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8月9日(金)

二度寝したが、昨日寝るときにアラームをかけていなかったので、暗に望んでいたこととも言える。何時間寝たのだろう。23時には寝たから、10時間ぐらいは合計で寝た気がする。まあ予定は昼からだし、出かけるまであと2時間はあるのでなんやかんやできるだろう。

自分の関心は明らかに哲学と文学のはざまにある。だから千葉雅也が好きだし、ドストエフスキーやカミュ、大江なんかも好きだったりする。彼らの小説や哲学書?なんかを読む。でもそれでいいのだろうかという疑問が頭をもたげる。それで、というかそれだけで、というか。自分があまり関心のない分野も勉強したいなという思いがある。経済だったり、科学だったり。でないと、自分の関心がどんどん偏ってしまって、知るはずだったことを知れないかもしれない、知っておくべきだったことを知らずに生きていくかもしれない、というちょっとした恐ろしさがある。

でも底では繋がっているからいいのかもしれない。哲学を読むと、物理学や科学の話がよく出てくる。その度に参照すればいいのかもしれない。経済は、主に社会批評を読む時なんかに気にかかる。今自分が生きている社会のことを見つめるためには、その社会がどのように動いているかを知らないとよくわからない。その「どのように動いているか」が経済という分野だろう。一応世界の多くは資本主義社会で動いているわけだし、何をするにしてもお金の問題は切り離せない。そのお金の動き、流れを捉えようというのが経済だとしたら、それを知らないのはあまりにもディスアドバンテージだと思う。

でもその一方で、自分が関心のある分野について理解を深めたいという思いはあるし、人生で読める本の数には限界がある。だから自分の有限なリソースを関心がないことに使いたくないなと思う。でもそれは自分の関心のある分野の理解にも繋がるだろうし、という迷いが色々あるが、まああまり難しく考えないでおこう。自分が今読みたいものを、学びたいものを大切に、丁寧に読めばいいか。

手を止めずに書く、というのがフリーライティングの基本だと思うのだが、単純に手が疲れてくる。今で10分書いている。900字にさしかかる。これぐらいなのかもしれない。フリーライティングを推奨している本を読んだところ、大体どれも10分ぐらいなのだ。25分も書いていると、その分思考は発散されるのだけれど、手が疲れてくる。自分はタイピングが遅くはないと思うので、もう少しゆっくり書いてもいいのかもしれない。あ、ゆっくり書くと手の負担が一気に減った。手の動きが遅くなるのだから、その分字数は減るのだろうけど、この方が持続可能的だ。肩が凝るし、腱鞘炎みたいに手が痛くなる。それでこの作業が嫌になるとダメなので。ゆっくりやる。続けることが大切だ。

今日は梅田に行く。デート。何をするわけでもないけど、彼女が梅田にあまり行かないそうなので、その案内的な。ぶらっと買い物をして喫茶店でだべって呑んで帰る。これだけ。明日は朝が早いので、あまり飲みすぎないようにする。ツイートみたいな文章になった。これぐらいの短い断片を集めていきたい。あまり長々と話したくない、というのが自分の性格でもあるのだろう。過度な理由づけや具体性は好きではない。だから人と仲良くなれないこともあるけど。

たくさん寝て結構スッキリした。昨日渦巻いていた仕事のことも、そこまで今は重荷に感じていない。なるようになるさ、というが昨日の結論だし、寝かせて考えている、という確信もある。大丈夫、と言い聞かせる。

にしても、noteのスキのつき具合が違うのはなぜなんだろう。だんだん減っている。やはり久しぶりに書いたから、タグで検索したときに上位に出てきやすかったのかな。それか、あまり見ないユーザーだから、フォロワーを増やそうという気持ちでスキを押したのかもしれない。そう考えるとやはりどうでもいい。気にしないでおこう。

だし巻き卵を作ってみようという計画がまだ実行できずにいる。明日、午前中にフットサルをしたら予定が終わるので、昼から作ってみようかな。明後日は一日麻雀で潰れる。卵の消費期限もあるし、なるべく早く作れるようになりたいので、明日にはチャレンジしてみたい。

千葉雅也の動きすぎてはいけないをまた読んでいる。とにかく精神分析のところが難しいし、あまり興味がない分野なので読むスピードが遅くなって、読もうという気が削がれている。でもとても大切なところだというのはわかっているし、3周目ということもあってまあまあ理解できてきているところはあるのだけれど、それでもきついことに変わりはない。

小説は大江の個人的な体験。安定して面白いし、人の描き方とか文体とかやはり凄すぎるので、つい大江の小説は読んでしまう。詩にインスピレーションを受けて書いている作品を早く読んでみたい。大体僕は誰かの作品を読むときに出版順で読むので、読みたい大江の作品は後の方になる。だから少しずつ、寝る前に読んでいる。

このスタイル、小説一冊と何か一冊を並行して読むというスタイルはずっと続けている。何か、というのはエッセイだったり哲学だったり教育関係だったりするのだけど。もう5年ぐらい続けている。片方の本を読むのが嫌になった時、もう片方の本を読む。その繰り返しでずっと読書に意識が向く。誰かの真似だったような気がするが、忘れた。

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