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小さい頃の吸収率は今のぼくから見ても圧巻の一言です
出っ歯の電波通信vol.165
こんばんは。
山口です。
今回はぼくの幼少時代をふと思い出したので
記事に書いていこうと思います。
幼少時代
幼少時代と言いましても
だいたい幼稚園から小学生中学年くらいまでです。
幼稚園の頃は埼玉県の川越市に住んでおり、
川越にある白ゆり幼稚園という
幼稚園に通っておりました。
今思い返せば
ものすごい幼稚園だったんだ
という記憶です。
幼稚園なので基本的には
勉強、給食、降園という
小学校のような生活を
送っていたような記憶があります。
まだ幼稚園ですので
勉強という概念はほぼなく
すべてが遊びのように感じていました。
その当時の文房具等は
捨ててあるかと思いますが、
白ゆり幼稚園では本を読む時間に
童話を自分たちで読むのですが、
なんとその絵本がフリガナなしの
漢字オンパレードの絵本なんです。
幼稚園の頃はなぜか知らないのですが
これが読めたんですよね。
授業の一環で『茶道』なんかもありました。
授業参観で見に来た親に
自分でたてたお茶を飲んでいただくのですが、
幼稚園児がたてたお茶ですので
おそらく美味しくはなかったでしょう。
今でもおぼろげに器を時計回りに二回回す
なんてことを覚えています。
二周ではなく二回がポイントです。
あとは運動会や演奏会もやりました。
演奏会では園児たちがおのおの楽器を手に取り、
ホールで親の前で披露するのです。
特段、ぼくの家庭が裕福というわけではありません。
もちろん、父も母もとても働いておりました。
それは全てぼくや妹のためでした。
だから、素敵な環境で
過ごすことができたのかなと思います。
ぼくは幼稚園の頃から
サッカーを始めました。
なぜ始めたのかは覚えておりません。
おそらく両親がやらせ始めたのだと思います。
もしかするとぼくの意思だったのかもしれません。
そんなサッカーをかれこれ
高校を卒業するまでずっと続けておりました。
幼稚園の頃のぼくの話は
ほとんど親が話してくれたことだけです。
ぼくはほとんど覚えておりません。
話を聞く限りですが、
じっとしていられる性格ではなく、
買い物に行くと十中八九迷子になるそうです。
声が高く女の子のような声だったと言っておりました。
それもあってか、30歳目前の今でも
ほかの男性よりは声が高めかもしれません。
近所のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちと仲良くなり、
毎日マンションの目の前の公園で遊んでいました。
確か、自転車に乗り始めたのも
幼稚園の頃だったと思います。
幼稚園を卒園し、
近くの小学校に入学する前に
父親が転勤となり、転勤に合わせて
家族で一緒に引っ越しをしました。
ぼくにとっては
人生で初めての引っ越しでしたが
特段泣きじゃくることもなかったはずです。
おそらく引っ越しが何なのか
あまり理解していなかったのだと思います。
埼玉県川越市から引っ越して
福島県会津若松市にやってきました。
小学生時代
ぼくには経験をしたことのない
雪と方言に最初の頃は
テンパりました。
ただ、小さい頃の柔軟性は驚きます。
あっという間に環境に適応します。
小学1年生はまだ男女という差がほとんどないため、
引っ越してきたとしてもそこまで
友達作りに遅れをとらなかったと思います。
すぐ馴染めました。
馴染めた大きな原因というのも
ぼくが目立ちたがりということも
あったかもしれません。
山口家は親戚が多く
おじいちゃんは7人兄弟、おばあちゃんは2人姉妹、
お父さんは3人兄弟、お母さんは2人兄妹で
小さいころからお盆、お正月に親戚に
ちやほやされて育ったため、
目立つことに味を占めておりました。
その甲斐あってか、
引っ越し先でも
すぐに友達ができたのだと思います。
一番大きかったのは引っ越した先のマンションに
同じ学校にいく子供が多かったというのも
あるのかなと思います。
そして小学校1年生、2年生のころくらいから
そろばん塾に通い始めました。
通い始めた理由は覚えておらず、
おそらくこれも両親のススメだったと思います。
まだぼくが小学1、2年生の頃は
そこまでそろばんというものが
古いツールではなかったため、
今よりもそろばん塾を
開設しているところが多くありました。
今ではあまり見かけないため、
ちょっと寂しく感じる部分もあります。
サッカーを含め、
そろばんもぼくにとっては
おもしろい遊びの一つでした。
同い年のだれにも負けたくなく、
塾の中でもトップの成績を
収めておりました。
今もそうなのですが、体型が細身のぼくは
サッカーで周りのみんなのように
ボールを蹴ってもぜんぜん飛ばなかったんです。
どうやれば遠くまで高く
ボールを蹴れるんだろうと試行錯誤し、
ずーっと遅くまで校庭に残って
ボールを蹴っていたことを覚えております。
サッカーではリフティングが
ボールコントールの基本だとのことで
小学3年生のころにはリフティングにだけ
集中して練習した結果、
100回を超えるようになりました。
今やっても15回も続かないです。。。
小さい頃の吸収率は
今のぼくから見ても圧巻の一言です。
ただし、全部僕自身がやってきたことなので
不可能ではないなと思いまう。
新しいことに挑戦することは
とても勇気がいりますし、
不安も感じるからこそ、
どう楽しめるかが
成長の大きな分かれ目だと思います。
ぼくがよかったと思うのは、
勉強もそろばんもサッカーも
全部遊びと捉えていたので
夢中になれていました。
仕事も趣味もプライベートも
全部遊びと思えるくらい
夢中に没頭してのめり込んで
自分を成長させていきたいと思います。
それでは今回はこの辺で。
ありがとうございました。