントリーを決めて、レースに向けた準備を開始した時からがスタートとも言える。
レースのペース配分も大事だが、レースに向けた準備の中での練習量、強度をどう増やしていくかのペース配分も同じように大事になる。
フルマラソンでスタートから飛ばせば、後半の失速または途中棄権は目に見えた結果だ。
準備も同じでエントリーと同時に意気込んで練習を開始すればスタート地点に立つことなく終わることも珍しくない。私も3,4回ほどスタートに立たずに終わった経験がある。
足の故障、調子が上がらない、練習量を早い段階で上げすぎて気持ちが切れてしまったなど断念した理由は様々だ。
これまでの失敗を考慮しながら準備を進めていたはずだったが、トラブルは8月に起きる。
再び左アキレス腱の不具合が生じ、練習を予定通りできなくなる。
治り具合とレースまでの期間を考慮しながら目標の修正をしなければいけない。
失敗一はトラブルが起きた時に第一の目標にしがみつき、すぐに状況を受け入れなかったこと。
それにより回復が遅れ、1週間、また1週間と時が過ぎていく。
そしてようやく状況を受け入れて完全に休み始めた時には選択の余地は「走るか走らないか」になってしまったこと。目標を徐々に下方修正するのではなく、一気に急降下せざるをいけない状況を作ってしまったことがいけなかった。
目標をいくつか持って、状況によって修正することもまた一つの技術だと思う。
オリンピック出場、大会の参加基準突破など、最大の目標を達成できるかどうかが重要な状況のトップランナーもいる。達成するか、撃沈するか、ギリギリを攻める場合は徐々に下方修正は難しいだろう。
しかし私の場合は明らかにそうでない。そうでないのだが、思った通りにいかない時の人間の心理とはつくづく難しいものだ。もっと自分はできるんだ、という必死の現実に対する心の抵抗とでも言うべきか。
なんとか走れそうな感じがしたのは1週間前。走ること自体は大丈夫と確信したのは日本出発の朝、大会の2日前だ。
目標は怪我を再発させないで完走することに修正。
当日の気温は10℃以下まで冷え込み、残暑厳しい日本から移動してきた身としては堪える寒さだ。
こうなると服装選びも考えなければいけない。それなりのペースで走れるなら気にする寒さでもないが、ゆっくり走るなら温まらないかもしれない懸念もある。
長袖の上に半袖、下はハーフパンツにロングソックスの格好でスタート。
作戦としては5kmごとに様子を見ながらペースを調整すること。
スタート後は下り坂が続き、シドニーのシンボルの一つでもあるハーバー・ブリッジを渡る。
街中に入ると小刻みなアップダウンとカーブが続くがまだ序盤のため苦となるほどではない。
10kmを過ぎても足の様子は大丈夫そうだ。Jogではないが苦しさは感じない心地いいくらいのリズムで走れている。これなら大丈夫かなとややペースを上げてみる。マラソンを走る上で10km地点で余裕があるのは当たり前なのをすっかり忘れていた。
早まる欲を抑えるのがマラソン前半では大事なのに、気持ちのブレーキが効かなくなっている。
7月まではスピードを上げる練習ができていて、しかし8月にほとんど走れていないのが心肺機能と身体の強さとのギャップを生んでしまったのだろう。
苦しくはないが着実に身体は地面からの衝撃のダメージを受けているということを忘れていた。
「健康な自信と、不健康な慢心を隔てる壁はとても薄い」村上春樹さんのと言葉を思い出す。
今回の私は明らかに後者だ。
中間点を過ぎるころには痛めていた足の逆側のふくらはぎに鈍いつっぱり感を覚えだす。怪我をした感じではないが明らかにその点にダメージが積み重なっているいいとは言えない状況だ。
この段階でペースを落として、または定期的に歩くなど、作戦を切り替えれば良かったのにと後になって思うが、その時の状況での人の心理は単純ではない。
意図せず、自己ワースト記録よりも少し速いペースで走っているということに気づいてしまった後にはなおさら引きたくないものだ。
20km-30kmあたりは比較的に平坦ではある。センテニアル・パークという大きな公園に入る。2016年に住んでいたときによく練習した場所だ。馴染み感は少し心に安心を与えてくれる。少なくともどんなコースなのかは分かっていて大きなアップダウンはない。
しかし28kmくらいにはもう明らかに右の脹脛がおかしいのが分かる。
残り3分の1といえば聞こえはいいが、同時に残り14kmという事実も受け入れなくてはいけない。ここをもう少しと思うか、まだまだと思うかはその時の余裕度で変わる。もちろん後者だ。
31km地点でついに1km4分は超えないという抵抗を諦めざるを得ない。右の脹脛の中に何か塊があって足が地面につくたびに中から飛び出そうとしてくるような感じがする。もうどうしようもない、必死の抵抗がついえた時には痛みが倍増した気がする。
今回は抵抗をしない方が良かったのだが、本気で走るとなると当然苦しさは避けられない。苦しさの種類は違うが目標を持ってペースを落とすこと、諦めることに抵抗することは大事なことでもある。ただ今回は目標の使い方を間違えた。センテニアル・パークを出ると緩やかではあるが少し長い上り坂があり、折り返すと下り坂がやってくる。
足首の角度がキツくなる上り坂、衝撃が強まる下り坂、どちらも痛みを倍増させる。
まずは35km、すぎに37km(あと5km)と区切りのいいところまで目標を細かく区切りながら気持ちを持たせる。
もう走っているのか、歩いているのかわからない状況だ。ただ一つ言えることはものすごく立ち止まりたい、歩きたいが、感覚的に一度止まったらもう走れないないということが分かっている。
ペースが落ちると次の1km表示が来るのがすごく遅くなる。見落としたかなと思っていることにやってくる。気持ちはすでに次の1kmに向いていたからこれは精神的にきつい。
ゴールのオペラハウスが近づいているのが分かる。最後の直線に入る前には下り坂がある。この下の勢いを使ってラストスパートをかけるランナーに次々と抜かれる。私は下りの痛さにさらにペースダウン。
ゴールが見えて少し気持ちが高まると痛みが和らいだ気がする。
周りのランナーは歓喜高まりながらゴールする。達成感よりも安堵感、苦しみからの開放感が強かった。やっと終わった。
ゴール後に歩き始めると右の足首、膝を曲げれない。
筋肉が引きちぎれそうだ。
「あぁ、こっからの帰宅の道は長い」
そんなことを考えながらトボトボと荷物を受け取り、交通機関を使って帰る。
あの時にペースを落としていればなとか思うことは色々あるが、準備がしっかりできていない時は思ったように走れようが、走れまいが「もっと練習ができていたらな」という思いは拭えない。
そんな悔やみ大きい今回だが、少なくとも出場しなければ良かったという後悔は感じていない。
来年の春のマラソンには健康な自信を持ってスタートに立てるようにまた準備の対策をしなければいけない。ギリギリまで出場にあがいた自分がいることは少なくともまだマラソンへの意欲があることを実感できたと思う。適切なペース配分。レースの時だけでなく、練習の進め方にとっても大切なことだ。
少なくとも以前の記録がなんとなく走ったのではなく、準備して出した記録なら。
9回目のフルマラソン。2時間53分30秒。自己ワーストとこれまでに続けて走った最長時間ベストを更新。なんともいえない記録の更新だ。
フェリー、バスを乗り継ぐ必要のある帰り道も地獄のようだった。足をひきづるようにようやく辿り着く。
今回のシドニー滞在もクーパー家にお世話になる。