量
今週はかなり仕事をしているが、そこまでしんどくなくがんばれている。朝起きても仕事のことを考え、夜は寝るまで仕事のことを考えている。考えていないのはこの書いている時間ぐらい。1学期は帰ってから寝るまでのゲームをしたり本を読んだりする時間があったのだが、今のところそんな余裕はない。まあ楽しめているのでいいのだけれど。
今週は運動会で、再来週は公開授業があるのでそこまではバタバタする。それらが終わればもう少し余裕が出てくるが、余裕が出るのも怖い。今の状態のまま、アドレナリンが出きったまま働いていきたいが、いつかガス欠になりそうな怖さもある。
今日も帰ってきてご飯を作って風呂に入ってなどしていたら21時だったのだけれど、そこから1時間半ほど仕事の続きをして現在22時半。今日ぐらいは書かないでもいいかと思ったのだけど、一日サボると数日は取り返せないことはいろんな場面で経験済みなので頑張って書いている。えらい。えらすぎる。
今日は働き出して初めて、職場を出るのが最後だった。そんなことは珍しいのだが、今の自分を端的に表していると思う。そんな事実に悲しくもなれば、そんな状態でも楽しく働けていることを考えれば、いい仕事を選んだのだなとも思う。
明日は彼女と仕事終わりに飯に行くので、いよいよ書けないかもしれない。仕方ない、華金ぐらい。土曜日は書く時間があるし、日曜日もなんとか時間を見つけて書けそう。だから1日ぐらいいいかなとも思ってしまう。
書き溜めることはなんとなく好きじゃない。記事感が強くなってしまうからだ。1日の終わりに雑感として書いていることに意味があると思うし、このラフな感じでいいのに、書き溜めるとなると1日の雑感は二つかけないし、そうなるとちゃんとしたことをちゃんとした質と量で書かなきゃと思ってハードルが上がってしまう。
ハードルを上げないことがなんにしても大事だと思う。まあできるでしょ、これでいいでしょ、みたいな感覚を大事にしたい。仕事でも、量を書くのがまず大切だと伝えている。質は量からしか生まれない。そして10歳そこらの人間に質の高いものなんて書けやしない。書くのが得意な子も、苦手な子もそこまで変わらない。変わらないといってしまえば嘘になるが、文章のうまさ云々以上に、その子が書いた、という事実で素晴らしいからだ。どんな形でも、どんな文章でもいいから、何かを表現すること、自分を表現できること、それが大切なのに、質にこだわっていいことを書こうとするな。これは大人にも当てはまると思うので、自分もそんな感じで書いている。