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仕事と
この漠然とした憂鬱な感じに、一ヶ月に一回くらいは襲われる。三連休が二週続いてそれに慣れていたせいか、土日だけでは心身が回復しなくなっている。回復はしているが、新しい1週間が始まる準備ができていない、という感じ。それで今日はずっと暗い気持ちだった。
仕事は順調だ。褒められもする。学級担任1年目とは思えない、と。でもそんなの全然嬉しくない。増えるのは給料ではなく仕事だからだ。認められれば認められるほど、重要できつい役が回ってくる。どれだけきつい仕事をこなしても、どれだけきつい学年を持っても、給料は変わらない。
何のために働いているかわからなくなっているのが、このしんどさの中心にあるのかもしれない。何のために働いているのだろう。なぜこの仕事を選んだのだろう。教育に対する思いというか、憤りみたいなものが出発点だったと思う。しかし働き出して、さまざまな現実を知り、変えられないこと、仕方がないこと、コントロールできないもの、など仕事に対する限界が見えてきた。無理をしてでも変えたい、みたいな情熱もない。
今頑張れば、将来少し楽になる、ということもなさそうだ。先輩たちは重い仕事を受け持ち、大変な学年にあてがわれ、帰れる時間は若手と変わらない。さらには家庭がある人がほとんどで、保育園の送り迎えだったり、弁当を作るために4時台には起きて働いていたりと仕事の外でも大変そうだ。若いうちに苦労をして、その貯金で働いている、というのがない。さらにはこれからどんどん志願者が少なくなり、それに伴って質も量も維持できなくなり、崩壊する、とまで言われている。明るい未来は見えないし、自分で作っていくぞという気概も生まれない。給料は変わらないからだ。
子どものニーズも多様化している。家庭に余裕がないからだ。子どもたちが発するSOSに、柔軟に支援していけるだけの余裕が学校にも家庭にもない。しかし学校は公務員で構成される国民への奉仕組織なのだから、余裕がないことを言い訳にはできない。こうして仕事量は減らず、志願する人も増えない。みんなしんどいのだ。
今の学校に勤めるのは、あと3〜4年。自分が異動する頃、学校現場はどうなっているのだろう。自分はどうなっているのだろう。いや、どうありたいのだろう。来年には25歳になる。20代も折り返しだ。30代になれば、仕事もプライベートも腰を落ち着けて地道にやっていく、ということになるのだろう。だとすれば、あと長くても5年。何かにトライできる期間は、それほど残されていない、と思う。
今自分は、小学校で学級担任をしている。その事実に、うまく馴染めない。3年前には、想像もしていなかった。そもそも何らかの企業に就職することを考えていた。学校で働く気はなかった。その気があったとしても、自分がそんな過酷な仕事をするということを想像できなかっただろう。いざ働いてみると、周りの友達の方がしんどそうに見えてくるほど、そこまでこの仕事はキツくないし、まあ合っているんだろうなと思えているよ。